45◇蒼氷の童女、決断ス
「クロ」
リガルと店内で会話していると、マスターに声を掛けられた。
彼は二階にある、かつて幸助とエコナが宿泊していた部屋を一瞬だけ見遣り、頷く。
つまり『話があるなら、あの空き部屋を使ってしろ。そのまま突っ立ってられると店の邪魔だ。あぁ、エコナを呼ぶのも好きにしろ。そう長く掛からんようなら構わない』という意味だ。
リガルに言うと「……おんし、よく視線だけでその情報量を受け取れるのぉ」と苦笑された。
エコナを呼び寄せ、三人で階段を上がる。
彼女は抗いこそしなかったが、どこか緊張した面持ちで、ベッドの上に正座した。
三人が立つスペースはどうにも確保出来そうになかったからだ。
幸助は机が無い方の壁に寄り掛かり、リガルは入り口に立った。
「……ほほぉ、これまためんこい女子だのぉ。将来美しくなることがこうも予想できる童女はそうおるまいて……。クロ、そう睨むでない。あくまで大人としての感想だ」
「知ってるよ。冗談みたいなもんだ」
「だといいがな……。おんし、娘に色目を使う男を牽制する父親のような目をしておったぞ」
顎を撫でながら、彼がどこか微笑ましげに言う。
「あ、あの……。わたし、どうして呼ばれたのでしょうか……?」
控えめに手を上げながら、エコナが表情に不安を滲ませた。
「あぁ、このおじさんから大事な話があるんだ。リガル」
話の引き継ぎを任せるとばかりに視線を送ると、彼は頷いた。
そして、幸助に先程語ったことを、子供にも分かるような言葉を選びながら伝えた。
「……要するにだの、エコナや、おんしは国に帰ることが出来るというわけだ。村の再建も復興支援という名目で行われる。大変心苦しい限りだが、国家としては謝罪という形を選ぶわけにいかんでな」
それは、仕方のないことだった。
元いた世界でも、過去の戦争に関する謝罪をいまだに行わない国家は多くある。
非を認めるわけにはいかないのだ。
その果てに求められる贖罪もまた、国家規模になると知っているから。
今回のこれは、国家として出来る最大限の譲歩だった。
ライク一人が間違っているとしても、ライクの所属は他ならぬダルトラなのである。
故に「間違ってましたごめんなさい」とは、口が裂けても言えない。
だから今回の件は国家的には“方針転換”でしかなく、奴隷の解放や、違法に奴隷を仕入れた商人の捕縛などは『和平交渉を行う意思表示』なのだ。
それだって本来は簡単に進む話ではない筈だ。
おそらく以前からリガルは準備していた。
ライクが死んだのは、ある意味彼にとっても都合が良かったのかもしれない。
それを聞いたエコナは、とても複雑そうな顔をした。
「あ、あの……ギボルネ人の皆が解放されるのは本当に嬉しい、です。それに、戦争も終わって、皆が国に帰れるもの、泣いちゃうくらい、嬉しいです」
実際、安堵からか彼女の瞳は潤んでいた。
「……でも、わたし、この国に残りたい。そう思っています。それって、許されないのでしょうか」
その答えに、リガルは意外そうな顔をした。
「……いやはや、これは驚いた。そう答えたのはエコナや、おんしが初めてだ。考えるに、おんしはギボルネ人奴隷にしては奇跡的に、出逢いに恵まれたようだの。――いや、すまなんだ、考えるまでもないことであったな。なにせ、クロは出逢って間もないおんしを英雄として上げた功の報奨で名誉臣民にした男だ。ご店主もおんしを雇うような偏見なき善人。なるほどのぉ、クロ、乃公は今、大層感動しておるぞ!」
叫び、彼がこちらを見る。
「素晴らしい! これは可能性だ! 異なる血を持った者同士であっても、絆によって結ばれることが出来るという証明に他ならない! くくく、がっはっはっはっは! おんしにはまだわからんだろうが、これはえらいことだぞ! おんしは世界の構造に抗い、か細き成功への道を歩み切った! それは奇跡に他ならないが、奇跡を起こしてこその英雄だ! エコナや!」
またまたエコナに視線を向けるリガル。
忙しい首だ。
「おんしがクロの許に居たいというのならその意思尊重しようぞ! だがな、相応に現実というものを直視し、選択せねばならない。一度付いた“元奴隷”という認識は、ダルトラ内から簡単には消えんだろう。斯様な国家で生きるというのであれば、おんしは辛き目にも遭うだろうて。ただクロに甘えたいというのなら、国に帰ることを勧めるが?」
幸助は口を挟もうとも思ったが、結局やめた。
事実だからだ。
このまま酒場の娘として、一生を終えるというわけにもいかないだろう。
十年後、二十年後までずっと、幸助の家で家事手伝いとして生きていくのが彼女自身の幸せになるとも限らない。
ゲームではなく現実を生きているのだから、未来を想定して動かねばならないだろう。
リガルはそれを問うているのだ。
ただ幸助を気に入ってるだけなのではないか?
甘えなのではないか?
自分で自分のことを考えているか?
将来を見据えての選択か?
幼い彼女にはまだ早いようにも思うが、ダルトラでは十五が成人。
つまり、二十が成人の日本より、五年早く大人として扱われる。
人間は基本的に肉体の成長に合わせて精神の有り様を差し替えていく生物だ。
肉体に合わせた精神の在り方は、国家や時代によって違って当たり前。
日本だって、元服が十五だった時代と現代では、同じ十五歳でも違っただろう。
『大人』としての差し替えを要求される年齢が五年も下がれば、年齢に対して要求される精神レベルが高くなるのは道理。
この国では、エコナ程の年齢で将来を考えても、なんら不思議ではないのだ。
幸助だって、なにもエコナを追い詰めたいわけではない。
ただ、リガルの説明には選択を迫るだけの価値がある。
エコナの村は多くの男と老人達が殺された。男は逆らった為、老人は奴隷に適さない為だ。
だが、全ての男が殺されたわけでもなく、村落に住む人間が全滅したわけでもない。
直接の両親がいないだけで、幸助と違う、血の繋がった親戚達が生きている。
リガルはちゃんと、その人達にエコナを引き逢わせてくれると言うのだ。
もっというと、彼らの側がエコナを心配しているのだと。
彼女には、その身を案じ、共に暮らすことを願う、家族がいる。
だから、それを選ばず、幸助の許にいるということは、故郷を捨てることに他ならない。
であれば、それに足るだけの理由を示す必要があるというのは、おかしい話ではないだろう。
エコナはやや躊躇いを見せたのち、語り出す。
「……あ、あの。わたし、適性のある魔術属性が、多くて。そういうのって、学院に入学するのに有利になるってクララさんから聞いたりして、そ、それで、あの、こうすけさんのお家にある、魔法具を見て、すごいな、って。わたしも、そういうの、作れる人に、なれるのかなって、思って。それで、聞いてみたら、学院に魔女育成科と魔術師育成科というものがあって、わたし、その、魔術師科、興味あるなって。だから、お金貯めて、いつか入りたいなって思ってて……」
幸助は驚いた。
彼女からそんなこと、聞いたことが無かったからだ。
きっと、言えば幸助がすぐに入学の手続きをとると分かっていたのだろう。
それでは、おねだりのようになってしまう。
彼女は自分の金で、自分の未来を切り開こうとしていた。
幸助が考えるよりも、ずっと『大人』だったのだ。
これにはリガルも大変感心したようで「ほぉほぉ」としきりに頷いていた。
ちなみに魔女が魔法具を研究する者達で、魔術師が魔法具を作る者達だ。
学院というのは、魔術適性を持つ者が通う事の出来る教育機関だ。
ただし、基本的に貴族の血族しか入学試験を突破することが出来ない。
学費の面でもそうだが、そもそも来訪者の血が入っていない者が高ステータスを発揮することが極めて稀だからだ。
ただ、不可能では無い。
「なるほどのぉ。乃公の友にも魔術師の男がおるが、あれは良い仕事だ。発想の実現によって人々の生活を豊かにする。この世界で最も乃公が信を置き、生涯の友と迷わず断言出来るのは奴くらいのものだ。……っと、話がズレたな。ではエコナ、おんしは魔術師となる為にダルトラに残る。そう申すのだな?」
「は、はい……!」
リガルは嬉しそうに頷き、幸助を見た。
「だ、そうだが?」
何かを期待するような目だ。
幸助は分かっているよとばかりに頷き、エコナに近づく。
「エコナ。確かに俺達は対等な仲間だよ。だからお前が、自分のことは自分でと思うのは、とても凄いことだと思う。俺がお前くらいの時は、親に甘えるだけだったから。尊敬するよ、一人の人間として。でも、少し悲しいかな。だってそうだろ? 仲間に夢を聞かされたら誰だって応援したくなるに決まってる。それすらも許してくれなかったことが、悲しいよ」
エコナは焦ったような顔になって、顔の前で手を振る。
「ち、違います……! わたしは、こうすけさんにご迷惑をお掛けしたくなくて」
「うん。それでも悲しい。第一、水臭いだろ。例えば俺が飯作ってとか言うの、お前迷惑だって思うのか」
「ま、まさか! 喜んでいただけるのが嬉しいくらいです」
彼女の返答に、幸助は微笑む。
「俺はな、エコナ。お前の力になれたら嬉しいよ。だから、学院へ入るなら急ごう。必要なことは、俺がなんとかするから」
「で、ですが……。そこまでしていただけても、お返しする方法が、ないです」
エコナはまだ、幸助に遠慮している部分がある。
恩を感じるのも無理は無いが、その上で対等に接することも仲間なら出来る筈だ。
それを、幸助は引き出したい。
「将来、結果で返してくれ。エコナが作った魔法具で、皆を笑顔にするんだ。そうしたら、俺は間接的に多くの人の笑顔に貢献出来たことになる。俺に、未来の魔術師を支える許可をくれ。もし魔術師になる自信がまるで無くて、他にやりたいことも無いっていうなら、お前は国に帰った方がいいよ。だって、少なくともそこには今まで通りの生活と、同じ価値観の同胞がいる。だから、教えてくれ。本気で挑戦するって言うなら、俺も全力でサポートするから」
自分の思いを伝える。
厳しい言葉だって、口にする。
優しくするだけが、情じゃないから。
エコナは傷ついたような顔をして、エプロンの端を手で強く握った。
シワが出来るくらい握り続け、やがて離す。
彼女は、笑っていた。
「……頑張ります。わたし、いつか幸助さんも驚くくらいの魔法具、作りますから」
「あぁ、だから?」
「わたし、学院に入りたいです。手伝ってくれますか? ……いえ、手伝ってください」
彼女が言い直し、その顔に決意が満ちる。
幸助はそれを祝福するように、表情を綻ばせた。
「もちろんだ、エコナ」