53◇紅の継承者、誘惑ス
英雄会議の翌日。
朝、自宅。
朝食を済ませると、エプロン姿のエコナがそれを流しに持っていく。
幸助が手伝おうとすると、彼女は「わたしにやらせてください」と力強く言うので、もう任せることにしていた。
家事全般をエコナに任せきりなので、着々とダメ人間化が進んでしまう。
エコナがいなくなってしまったら、生活レベルが下がってしまいそうだ。
彼女は、現在週四日酒場で働いている。
それ以外の日は家事をしたり、買い物をしたりしているようだ。
奴隷ではないとはいえギボルネ人の童女を一人で出歩かせることに不安があるので、一人での外出は控えるように言っている。
幸助が付き合う日もあるが、毎日とはいかない。
そういう時、非番の給仕娘や迷宮攻略の予定が無い攻略者が付き合ってくれるそうだ。
エコナは働き者でとても良い子なので、皆に可愛がられるのも頷ける。
特にタイガとクララは、意外というと失礼だが、エコナと仲良くしてくれているらしい。
「エコナ、今日って仕事休みだよな?」
皿を洗いながら、彼女は首だけ振り向かせて答える。
「はいっ。こうすけさんは迷宮攻略ですか?」
「まぁ、そうだな。十四の刻に南門で待ち合わせなんだ。で、それまでは暇なわけだが」
「それじゃあ、それまで一緒にいられるんですね」
嬉しいです、と彼女が喜色満面の笑みを浮かべる。
これ以上ないくらい心を癒される幸助だった。
「うん。でだ、昨日逢ったおじさん覚えてるか?」
うぅん、と少し間を置いてからエコナは口を開く。
「リガル……さんでしょうか? はい、覚えています」
「そのリガルがな、学院の生徒と、正確にはその父親と知り合いらしくて、昨日の内に話を通してくれたみたいなんだよ」
キュキュッと手慣れた様子で皿の水気を拭き取っていたエコナは、首を傾げる。
「……と、いうと?」
「学院見学に行こう。どんなことところなのか、入る前に見といた方がいいだろう」
エコナは一瞬固まった。
「け、見学、ですか」
皿を置いて、どこか忙しない様子で言う。
「エコナが今日休みなの知ってたから、都合の良い日って言われて今日って言っちゃったんだけど、もちろん何か用事があるなら日は移せるよ」
幸助の言葉に、彼女はブンブンと首を横に振った。
「い、いえ、そういうことではないんですが……。き、緊張してしまって」
汗を拭うように何度もエプロンに手を擦り付ける様子を見て、幸助は微笑ましく思う。
「あぁ、そっか。大丈夫、今日は俺も一緒だし」
「ついてきてくれるん、ですね」
庇護欲を刺激する小動物めいた視線に、幸助はしっかりを頷きを返した。
「後、通うことになってからも安心してくれ。送り迎えは手配するし、行ける時は俺が迎えに行くよ。貴族街にあってちょっと遠いから徒歩はキツいし」
「そんな、わたし大丈夫です。沢山歩くの、平気ですから」
力強さをアピールするためか彼女は拳を握ったが、可愛げしか感じられない。
「俺が心配なんだよ。過保護でむかつくってエコナが言うなら、考え直すけど」
エコナは困惑するような、それでいて少し怒るような表情で言う。
「…………こうすけさんに、そんなこと思えるわけないです」
「じゃあ決まりだな。案内してくれるのがリガルの知り合いの娘さんらしいから、時間とれるのが昼休みなんだと。それに合わせて行こう」
エコナは頷いて、それから慌てるように幸助を見た。
「あ、あの……! が、学院に行く時ってどんな服を着ればいいんでしょうか……わたし、そういうのわからなくて……」
「あー、そっか。学生になったら制服があるのかな? 皆同じデザインの服を着たりするんだよ。でも見学だから普通の服でいいんじゃないか?」
「わ、わかりました……普通……普通……普通?」
「あんまり考えすぎないで、普段通りの服装でいいんだよ」
数時間後、エコナが選んだのはシャツの上に幸助のお古のコート、そしてミニスカートだった。
「……お前、ほんとそのコート好きだな」
「こうすけさんに初めてもらったものですから」
そう言われては、それ以上何も言えない。
幸助の服装は後で迷宮攻略に行くこともあり普段通りだ。
やがて家の前に馬車が到着する。
魔動式ではなく、普通の馬車だ。
籠タイプのそれに、二人で乗り込む。
エコナはずっと緊張しっぱなしだった。
やがて馬車が停車する。
降りると、そこは学院の校門前だった。
とはいっても、前庭とでも言えばいいか、その時点で馬鹿みたいに広大だ。
校舎前まで馬車で運んで欲しいくらいには、校舎が遠い。
「お、おっきい、です」
エコナが感嘆するように漏らす。
「はいはーい、私がくだんの学校案内係を仰せつかった女生徒ですよー」
校門前で、女学生が手を振っていた。
とりあえず近づく。
少女は白と赤を基調とした制服に身を包んでいた。
瞳と腰までの毛髪の色はワインレッド。
肌は雪を思わせるほど白く、体格は抱き締めればそれだけで折れそうな程華奢。
しかし不健康な印象は受けない、不思議な少女だった。
「クロさんと、エコナさんですよね? あ、フルネームでお呼びした方がいいですか? 私には気軽に接してもらえると助かりますけど、敬語使えと命令されれば従うつもりですよー」
なんというか、ノリが軽い。
幸助としては助かる。
「いや、呼び方も態度もそのままでいいよ。えぇと……」
「あぁ、失礼しました。名前ですよねー? そちらの名前は伺っていたんですけど、こっちの名前は伝わっていなかったんですかね? まぁリガルおじさまらしいですけど。じゃあ改めまして、アリスグライス・テンナイト=グラカラドックと申します。アリスと呼んでください」
「よろしく、アリス」
「よ、よろしくお願いします、アリスさん」
アリスはエコナを一瞬だけ見た。
にっこりと微笑みかけるが、それだけで幸助に視線を戻す。
「当校をご案内する前に、クロさんにお伝えしたいことがあるんですけど、いいでしょうか」
「ん、あぁ、なんだ?」
「我がグラカラドック家は『紅の英雄』を祖に持つ貴族家でして、学院の創設者でもあります。ですが子孫に『紅』持ちは長らく生まれておらず、かくいう私も『火』に適性が生まれて良かったねくらいの扱いです。まぁ、雑魚ですね、雑魚。だから求められているのは、有能な子供を産むことくらいなんですよね。私としても納得してるので悲劇のヒロインぶる気は毛頭ありません。それを踏まえた上で答えてほしいのですが」
嫌な予感がした。
彼女はとっても良い笑顔で言う。
「どんなことでもしますので、あなたの妻にしてくださいませんか?」