40◇黒の英雄、遭遇ス
黒野幸助は、十八歳の少年だ。
最愛の妹を死に至らしめる原因を作った犯人グループを単身皆殺しにし、復讐を果たした彼は、生きる気力を失い、自殺した。
死に、そして、彼は――転生した。
異世界での出逢いを機に、幸助は生きる活力を取り戻し、前世の不幸によって得たステータス補正を武器に、冒険の日々に身を投じる。
様々な出逢いと事件を経て、彼は英雄と呼ばれるに至った。
愛する女性を見つけ、相思相愛の仲にもなった。
けれど、現実は、そこでハッピーエンドとはならない。
エンドロールが流れて、後は想像にお任せ、とはいかない。
そう。
現実はただただ、続いていくのだ。
「くっ、中々やるでありますが、この辺りで塵と還るが良いでしょう――【闇を祓えと命ずる[エイヴィル・ウォン]】!」
星々の煌めきを散りばめたような金髪を持つ少女だ。
その煌めきを宝石にしたような瞳をしている。
少しでも視界を確保する為に、カチューシャを着用している。
生真面目そうな顔をしていて、眼鏡がその雰囲気を助長しているように思う。
プラス・ラプラティクス=ガンオルゲリューズ。
神話に登場する二十七名の英雄の中でも、特に活躍する七英雄の一角、『燿の英雄』ローライト・ガンオルゲリューズが末裔。
しかし、のちに貴族と存在を改めた英雄達の後継者らは、その血が薄まるごとに、力をも衰退させてきた歴史がある。
だから、プラスはお世辞にも、英雄と呼ぶに足るステータスを有してはいない。
しかし、その志は本物。
故に幸助は、彼女の訓練に付き合うことにした。
攻略者が潜る迷宮は、大きく二つに分けられる。
神の試練に挑む塔迷宮――神域。
悪神の配下である魔物を討伐する――悪領。
幸助と彼女、加えてもう一人の同行者が今いるのは後者。
拠点にしている都市・王都ギルティアスの北門から出て、馬車で北北東へ向かうこと三十分。
森があり、その中に、泉がある。
そして、泉から僅か数メートルの位置に、空洞がある。
半径五メートル程の、大穴だ。
そこから縄でするすると降りる――のではなく、魔動式の昇降機が配備されているので、それを利用して降下すると、土に触れる。
一本道なので、更に進むと、一気に脇道が増える。
イメージ優先で言うと、鉱山タイプのエリアだった。
中難度『闇』迷宮――ポーラダーシュ。
モンスターの強さよりも、内部構造の複雑さが難度を上げている。
しかも迷宮は不定期に内部構造を一変させるというので、長く探検して地図を作る、という行為も長期的には意味を持たない。
そこで、この迷宮攻略に役立つのは『認識』属性の魔法だ。
魔法の分類は、以下の四種。
『火』『水』『風』『地』『雷』『光』『闇』の七つを指して――自然属性。
魔術適性を持つ人間の実に八割から九割はこのいずれかあるいは複数の適性を持つ。
『切断』『粉砕』『貫通』『治癒』『損壊』などを指し――事象属性。
これらの魔法に適性を持つ人間は比較的珍しい。用途も単純で、使い勝手が良い。
『白』『黒』『紅』『蒼』『翠』などを指し――色彩属性。
幸助や、もう一人の同行者が該当するが、保有者は極めて稀。
基本的に、適性を持たないという事実は『適性を持つ者よりもそれを扱う才能に劣る』という意味合いでしかないが、色彩属性と後述の概念属性に於いては、使用不可を指す。
『死』『時』『理』などを指し――概念属性。
これは悪神が使ったという記述があるのみで、人間側に適性持ちはいないとされる。
『認識』は事象属性に含まれるものだ。
自分の空間認識能力を飛躍的に上昇させる【我其の地網羅し[クラヴェリ・キャベリ]】によって、幸助達は迷わずに攻略を進めることが出来た。
全七層の内、その二層目である。
このあたりに出没するのはボラボラと呼ばれる、武装した骸骨の兵士だ。
人間の骨格を思わせるが、死者が動いているのではない。
あくまで魔物だ。
プラスが最後の一体を、低級『光』魔法で倒す。
彼女は中級魔法までなら難なく操るが、出し惜しみしたわけではない。
単純に、魔力が足りなかったのだ。
光球が激突し、皮鎧を装備しただけのボラボラが、砕け散る。
骨がガラガラと落ち、死んだ。
彼女は息を切らし、膝に手をつきながらどうにか呼気を整える。
「ふ、ふふっ、勝った、勝ったであります! 見ていましたかクロ殿! 不肖プラス・ラプラティクス=ガンオルゲリューズ、七体のボラボラを単身撃破致しました!」
彼女はまだ戦闘による体温上昇によって顔を僅かに上気させながら、興奮も露わに叫んだ。
幸助に向かって、実に健全な笑顔を向けている。
「あぁ、確実に強くなってるな」
存在しない才能が開花することは無い。
ただ、意識を変えることによる、成果効率の上昇は誰にだって充分見込めるものだ。
特に、彼女は勤勉で努力家。
土壌はあった。
最初は二体が限度だったが、ここ一週間程で七体までは一人で倒せるようになったようだ。
ちなみに幸助と、もう一人の同行者――クウィンも棒立ちしていたわけではない。
小さな横穴から無数に出てくるボラボラを片っ端から倒し、プラスが戦闘に集中出来るよう調整した。
だから、周りは骨だらけだ。
意図せずとも、歩くだけでそれを踏み砕いてしまう。
「……クロ、今日、もう、終わり、だよね? プラス、魔力、ゼロ」
クウィンが、欠伸を漏らしながら、言う。
以前よりはプラスにも好意的かつ協力的になったが、基本的に関心が無いようだ。
クウィンティ・セレスティス=クリアベディヴィア。
当代の『白の英雄』、その人だ。
来訪者ではなく現地人が英雄になるという極めて稀なケースで、英雄であることを望んでいない。
むしろ、どうにかしてやめようと目論んでいる。
それ自体が発光しているのではないかと疑う程美しい金髪を、膝のあたりまで伸ばしている。
目は、さながら紅玉のよう。
露出の高い衣装に身を包んでいる。
ローブの下にビキニ。腰にはパレオ。後は靴。
そして、巨乳だ。
プラスとは同じ金髪だが、彼女が軍服風の服装であり、かつ貧乳、更には眼鏡やカチューシャなどで差別化がなされているからか、幸助が二人を見間違うことは一瞬足りとも無い。
「あぁ、そうだな。プラスも、取り敢えず今日は終わりにしよう。剣術もそこそこになってきたが、『光』魔法が無いと此処の魔物を殺すのはキツい」
彼女は抗うことなく、素直に頷いた。
「はい。……しかし、小官、日に日に強くなっていると実感しております。これもひとえに、クロ殿、そしてクリアベディヴィア卿のおかげであります!」
彼女は汗を拭き、健康的な笑みをこちらに向けてくる。
「別に。わたし、何も、してない」
照れているわけではなく、本当にそう思っているようだ。
プラスが七匹を相手取っている間に、幸助とクウィンはそれぞれ三十体程を倒していた。
それこそが、彼女の着実な成長を補助していたのだと、自覚していないらしい。
まぁ、幸助も恩を売ろうという気は無かった。
「あぁ、クウィンの言うとおりだ。今の戦いの結果は、お前が頑張って手に入れたものだよ」
そう言うと、彼女は、堪え切れないとばかりに頬を緩ませる。
「そ、そうでありましょうか……。い、いえ、そうでありますね! 小官は強くなりました! クロ殿に並ぶ日も近いでしょう!」
クウィンが彼女に聞こえないくらいの小声で「千年あっても、無理」と呟いていたが、幸助は咎めるのをやめておいた。
声量からして独り言だろうし、プラスにも聞こえていないのだ。
きっと以前までなら、面と向かって言っていただろうから、むしろ進歩と取るべき。
三人は入り口まで戻り、昇降機を利用して地上へ戻る。
こちらも駐屯する正規軍がいた。
統括隊長は四十三歳の女性で、エスタクリフェカと名乗っていた。
エスタが愛称らしいので、そう呼ばせてもらうことにする。
英雄に敬語を使われたくないと言うので、少し躊躇したが、思いを汲むことにした。
四十三とは言うが、エスタは若々しい。
パーマがかった赤髪と、琥珀色の瞳を持つ。
体は引き締まっていて、けれど細身だ。
「お疲れさん、両英雄殿に、ガンオルゲリューズ家のご次女様。今日は何層まで行けたんだい?」
軍は森の周囲を封鎖していて、通行口として認められているのは一箇所だ。
そこを通る際、近くにいた彼女が声を掛けてきた。
プラスは軍属時代の癖か、一瞬で敬礼姿勢を取る。
エスタが苦笑しながら「楽にしろ」と言うのを待ってから、幸助は答える。
クウィンは無言で馬車の引き取りへ向かった。
「二層だよ。元々守護者目的じゃないけど、やっぱ鉱山タイプは進むだけで時間食うから大変だ」
「はは、そうかいそうかい。英雄が二人いても、時間の問題はさすがに解決できないか。道理だね」
エスタは楽しげに唇を歪めた。
そこに嫌味の響きは無いので、幸助も「英雄は神じゃない」と笑いながら返す。
「いいね、その答え。あんたは自分が人間だとちゃんとわかってるようだ。あたしゃ凡人だけどね、あんたらよりちぃとばかし長く生きてる。秘訣はね、身の程を弁えることだ。無茶は、可能な限り回避する。自分を万能だと思っちゃいけないよ。……まぁ、あんたらには言うまでもないことだろうけどね」
苦笑するエスタに、幸助は首を横に振り、否定する。
「いや、心配してくれる人は貴重だ。これからもどうか、俺たちを子供扱いしてくれ」
「くくっ、まったく面白いガキだよ、あんたは」
クウィンが魔動馬車の引き渡しを終え、乗ってきた。
以前式典の際に乗ったものとはタイプが違い、籠ではなく、普通の馬車を思わせるデザインだ。
幌馬車と言うのだったか、木製の屋根に、幌が張られている。
無理に詰めれば十数人は収まるだろう大きさ。
魔動というわけで、魔力式なので、運転手が必要。
プラスは魔力切れで、幸助はエスタと喋っていたので、彼女が運転して来た。
幸助とプラスの前で、止まる。
御者が座る位置に水晶が埋め込まれており、そこに魔力を流すことで車輪が動く。
車のように車輪の駆動域が広いので、方向転換も自在だ。
三人で乗り、街道に出る。
ゆっくりと、風が肌を撫でた。
それが、とても心地いい。
夕日から届く、淡い光を受けながら、馬車は走る。
そして突然に、止まった。
進路上に、人影が飛び出して来たからだ。
その人物を見て、クウィンが表情を歪ませる。
少女だ。
くすんだ銀色の長髪は二つに分かれていて、先端がカールしている。
言葉を選ばなければ、螺旋状で、ドリルっぽくもある。
幸助の語彙で、その服装を表すなら――ゴスロリ。
しかも、白ゴスだ。
銀灰色の瞳に、童顔。
顔には自信が満ち満ちている。
自分のことをとても大好きな人間がよく浮かべる表情だ。
ちなみに、胸部に膨らみは感じられなかった。
「…………クロ」
「なんだ」
「轢いて、いい? 責任は、負う」
「お前がその子を嫌いなのは分かったよ。知り合いか?」
「何をこそこそと喋っていますの!? というかあなた、おねえさまとの距離が近過ぎるのではなくて!? 二秒差し上げますから可及的速やかに半径八メイル以上離れなさいな!」
それだと馬車から降りなければならない。
ちなみに、メイルは大体メートルと同じだ。
正確には違うらしいが、ズレが生じる程の距離で計ることを幸助はしないので、特に不都合は無い。
「…………おねえさまと来たか。随分とまた、濃いなぁ」
もちろん、個性のことである。
「俺は、クロ。いきなり馬車の前に飛び出すのは非常識だし、それ以上に危険だ。きみの名前と素性を聞かせてくれないか」
名も知らぬ少女は、幸助の言葉を鼻で笑った。
「ふっ、危険? わたくしに激突なんてしたところで、危険なのは馬車の方でしてよ? 何故かって? いいでしょう、訊かれて名乗らぬは英雄の恥、その耳にわたくしの声が入る幸福に涙なさい――わたくしは、何を隠そう『斫断の英雄』パルフェンディ・フィラティカプラティカ=メラガウェインですわ! ダルトラを守護せし剣であり、クウィンおねえさま唯一の――愛弟子ですの!」
「クロ、あれ、嘘。わたし、弟子、とらない」
クウィンはとことん冷静だ。
「お前の態度からなんとなく関係性が透けて見えるよ」
ちなみにプラスは疲れからか眠りこけている。
「それで、その英雄様がどんなご用件で?」
「ふっ、男にしては良くぞ訊いたと言うべき発言ね。よくってよ。とはいえ、命令違反ですわね。あなた、いまだにおねえさまの近くに陣取っていますわ。勧告無視は、敵意の表れ。丁度、『黒の英雄』とやらの実力も試してみたかったことですし、いいですわいいですわ。殺し合いを、始めますわよッ!」
そういえば、『斫断の英雄』は戦闘狂と聞いた。
それがクウィンに心酔しているところを見るに、強者には敬意を表すタイプなのだろう。
「クロ、これ、轢こ? わたし、大丈夫、だから」
「いや、正直、俺も戦うのは嫌いじゃないんだ。武器持った骨を幾ら砕いても足りない。運動不足を解消出来ると思えばいいさ。大丈夫、殺し合いとまでは行かないよ」
「あら、男の癖に潔いのですわね。ポイント高いですわよ」
馬車から飛び降り、向かい合う。
「へぇ、光栄だな。今何ポイント?」
「五ポイント加算致しまして、累計マイナス九千九百九十九億九千九百九十九万九千九百九十五ですわ」
「元の値がマイナス一兆って俺はお前に何をしたんだ」
彼女の表情が、出逢って初めて、曇る。
「……わたくし、事実だとしたら許されざる、そんな噂を聞きつけましたの」
「聞かせてくれ」
「く、クウィンおねえさまが…………『黒の英雄』などという、男に、懸想しているとかいう、根も葉もないデマですわ! 根も葉もないデマですわよね!? そう言ってくださいまし!」
しかし、クウィンはなんてことのないように、言ってしまう。
「うん、クロ、好き。大好き」
「ぐひゅっ」
パルフェンディは膝をついた。
「ち、ちなみにおねえさま、わたしくのことは、この男の何億倍愛してくださってますの?」
愛されている前提なのが、凄いなと幸助は感心した。
「……? あなた、嫌い」
「………………嫌よ嫌よも好きのうち、ですわ」
ポジティブシンキングSSSというスキルでも持っているのだろうか。
不屈の精神だ。
少女は立ち上がる。
その瞳が潤んでいるような気がしたが、幸助は指摘しなかった。
とにかく、戦いはするらしいのだから、問題無い。
闘志を感じる。
激烈な、戦士にしか発し得ない覇気。
「………………おねえさまに近づく害虫に、死を」
「どうでもいいけど、喧嘩するなら女とか関係ねぇぞ」
「いい心がけですわ。ポイント加算して差し上げます」
「……今何ポイント?」
「五ポイント加算致しまして、累計マイナス一兆九千九百九十九億九千九百九十九万九千九百九十ですわ」
さりげなく、五足される裏で一兆引かれている。
ゼロまでが既に果てしない。
「クロス・クロノス=ナノランスロットだ。戦闘狂なんだろ、つまんねぇ喧嘩すんなよ」
「パルフェンディ・フィラティカプラティカ=メラガウェイン。あなたを消し、おねえさまの目を覚まさせますわ」
クウィンが、小さく欠伸をした。
眠いのかもしれない。
二人の英雄が、喧嘩を始める。