54◇紅の継承者、媚笑ス
そういえば、と幸助は思う。
アークレアに来てから、元いた世界では考えられない程異性からの関心を集めている。
しかしだ。
その中に純粋な好意を抱いてくれている者は、シロとエコナ以外にどれだけいるだろう。
給仕娘のヴィーネは好意的だが、幸助に恋愛感情を抱いているわけではなさそうだ。
クウィンには何度も好きと言われているが、それは彼女が英雄をやめたがっていて、幸助だけがそれを肯定してくれるから。つまり理解者候補だからだろう。
エルフィは幸助の『黒』や『精神汚染』、英雄という肩書に好奇心を刺激されて、だ。
プラスからは恩義や尊崇の念を感じるが、それ以上かは分からない。
パルフェは喧嘩で負かしたことで幸助に好意的になった。
トワはそもそも妹だし、彼女ももう幸助を異性とは認識していないだろう。
そして今度は、幸助の才能目当てに求婚してくるという打算まるだしの女学生アリスだ。
「悪いけど、断る」
「出来れば婿養子に来ていただければと思いますけど、私が嫁入りするパターンもいけますよ」
「いや、だから断る」
「? あぁ、妾でも行けます。最悪クロさんの子種さえいただければ、立場はなんでも」
あまり子供のいる前で子種とか言わないでほしかった。
顔を真っ赤にするエコナの耳を、幸助はそっと両手で塞いでおく。
「そもそも、複数の女性と付き合うつもりがない」
「じゃあ身体だけの関係で大丈夫です。月に二、三度種付けしてもらえれば、後は何も文句を言いません。正妻様に隠し通すのに協力するのも吝かではないくらいです」
「…………待て、お前は本当にそれでいいのか? 自分の意思とか、あるだろ」
アリスは心底不思議そうに首を傾げた。
「家名に相応しき子を為すことが貴族家の娘に課された唯一無二の使命ですよ? 愛がどうとか仰られるつもりならご安心ください。私はクロさんを愛しています。あなたに愛されなくても、愛し続けられます」
幸助は、彼女がかなり異常な精神構造の持ち主であることを理解した。
帰りたい。
「……じゃあ言うが、お前と子供を作るつもりはない」
「何故ですか? 私の見た目、好みではありませんか? 胸はそれなりにありますし、処女ですよ。抱き心地はそう良くないかもしれませんが、命令してくださればある程度肉だって付けます。ご不満な点は可能な限り改善するつもりです。どこがお気に召さないのでしょう?」
相変わらずにこやかだが、既に話しやすいという印象は崩れている。
その目の奥に、正気の燈火が宿っていた。
つまり彼女は、異常者の自覚が無い異常者だ。
他人との相違を、『相手がおかしい』という形でしか認識出来ない。
「……じゃあ最大限譲歩致しまして、不義の子でも構わないというのはどうでしょう? 好きな時に、好きなように扱ってもらって構いません。ただ、出来た子供は我がグラカラドック家の子として育てさせて頂きたく」
面倒臭くなって、幸助はキッパリと言う。
「学院を案内してくれ、今すぐに。じゃなきゃ帰る」
「分かりました。ご案内します。説得はまた後でも出来ますからね」
彼女は一瞬で切り替えを済ませたらしく、エコナに微笑みかける。
「お待たせしましたエコナさん。グラカラドック学院へようこそ。魔術師科をご紹介しますね?」
プラスは自分自身が英雄になることに固執していたが、彼女は違うようだ。
自分自身をあくまで英雄の末裔として扱い、その力を発揮出来なかった無能と認め、子を産む機械になることに躊躇いが無い。
しかも、家の決まりだからとかではなく、心の底からその選択を正しいと信じている。
別にそれ自体は彼女の自由だが、幸助がそれを受け入れてくれないことがまったく理解出来ないらしい。
その真っ直ぐさは、薄気味悪くもあった。
「さて、まずはどこからご案内しましょうか。保健室にしましょうか」
「なんでだ」
「ベッドがありますからねー」
「誰も具合は悪く無い」
「またまたー、男と女がベッドのある部屋に行くんですよ? やることは一つではないですか」
「ごめんなエコナ、今日は帰ろうか」
「嘘です嘘です、じゃあ女子寮はどうでしょう。全ての貴族家が王都に集まっているわけではないですが、有名な学院と言えば此処なので、各所から貴族の子息子女が集まってくるんですよ。必然的に寮の需要が生まれるわけですね」
「……エコナはうちから通うつもりだ」
「いやでもですね、各部屋にもやはりベッドが」
「ごめんなエコナ――」
「嘘です嘘です。一々帰ろうとしないでください」
「一々シモの方に持ってくんじゃねぇよ、教育に悪いだろう。此処教育機関なのに」
彼女は渋々、本当に渋々といった様子で案内を始めた。
本校舎ではなく、魔術師学科の学生が主に使う施設へと連れて行かれる。
「研究室と呼ばれる場所ですね。魔術師科の生徒は皆繊細なので気をつけてください。どれくらい繊細かと言うと、雪の結晶くらい繊細です」
「……体温で溶けるレベルだと、近づくのも厳しくないか」
「気になることがあっても、本人達ではなく私を通してくださいね」
幸助とエコナが頷くのを確認して、アリスは建物内へと入っていく。
ちなみに研究室とは言うが、建造物の外観はあくまでファンタジーチックだ。
赤いレンガ造りだった。
天井がやけに高く、部屋の規模が大きい。
というより、巨大倉庫だった。
しかしそれを埋め尽くすように、人と魔法具が満ちている。
「ふわぁ……」
エコナは目を輝かせた。
その気持は幸助にもよく理解できた。
見たことのないものは、わくわくする。
「あ、あれはなんでしょう」
学生は皆、制服の上に白衣を羽織っている。
とある一画に、数人の白衣姿が集まっていた。
その近くでは、唯一白衣を纏っていない人間――ではない。人型の何かが動いていた。
「あぁ、魔動人形ですね。観賞用でも玩具でも無く、主に労働力としての運用を視野に入れた試作機です」
人型ロボットということだ。
おそらく傀儡術などのスキルを利用して作ろうというのだろう。
まだ幾らか動きはぎこちないが、面白い試みだと幸助は思った。
「す、すごいです。あ、あの……! ではあれは?」
数羽の鳥が飛んでいる。こちらは動きもスムーズだ。スムーズ過ぎて、機械っぽい。
「あれは軍の要請で開発中の鳥型斥候ですね。軍人ではなく生物型の人形を使えば、敵兵にバレることなく索敵が出来ますから。ただ生物の動きを完全に模倣するのに手間取っています」
生物型の飛行ドローンということか。
「で、ではあれは?」
空飛ぶ絨毯だった。
「あれは『風』属性を利用した飛行型の魔法具ですね。使用者によって高度や速度、方向転換が可能になる予定ですが、生産コストを計算すると庶民には手の出ない値段になってしまうのが最大の懸念です」
エコナはとても楽しそうに目をキラキラと輝かせて次々にアリスに説明を求めていく。
「そういえばエコナちゃん。魔術師を目指すということは発想とその実現に人生を割くことになるわけなんですけど、何か作りたいものとかは決まっているんですか?」
童女は恥ずかしそうに頬を掻いてから、こくんと頷いた。
「あの、曇りの日に洗濯物が乾かないのは少し困るので、『風』魔法で乾燥させる魔法具とか、あったらいいなって」
「あぁ、乾燥機ですね」
「もうあるんですかっ!?」
「ありますよー。無駄に大きい上に高価なので貴族家にしか売れてませんけど」
「じゃ、じゃあ、沢山の食器を『水』魔法で洗える魔法具なんかは……」
「食器洗い機ですね」
「もうあるんですかっ!?」
「ありますよー。こちらも場所を取る上にお値段の問題で一般に普及してませんが」
「そ、それじゃあ。埃とかゴミを『風』魔法で吸い取る――」
「掃除機ですかねー」
「もうあるんですかっ!?」
「ありますよー。でも凄いですねー、大分柔軟な頭をしているようで。無責任なことを言わせてもらえれば、向いてると思いますよ。ただ少し発想が使用人視点過ぎる気もしますねー。発想の源は経験ですから、もっと世界を見た方がいいですよー」
幸助はドキリとした。
確かに仕事と家事ばかりしているから、エコナの世界は少ない外出でしか広がらない。
「エコナ、これからは一緒に出かける日を出来るだけ増やそう。行きたいところがあったら言ってくれ。俺が無理でも、エコナみたいな良い子なら誰かしらが連れて行ってくれる」
「……あ、あの。はい。ありがとうございます」
幸助は内心驚いた。
最初は遠慮から入るエコナが、素直に申し出を受け入れたのだ。
それぐらい、彼女ももっと外へ出たかったのか。
保護者ぶっておきながら、彼女をちゃんと見ることが出来ていなかったらしい。
しかも、既にトワとの待ち合わせ時間が迫っていた。
このタイミングで彼女を連れ出すのは、非常に心苦しい。
「あぁ、クロさんは用事があるんですよね? 元々昼の間にご案内するって話でしたし。でもエコナさんはもっといたーいって顔で語ってますよ。なんなら私が引き続きご案内を引き受けましょうか?」
「…………いいのか? いや、でも」
この女、言葉は通じるが話が通じない部分がある。
「安心してください。クロさんの大事なお人なら無下にはしませんよ。ここで好感度を上げておけば後でえっち出来るかもしれませんし」
「その打算を隠さない感じは嫌いじゃないが、子供の前でそういう話はやめろ」
「今日日、子供だって子供の作り方を知ってますけどね」
「だからって、それを率先して話題にするべきじゃない」
「はいはい。仰せのままに、ご主人さま」
「俺はお前の主人じゃない」
「夜のご主人さま」
幸助はもう相手にしないことにした。
「エコナ、どうする? 俺はもう迷宮攻略に行かなくちゃいけないんだけど」
エコナは迷うように指をもじもじと絡ませたが、やがて甘えるように言う。
「もう少し、見て回りたい、です」
幸助は彼女の頭を撫でた。
「あぁ、いいよ」
それからアリスを見る。
「でもいいのか、午後の授業とか」
「あー、なんて説明すればいいんでしょう。確かニホンのある異界出身者には……えぇと、ダイガクと同じ、とか? そうでもなければ……タンイセイ? と言えば通じるって聞きましたが」
大学と同じ。単位制。
自分で授業を選んで受講するタイプの学校ということだろう。
授業を入れていないのかもしれないし、入れていてもサボるということかもしれない。
後者の場合でも、普通の学校よりはそのハードルが低い筈だ。
「あぁ、通じたよ。それじゃあ、エコナを任せてもいいか」
「はい。とびっきりに従順な子猫に調教しておきます」
「笑えない冗談だ。ふざけた真似をしたら殺す」
「嘘です嘘です。英雄様の殺気とか洒落にならないので勘弁してください」
とか言いながら、怯えた様子は無い。そもそも殺気は飛ばしていないので当然だが。
幸助はもう一度エコナの頭を撫でてから、その場を後にした。