5◇復讐者、改悛ス
「何か質問は?」
カウンターに肘を乗せ、その上の手に顎を載せたシロがニタニタ笑いながら尋ねてくる。
「お前、仕事しなくていいの?」
「来訪者が来た時は、非番になるの」
「来訪者が来るって、事前に分かるのか?」
彼女は否定を示すように、首を横に振った。
ふわりと浮き上がった毛髪が、持ち主の動きを追うように揺れる。
「いや、時間帯が決まってるだけ。毎朝確認して、いたら、非番」
それで店が回るというのなら、幸助が何かを言う権利はない。
「一つだけ、気になることがある」
シロは目をパチクリさせた。
「一つだけ? 正直、キミのステータスすごいよ?」
彼女の発言を無視して、問いを優先させる。
「この、加護ってのはなんだ」
特に話をぶり返すことなく、彼女は説明に移ってくれた。
「あぁ、えぇと、この世界には神がいるんだけど」
「神? 信仰の対象としてでなく、実体があるのか?」
「さぁ? でも、加護はあるから、実在はするんじゃない? 神様に愛された人間に掛かるステータス補正のことを、加護って呼ぶんだよ」
幸助はしばし黙考し、それから慎重に尋ねた。
「……この世界に、トワって神はいるか?」
シロは幸助のステータスを事前に確認していたのだろう、不思議がることもなく答えた。
「いないね。多分それ、転生前から持ってた加護だ」
「転生前?」
「あー、うーん、そっちの世界に、守護霊って概念あった?」
守護霊。何かを護ろうという意志を持つ存在。
霊というくらいだから、霊的なものを指す。
「あったが、つまり元いた世界で、守護霊がついてたと?」
「それに近い何かだね。生存率極度上昇だから、余程キミに生きていて欲しいと願っていたんだろう。こういうのは子を想う母とか、恋人を想う一途な女とかの霊が多いかな? 名前付きだし、心当たりはあるんじゃない?」
幸助は返事をせず、そっと目を伏せた。
手と顔に、力を込める。
そうでもしなければ、我慢出来そうになかったのだ。
不覚にも潤んでしまった瞳から、涙が流れ落ちるのを。
――『トワの祈り』。
トワ。
永遠。
妹の、名だ。
神も幽霊も、信じていなかったのに。
永遠は、妹は、自分が死んでからずっと見ていたのだろうか。
復讐に邁進する兄を見て、どうか死なないでくれと祈っていたのだろうか。
だから、たった一人で臨んだ無謀な復讐も成功させることが出来たのか。
だから、自殺を敢行した後で転生するなんて奇跡が起きたのか。
「クロ? なんか、優しく抱きしめたらコロっと落ちそうなくらい、弱った顔してるけど、平気?」
「……そう思うなら、抱きしめるか、無視するかしろ。わざわざ指摘するな」
どうにか、声を絞り出す。
「弱みにつけ込む戦術は使わない主義なんだ」
彼女は称賛を待つように自慢気な顔をした。
幸助は当然、褒めない。
「そうかよ」
「ところでミルク代はあたしが立て替えたわけだから、お礼にエロいご奉仕でもしてもらおうかな~」
「舌の根も乾かぬうちに弱みに付け込んでんぞ」
乾いた声でツッコミを入れると、シロがいひひと悪戯っぽく笑った。
「で、どうよ、クロ」
「どうって、なにが」
「この世界でも、きみは自殺したいかい?」
その質問への答えは、もう決まっていた。
「――いや、自殺はしない」
きっぱりと断言する。
一度気付いたらもう、気付かなかった頃には戻れない。
この命は永遠が繋いでくれたものだ。
妹が護ってくれたものだ。
だから二度と、捨てようとはしない。
「一応訊くが、元の世界に戻る方法は無いのか?」
彼女は頬に指を当てながら首を傾げる。
「んー? 多分ないね」
「多分?」
「戻れるとしても、それはこっちに伝わらないし」
確かにそうだ。
行き来出来るなら別だが、戻るだけならこの世界から消えるわけだから、本当にその人物が戻れたのか確かめる術がない。
戻れたと誰かが語っても、該当人物が失踪しただけかもしれないわけだ。
信憑性に欠ける。
「あと、戻ろうと思う人が極端に少ない」
その言葉に、幸助は納得する。
「…………あぁ、なるほど。生前不幸だった人間だけが、転生出来る」
「そう。元いた世界で不幸になって死んだ人が、元の世界に戻りたがるわけないよね」
「だとしても、恋しくなるやつはいる筈だ」
意気揚々と国を出た人間の中にだって、ホームシックに罹る者はいる。
強制的に異世界へ飛ばされるとなれば、その数はもっと多くてもおかしくない。
「かもね。でもそれを表立って口にする人は、やっぱいないよ。それに」
「それに?」
「クロはまだ実感がないかもしれないけど、初期ステータスってね、元いた世界で不幸だった程、高くなるんだ。つまりね、生前不幸だった人間程、この世界では幸せになれるの。それってさ、本当に、ほんっっっとうに! 素敵なことでしょう?」
それは一切の虚飾を引き剥がして覗く、本心だけで作られた表情。
心の底からの喜びを表現するために形作られた、聖母のような笑み。
幸助はそこでようやく、シロの人物像をぼんやりと把握することが出来た。
彼女は、この世界が好きなのだ。
元いた世界で不幸だった者が飛ばされ、幸福になることが出来る世界。
その水先案内人になれることに、生き甲斐すら感じていることだろう。
幸助のことを気に入っているというのも、それが関係しているに違いない。
ステータスがすごいと言われたが、つまり、他の来訪者と比べても、相当に不幸な目に遭ってきたということ。
妹が殺された時の苦しみは、確かに他者のどんな苦しみに劣るとも思わない。
シロにとって幸助は、幸せを掴むべき人間なのだ。
ついつい助けてあげたくなるのだろう。
それはでも、彼女の不幸からくる優しさだ。
同病相哀れむ。
そんな親切心。
しかし幸助はそれに気付きながら、ありがたく受け取っておくことにした。
「そうだな、素敵だ。でも、だとしたら変じゃないか?」
幸助の質問に、彼女は首を傾げる。
「変? なにがかな?」
「俺のステータスが凄いと、お前は言った」
「うん」
「だけど、元いた世界にも、そうじゃない異界にも、俺より不幸な奴なんて幾らでもいる」
妹がレイプされ、その後に凍死した。
確かに不幸だろう。それを感じるのが幸助自身なのだから、世界で一番不幸と思うのも自由だ。
けれど、幸助はそこまで自分を哀れむことが出来ない。
どうしても客観視してしまう。
俺より辛い目に遭っている奴なんて、星の数程いるよ。
そう思ってしまう。
シロも質問の意図を理解したのだろう、「あぁ、そういうこと」と頷いた。
「えぇとね、クロって頭の回転速いっぽいから、ヒント出す方向で行くけど、全ての異界から、不幸っていう基準だけで皆アークレアに転生すると思う?」
言葉を受け、幸助は納得した。
「有り得ないな……。異界が言葉通り『別世界』だとしてもそうだし、お前の発言から日本だけでも沢山あると推測できる。つまり、俺のもといた世界で言うところの『平行世界』も含むわけだ。どんなところだって人間は不幸になるし、最後は死ぬんだから、不幸な奴を片っ端から送るなんてことしたら、この世界がパンクする」
もしルールがそこまで異界の人間を救済してしまうなら、幸助に殺された者だって転生資格を持つことになる。
幸助にとっては正義でも、殺される者からすれば納得出来ない不幸なのだから。
「だよね。だから基準があるんだと思う。それに、『最期の言葉』の違いも気にならない? あたしは神様に憐れまれたよ? 事故死だからかな」
「俺は『勿体無い』とか言われたな……。自殺だからだと思うが。不幸な者を等しく転生させてるわけじゃないのは理解した。でも疑問は解消されてない」
「うぅん、そうだねー。あたしが知ってる人だと、『二十年来の親友に十五年付き添った妻を寝取られた挙句、金をせびりに来た娘の彼氏に殺された』って過去を持った人がいるけど、その人は来訪者として普通のステータスだったよ。いや、普通よりは上だったかな」
「でもお前が言ったように、基本は不幸であればある程ステータスが高くなるんだろう? ……いや待て、そもそも不幸なんて感じ方一つだろう。数値化なんて出来ないはずだ」
シロは困ったように頬を掻いた。
「その通りだね……あはは。あたしも皆の過去を聞いたわけじゃないから、傾向かな。単純に悲惨な目に遭っていればいいってわけでもないけど、そうである人は、そうじゃない人よりも強いことが多いから。転生する時点で皆不幸なんだけどね。あたしから言えるのは、そんな感じ」
無理のない話だった。
彼女は案内人を自称しているだけで、幸助の先輩来訪者でしかない。
どこまでいっても、予想以上は出来ない。
神あるいは神達が、何かしらの条件で不幸な者を選別し、一部を転生させる。
基本的に酷い目に遭っている程ステータスが高くなる傾向にあるが、絶対ではない。
幸助のように、既にこの世界にいる来訪者に驚かれるような高ステータスを持つ者もたまにいる。
今わかるのは、そんなところだろう。
これ以上議論したところで、推測の域を出ない妄想を量産するのが精々だ。
幸助は話題を切り上げることにした。
「ひとまず話はわかったよ。それで、シロ」
「なんだい? クロ」
「俺が幸せになるには、どうしたらいい?」
その言葉を受け。
シロは、とてつもなく嬉しそうに相好を崩す。
「この世界で幸せになる覚悟が、ようやく出来た?」
「あぁ、誰に否定されても、この命を生きる」
自分は何人も殺した復讐者で、人殺しだ。
それでも妹が、そんな幸助に生きていてほしいと願ってくれるなら。
生きよう。
誰に許されなくても、永遠の祈りは、自分が叶え続けるのだ。
ミルクを一口含んだクロに、シロは言った。
「そうだね。まずは、ダンジョン攻略者になるのがいいと思う」