44◇霹靂の英雄、宣言ス
「頭をあげてくれ、『霹靂の英雄』殿」
さすがに土下座されて平常運転とはいかなかったのか、磨いている途中のグラスコップを置いて、マスターが渋い声で言う。
さすがというべきか、表情の方は普段と変わらない。
「そもそもが、貴殿に原因のある事件ではないだろう」
「否、そのようなことはないッ。乃公は、乃公だけでなく多くの者が、奴の危険性を把握しておったのだ。だが、もたらされる成果の大きさに、目を瞑ることをよしとしてきた。悪趣味ではあっても悪辣ではないのだと、乃公は己を騙し、誤った評価を下したのだ! その結果がこれだ! 奴の非道極まる大逆は、乃公の不熟が招いたと言っても過言ではない……!」
幸助は、そんな彼を見て、尊崇の念が込み上げてくるのを止められなかった。
例えば、部下の失態を上司が謝罪する、ということは元いた世界でもよく見られた光景だ。
しかし、多く、頭を下げる理由は『仕事だから』であり、もっと言えば『許してもらう為』だった。
彼は今、『申し訳ないと心から思っているから』謝っている。
だって、一言も、許してほしいなどと、そう受け取れる言葉を口にしていない。
ただただ、頭を下げるべきと考えて、誠意ですらない当たり前の行為として、謝罪している。
「であれば、なおさら貴殿は頭をあげるべきだ。時は巻き戻らず、事件に対し求めるべくは解決以外に無いのだから。そして、それはそこな少年、クロによって果たされた」
「まったく、ご店主の仰る通りだ! しかし、こちらの気が済まぬ!」
「……そうか。だが此処は酒場。平伏す男の背中を嗤う類の店ではない」
「では、どのようにすれば」
マスターは視線で、それを示す。
「この小袋、入っているのは金か」
「あ、あぁ、そうだが」
「このまま、受け取ることは出来ない」
「…………と、いうと?」
幸助は、マスターの意図に気付き、笑った。
それは、シロも同じようだった。
「つまり、こういうことですよドンアウレリアヌス卿。謝罪は受け付けません。それでもあなたがそれをあたし達に示してくださるというのなら、ただお金を渡すのではなく、客として売上に貢献してください。まさか英雄殿の稼ぎが夜の一杯分とは思えませんから、使い道は考えていただく必要がありますが」
シロのその発言に、リガルは全て理解したようだった。
真剣な表情を崩し、「お気遣い、痛み入る」ともう一度頭を下げてから、立ち上がる。
「そういうわけだ、諸君! これからこの金が尽きるまで存分に飲み食いしてくれ! そうしていただけると、愚かなる乃公の心が、僅かに慰められるでな!」
オォォ!! と、客達が叫んだ。
がっはっは、と笑ってから、リガルは再度幸助に近づいた。
「んじゃ、そろそろ会議、行くか」
幸助が言うと、「いや」と首を横に振り、彼は続ける。
「実は、今日参じた理由は二つあるのだ。探し人が、残っておる」
「……そうか。そいつの名前、聞いていいか? 俺の知ってる奴なら紹介出来るが」
「あぁ、頼みたい。乃公が探しておるのは、ギボルネ人の童女だ。名を――エコナと言ったか」
幸助は一瞬、硬直する。
どうにか、すぐに言葉を返す。
「エコナに、どんな用が?」
それに、リガルは困ったように笑い、頬を掻く。
「乃公の女癖については聞き及んでることと思うが、そう警戒めされるな。乃公は反応する年代がバシっと決まっておる。三十を超えた、成熟した美にしか興味は無い。幼子はもちろん、おんしの連れ合いを掠め取るつもりもない! がっはっは!」
「そうかい。別にそんな危惧はしてないが、それとは別のところで安心したよ」
彼のような好漢が、二回り、三回り以上下の小娘を性の対象として見るばかりか、手当たり次第に手を出すような輩でなくて良かったという安堵は、確かにあるが。
「ふむ、では純粋に理由が疑問だったか。……ライクの担当問題に、ギボルネ侵攻があったのを、知っておるか?」
リガルは声量を落として言う。
そうでなくても店内の喧騒で音の通りは悪かったが、幸助の耳は確かに聞き取る。
「あぁ、殺す時大層自慢してたぜ。奴隷商とも繋がりがあるとかなんとか」
「まさにその件だ。乃公はしばらくアークスバオナとの戦いに身を投じてきたが、その弊害か他の英雄の動向に気が回らなくなってしまってな。奴の不正行為をみすみす見逃す羽目になってしまった。おんしらに掛けた迷惑もそうであるし、大きなところで言えば――ギボルネの先住民に対する非道である」
アークスバオナ。
幸助らの所属するダルトラに次ぐ軍事力を持った国家だ。
現在、戦争状態にある。
「…………敵を殺して、使える人間を奴隷にするのは、俺個人の気分としちゃ最悪だが、国の判断としてはそう珍しいもんでもないと思うが」
「乃公としても同感だ。感情的に受け入れられずとも、制度として存在するものを英雄の一存で消滅させることは出来ぬ。だが、本来ダルトラが求めていたのはギボルネ領土内に存在する未攻略の迷宮郡であって、ギボルネの領土そのものでもなければ、労働力としての奴隷でも無い。元々は交易関係にあった友好国なのだから、交渉の席につくのが筋というもの」
幸助は表情が歪むのを止められなかった。
自然と、吐く言葉も重くなる。
「…………おい、まさかとは思うが、それ、ライクに行かせたんじゃないよな?」
「王室と軍部は、手が離せぬ乃公に代わり、ルキウスを調停役として推薦した。だがそれにライクが反発したのだ。知っての通り、乃公以外の英雄は皆年若い。年嵩の乃公ならともかく、ルキウスはあまりに若い。若過ぎるともとれる程に。残念なことだが、若い者を国家の代表として派遣することは、他国に無礼と受け取られることも少なくないのだ」
「それは、わかるが……」
失敗をしたバイトを叱りつける客が、店長を呼べと叫ぶ心境に似ている。
つまり、『責任を持つ』存在は若く未熟な者でなく、相応の年齢と役職を兼ね備えた者であってほしいという願望が、多くの人の胸にはあるのだ。
英雄といえど子供。
そう思われては、交渉が不利になる。
そうでなくとも、失礼にあたる、と向こうが受け取る『かもしれない』。
とはいえ、本気で交渉しに来ているというスタンスを見せる為には、七人しかいない英雄を同行させるというアピールは欠かせない。
性格的にも能力的にもルキウスで不足するとは思えないが、ライクは年齢という面でのみルキウスに優っていた。
そこを強く主張し、任務を勝ち獲ったのだと。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。じゃあなんだ? あんたがアークスバオナと戦ってて、王室と軍部がライクなんかに説得された所為で、死ななくていいギボルネ人が死んで、不幸になる必要の無い人間達が奴隷になったって? ……それはちょっと、ふざけ過ぎだろ」
それが理不尽であると知りつつも、彼へ返す言葉が鋭さを帯びてしまう。
「……無論、本職の調停者の補佐という形で、だ。しかし奴の独断専行は誰もがよく知るところ。交渉は、あっという間に侵略戦争と化した」
言葉を失うとは、まさにこのことだった。
幸助のもといた世界でも、たった一発の弾丸で戦争が始まった例はある。
つまり、弾丸一発で充分なのだ。
引き金を引く人間一人いれば、人は集団として争いを始めることが――出来てしまう。
込められた弾丸を魔法、引き金を引く人間を英雄と変えても、構図は変わらない。
この際、乱暴に言い切ってしまうが。
ライクの所為で、エコナは奴隷に落とされた。
「……もし、あんたがそれを、エコナに謝罪しに来たっていうなら、悪いけど遠慮してくれ。謝られたって、あいつの気持ちがざらつくだけだ」
歯で磨り潰されたような、声が出た。
しかし、幸助の予想は、的を射ることが出来なかったようだ。
「確かに、おんしに言われねば謝罪もしたかもしれん。……その点、配慮が足らなかったことを認め、おんしにこそ謝罪しよう。申し訳なかった。だが、乃公が彼女との面通を望んだのは、何も無意味に頭を下げる為ではない」
「じゃあ、なんだっていうんだ」
幸助の問いに、リガルは答える。
「此度、ギボルネとの和平交渉を乃公が任されることと相成った。
既にライクと繋がりを認められた奴隷商も潰し、多くの持ち主から奴隷の回収も済んでおる。
現在はエルフィの診療所にて調律を受けたのち、仮設居住区に移り住んでもらっているところだ。
よいか、ギボルネとの戦争は終わる。
軋轢がすぐに埋まることはないだろうが、そこは乃公が全力を賭して解決に努めるつもりだ。
つまり、こういうことだ、クロよ。
ギボルネの民は、国に帰ることが出来る。
おんしの許におる童女にも、それを伝えに参ったのだ」