51◇紅の英雄、混乱ス
少なくとも、すぐさま否定するような材料は思い浮かばなかった。
来訪者を転生させているのが神という存在であることは間違いない。
死者を転生させる程の存在は、神と呼んでいいだろう。
転生に必要な要素の一つが『不幸』であることも間違いなさそうだ。
でも他のは不明だった。
性別も年齢も体格も貧富も国籍も美醜も、関係あるとは思えない。
神の目的が英雄とは言わないまでも、現地人に不可能な迷宮攻略を任せられる人材確保だと仮定するのは、そう不自然ではないだろう。
でも、それにしては強さがまちまちだ。
だってそうだろう。
酒場で知り合った友人であるタイガの仲間は、迷宮の守護者に殺された。
もし攻略させるのが目的なら、転生者は全員強くするべきだ。
つまり神の目的を履き違えているか、でもなければ転生者の強さを神が決められないかだ。
「前世で俺より悲惨な目に遭っているのに、アークレアで俺より弱い人は沢山いると思う。つまり、不幸は転生それ自体に必要な要素であって、強さと直接関係するものではない?」
「いや、そうとは言い切れないんじゃないかな。神が異界の人間をどこまで見ているかは分からないけど、もしその心の内まで覗けないなら、客観的な判断では限界があるってだけかもしれないし」
もっともな意見だった。
例えば幸助が妹の復讐をしている、というのを神が見ているとする。
心の内まで覗き放題なら、幸助が何を考えているか分かる。自己嫌悪にまみれた人間であることを理解出来る。
でもそれが出来なかったら。
幸助が途中で拷問の楽しさに目覚め、人殺しこそが目的になっていても気付けない。
そのまま幸助を転生させることを選べば、みすみす異常者を招くことになる。
客観的な事実だけでは、絶対的真実を見抜くには足りないのだ。
神の万能がどのレベルのものかは分からないが、自分で動いて世界を平和にしないことから万全ではないことだけは確かだろう。
不完全だから、完璧な転生を行えないのか。
リガルのような人間がいる反面、ライクのような人間すらも招いてしまうことからも、基準に性格が含まれていないのは明白。
仮に性格込みで判断しているのだとしても、普通の人間が判断する好悪善悪とは無関係なところで選別しているのだろう。
迷宮攻略だけなら性格は関係ないが、ライクがアークレアを平和に導く英雄の器かと問われれば首を傾げざるを得ない。むしろ率先して破壊して回っていたような人間だ。
じゃあ、来訪者は全員等しく英雄候補で。
一部の人間だけが目論見通り英雄になる、ということなのか。
転生するまでステータスにどんな補正が掛かるか、神にも分からないから。
「で、『神様も心の中までは見えない説』を補強する仮説があってね。これは英雄を含めた沢山の来訪者を対象に行われた調査から導き出されたものなんだけど、『前世で何かを求め、その想いが強い程、転生後のステータス補正値も大きくなる』って仮説なんだ」
ガラスの砕ける音が連続した。
一度目は、幸助の指がグラスの脚を砕いてしまったことで。
二度目は、それによって地面に落下したグラスが砕けることで鳴った。
「わっ、どうしたのクロ」
「いや、力加減をミスった。英雄が握っても壊れないグラスとか無いのかな」
すかさず微笑んで誤魔化すが、心中は穏やかではなかった。
今すぐ彼女に縋り付いて、泣きながら謝りたかった。
もし、その説が正しいなら。
レイプされたのちに凍死した妹が、『火』に類稀なる適性を見せたのは。
死の寸前まで、強く強く『温かさ』を求めたからではないのか。
寒いと、死ぬまでずっと凍えていたからではないのか。
幸助がゲームセンターで友達と遊んでいる間、ずっと!
「クロの場合どう? 心当たりある?」
声音を明るく保つのは、とても難しかった。
「……言われてみると、そうかもしれない。さっき目的を果たしたって言ったろ? それを果たすのに、誰の力も借りられなかったんだ。でも利用はした。誰も信じられないから、必要なものを全て自分でどうにかしなきゃって。他人を騙したり、他人から奪ったりしてでも、どうにかしなきゃって。だから『黒』なんだろうな。やりたいことがあるなら、欲しい力を『併呑』して自分のものにしろってことなんだ。自分一人で、新しい目的も果たせるように」
誰が提唱したかは分からないが、その説はきっと正しい。
神様は異界人の心の裡までは覗き見ることが出来ないのだろう。
客観的事実から不幸と判断し、その他諸々の判断基準の許選別して、後は転生させるだけ。
どんなステータスになるかは転生してのお楽しみ。
転生者の中から、特に強い感情で何かを求めていた者には特別な補正が掛かる。
不幸で世界に祝福され、欲求で力を獲得する。
それが来訪者。
「パルフェなんかは過去生でお嬢様だったらしいんだけど、その所為で不自由な生活を強いられたばかりか、人間関係もドロドロしてて、思ったんだって――」
「全部断ち切ってしまいたい、だろ。想像つくよ。その想いが『切断』を『斫断』にするぐらい強かった。じゃあライクは何かな、脚光を浴びたかった、熱狂させたかった?」
「かもね。『暁』って『光熱』属性とも言うし。ルキウスとエルフィとリガルは秘密なんだって。まぁ言いたくないことだったりもするよねきっと」
ここだ。
きっと、トワもここで話を戻すつもりだったのだろう。
「それで、トワは?」
「あ、そうそう。そこで繋がるわけなんだよね。さっきの話にさ。記憶を封じた後にね、エルフィは『英雄になんかならなくていいのよ』って言ってくれたんだ。トワが望むなら学園に入ってもいいし、医院で助手として雇ってもいいし、やりたいことが見つかるまで面倒看てあげるって言ってくれたの。多分、そんな同情してもらう程度には悲惨だったんじゃないかな、過去が。でも、トワは違うなって思った」
「違うって、何が……?」
「意味があるって思ったんだ。母親のお腹に赤ちゃんが出来るのは、酷い言い方すればセックスしたからでしょ。可哀想だけど、欲しくないのに出来てしまう子供もいる。でも来訪者の転生は違う。全員が、明確に神様の声を聞いて、求められてこの世界に生まれ変わったんだ。なら、力を持ったトワ達にやってほしいことがあるんだと思った。だとしたら、それをしてあげたいなって思ったの。だって、トワは不幸だったんでしょ? 記憶を消してしまいたくなるくらい悲惨な目に遭ったんでしょ? でも全部忘れて、生きる道を神様はくれたんだよ。だから、恩返ししたいと思ったんだ。トワに求められるのが英雄って役割なら、果たしたいって」
「……でも、役割を果たすことで、不幸になるかもしれない。迷宮攻略だって、深く潜れば命がけだ。戦争に出れば、敵国の人間を……殺さなきゃいけないこともあるだろう」
幸助は正直、ずっとそれが気がかりだった。
彼女が生きているのは、とても嬉しかった。
過去を忘れているのも、彼女の精神安定を考えれば最良の状態と言える。
でも、英雄でいいのか?
兄として心配してしまえば、どうしても友人のそれを超えてしまう。
その違和感で、彼女の記憶の蓋が開いてしまうかもしれない。
だから、言えない。兄としては振る舞えない。
出来るなら、安全な場所で、幸せに生きてほしい。
それを請う為なら、幸助は彼女の任務を全て自分で背負ってもいいと思っている。
けれど、それは出来ないだろう。実現しない妄想だ。
だから幸助は、遠回りになると知りながら友人として彼女の気持ちを知る機会を探っていた。
トワは視線を下向きにしながらも、答える。
「実のところ、まだ人を殺したことないんだよね。迷宮の攻略ばっかで。戦場にはリガル・ライク・パルフェが率先して向かうから、残りの英雄は基本魔法具確保しようって方針だったんだよ。ほら、クウィンってなんだかんだクロと一緒にいること多いんでしょ? あれも王都ギルティアス近くの迷宮をサクッと攻略して、次の任務が来るまでクロにくっついてるって感じなんだ。……でも、そうだね。可能性で言えば、英雄が人殺しをするのはおかしくない。嫌だし、怖いよ。でも、この戦争、アークスバオナに勝たせちゃだめだって思うの」
「……お前も知ってるのか、アークスバオナの目的を」
「うん、リガルから聞いたよ。……っていうかなんでクロがもう知ってるの。トワがそれ聞くまで三年くらい掛かったんだけど」
ややジト目気味に、彼女は幸助を見上げた。
こころなしか頬が膨らんでいるようにも見える。
「まぁそれは置いておこう。……要するに、俺と同じで『英雄になる為に転生させられた』って思うから、それを果たしたいってことか? でも、無理して演じなきゃいけない役割じゃない。いや、そもそもそんなものはないと俺は思う」
トワは幸助の言葉に、怪訝そうな顔をした。
幸助を不愉快にさせない為か、後から笑うように唇を緩める。
「……変なの。それだとまるで、トワに英雄やめさせたがってるみたい。クウィンとかは喜びそうな言葉だけど、トワは自分の意思で英雄をやってるんだよ。役目を果たしたい。それにね、日本を守りたいの。たまに、ふわっって心が温かくなる時があるんだけど、大体日本のこと思い返してる時なんだよね。多分、記憶が頭に浮かばないだけで幸せなことも沢山あったと思うの。家族もいたと思うし、友達もいたと思う。覚えてなくても、昔大事に思ってた人がアークスバオナに壊されるのは、トワ嫌だから。だから、戦うよ」
止められない。
少なくとも、僚友という立場では。
彼女の抱える想いを、幸助は理解出来てしまう。
幸助だって、両親や友人のいる日本をアークスバオナに壊されたくない。
彼女はその想いを、記憶を失った状態で抱えているのだ。
それぐらい善良で、優しく健気な少女なのだ。
戦わせたくないというのは、兄のエゴでしかない。
クロとしてそれを言えば、侮辱になってしまう。
「ライクを失って穴が空いたなら、それを埋めるのはあいつを殺した俺であるべきだ。当分は迷宮攻略担当でいられるんじゃないかな」
だから、彼女の想いを汚さない範囲で、友人として不自然でない範囲で、彼女を危険から遠ざける。
迷宮が安全とは言わないが、リガルはトワに割り振る迷宮の難度を調整してくれているようだった。心配だし不安だが、実力的に不足する場所には派遣されないだろう。
であれば、忌避感のある殺人は自分が負おう。
元より人殺しだ。
それを『必要なこと』と判断すれば、心を殺して全うすることが出来る。
「クロって、人殺すの好きだったりしない、よね……?」
何を勘違いしたのか、彼女が不安がるように幸助を見た。
その疑うような視線に僅かに心が傷ついたが、おくびにも出さず笑う。
「まさか。喧嘩は好きだけど、やる気の無い人間を殴る趣味もないし、人殺しだってあんまりしたいものじゃない。ただ、しなくちゃいけない時はあると思う」
「戦争、とか?」
「殺し合う以上、どっちが正しいとか論じるのは無意味だと思う。けど、自分達を殺そうとする相手がいるのに何もしないのが正義なら、正義は人を死なせる。殺さず捕まえて説得するなんて、現実的じゃない。攻められたら、反撃するしかないんだ。俺達のもといた世界にもあっただろう、正当防衛だよ」
「でも、戦争を終わらせる為にはこっちからも攻めなきゃいけない。それはもう過剰防衛すらも超えてただの侵攻になっちゃうよ。ライクみたいに……他国に酷いこともしちゃったし」
「でも、アークスバオナの目的は阻止しなきゃいけない。違うな、阻止したいんだ。だから、自分の所属する国が悪いことをしても、離れたりは出来ないよ。許したり、見逃せってことじゃない。ただ、自分達のいる世界が戦時中であると理解して、精神の在り方をそれに合わせなきゃいけない。というか、ライクのやったことは戦争とか関係なしに自分の利益を優先して起こした悪事だよ。戦争だからお互い間違ったことはしてしまうけど、あいつは個人レベルで問題を起こしたんだ。そういう人間だったから、討伐許可が降りた。そうだろ」
トワは無理やり笑顔を作って、えへへと笑って見せる。
「うん……トワも賛成票入れたし、間接的にはもう人殺しだね」
「もし嫌なら……英雄なんてやらなくていいと思うよ」
その言葉に、またしてもトワは怪訝そうな顔をするも、何かに気付くように微笑んだ。
「あ、もしかしてクロ、トワのこと心配してるの? ふっふっふ、確かに見た目は儚げな大和撫子だからね~、心配にもなっちゃうよね~」
「ヤマト……ナデシコ?」
「急に片言になるな! 日本人なんだから意味通じてるでしょ!」
彼女は顔を真っ赤にして怒鳴る。
「んなこと言われても、えぇと? 一体どこに大和撫子がいらっしゃるので?」
わざとらしく周囲を見渡す仕草をする幸助の肩を、彼女が小突いた。
「いるし! 此処に! あーもう、ほんとコウちゃんはいつもいつもトワに意地悪ばっか言ってさー、そういうとこ本当に良くな……い………………――コウちゃんって、なに?」
トワは自分で吐き出した言葉を不審がるように、口元に手を当てた。
「……ご、ごめんねクロ。なんか、いきなり変な名前? が出ちゃって……。コウちゃん? 昔の知り合いかな……?」
心臓が飛び出るのではないかと焦った。
幸助は強く後悔する。
やはり、自分はトワに深く関わるべきではないようだ。
「き、記憶が無くなっても、癖は抜けないって言うしな。それだけよく口にする名前だったんだろう。彼氏とかじゃないか?」
「か、かな。じゃあ、トワみたいな超絶可愛い彼女が死んじゃって、彼氏くん可哀想だね」
「ま、まったくだ」
あはは、と二人で笑い合う。
そろそろ話を切り上げて去るべきかと幸助が考えたところで、トワが言う。
逃さぬとばかりに幸助の腕を掴み、恐怖を感じる程の真顔で。
「ところでさ、前にクロに本名聞いたよね。ごめん、忘れちゃったんだけど、どんな名前だったっけ?」