39.118◇エコナ・ノイズィ=ウィルエレイン、贈答ス
ギボルネ人は北の大地に住まう者だ。
侵攻する側のダルトラ人が、先住民という呼称を用いているのが、エコナには悲しかった。
それはつまり、先と後を区別するつもりがあるということ。
ギボルネ人は、迷宮攻略に興味が無い。
場所によってはギボルネ人ですら遭難する、白に閉ざされた土地。
連なる山々が天然の要害として機能することに加え、その気候がギボルネ人にのみ有利となる為、数で圧倒的に不足する民族ながらも、長くダルトラの侵攻に耐えている。
そう、耐えているのだ。
本来、ギボルネ人は争いを好まない。
ダルトラ人が、それを戦争と言った時、エコナは悔しくて涙が出そうだった。
そっちから仕掛けてきて、それでもこちらは攻勢に出ず防衛に徹し、停戦や休戦を何度も提案しているというのに、聞く耳を持たないのはダルトラだ。
ダルトラ国民全員の総意でなくとも、行われていることは事実。
戦争なんて、そんな仕方のないことみたいに言われるのは、おかしいことに思えた。
ギボルネ人は、男が狩猟、女が畑仕事と役割分担がハッキリしていた。
北の大地とはいえ、緑を許さないわけではない。
土は痩せ細ってこそいるが、作物も実る。
狩猟は食料調達と同時に、毛皮入手という副次的側面があった。
更に、ギボルネ人の用いる衣装や道具は他国民には珍しいらしく、それらも売れた。
毛皮と合わせて、それらを売ることで金銭を得て、それで必要物資や食料を購入する者も多くいた。
今では、きっと難しい。
ダルトラが言うところの、戦争が始まってしまったから。
夜、眠りについた後のこと。
騒がしさにエコナが目を覚ますと、父が既に起きていた。
彼は大丈夫と微笑み、エコナを撫でてから、外へ出て行く。
ジュッ、ジュッ、と瞬間的に水が沸騰するような音が、何度も聞こえてきた。
やがて、音が収まると、聞き慣れない声が、村落中に響き渡る。
「愚かなる山猿の駆逐は完了したッ! 貴様らは今より、奴隷となるのだッ!」
今思えば、最近、似たような声を聞いたような気がする。
正規軍では無かった。
奴隷商の一団だ。
残った男は労働力、女は娼婦、子供は買った者次第でどうにでも。
そんな言葉が聞こえたし、意味はなんとか分かった。
「妻と娘、離すシロ、ダルトラ民、蛮族メッ!」
身体の半分が焼け落ちた父が、それでもこちらへ向かってくる。
「融かし漏らしか、殺せ」
暗くて、声の主は見えない。
松明では照らせない距離にいるのか。
とにかく、エコナは叫んだ。
父の首が、刎ねられる。
母は俯き、涙を押し殺しながら、エコナを抱えて走りだした。
注意が父に向いている間に、エコナを連れ出そうとしたのだ。
でも、その母が、転んでしまう。
違う。
頭が無かった。
首の断面から、肉の焼ける匂いと、煙が昇り立つ。
「なに? メスだったのかぁ? それは勿体無いことをした。まぁいい、ガキの方だけ捕まえろ」
そうして、エコナは奴隷になった。
奴隷としての態度というものを、徹底的に教えこまれた。
とにかく、怖くて仕方なかった。
どうすればいいかわからないから、従った。
だって、父も母も、もういない。
家族同然の村落の人たちとは離れ離れだし、再会して、何かが好転するとも思えない。
そうして、エコナは青年貴族に買われ。
幸助に、その生命を救われた。
それでも、最初は奴隷としての主が変わるだけに思えた。
なのに。
彼は仲間と言った。
上質な服と、温かい食べ物、寝床。
全てを与えながら、何かを要求してくることは無かった。
それどころか、その慈愛によって、エコナの生活だけでない、心をも救ってくれた。
今では、エコナはもう、奴隷ですらない。
こんなこと、幸助以外の誰に出来るというのだ。
否、誰がやろうと思うのだ。
自分は幸運だった。
不幸ではあったけれど。
絶望の先を生きていれば、こんな幸福に恵まれることもあるものなのか。
エコナは、今の生活に不満が無い。
生命の雫亭の人は、皆いい人だ。
いや、来訪者ではないお客さんの中には、少し、嫌な気分になる人もいる。
「あァん? なんだそのガキ、ギボルネ人じゃねぇか?」
赤ら顔の中年男性が、エコナに言う。
そう。
名誉臣民になろうと、身体的特徴は変更されない。
ギボルネ人イコール外敵という認識を持つ臣民にとって、エコナの存在はそれだけで異物。
「なんだなんだ、来訪者さんの奴隷か? でも無ければ店の抱える娼婦かい? んー、ちーとばかしガキ過ぎるが、ギボルネ人の中は具合が良いと聞くしなぁ。いくらだガキ?」
ギボルネ人奴隷を、無理に働かせる娼館も、ある。
幸いと言えばいいか、王都には無いが、噂が届くくらいは、有名なようだ。
エコナはそれに、とても辛い気持ちになった。
「そこな御仁、彼女は、給仕娘だ。特別な業務など、想定しておらぬ」
エコナを庇うように立ち塞がったのは、タイガという大男だった。
最近、幸助と仲がいい。
幸助は誰とでもすぐ友人になるが、中でも親しげに見える。
「あ、あん? なんだよ来訪者さん、聞いただけじゃねぇか」
「思えなかった、とてもただの疑問とは。御仁の発言は、無礼にあたると思われるが」
「おいおい来訪者さん、あんた達はダルトラの味方だろう。そいつは奴隷で――」
ドンッ、と、タイガがカウンターを叩く。
男の飲んでいた酒がひっくり返り、男自身も腰を抜かして床に倒れた。
「ダルトラ民だ、彼女は。『黒の英雄』が、直々に仲間と認めた。御仁、王室直下の英雄が同胞を、今その口で、奴隷と言ったか」
男は折角アルコールで赤くした顔を真っ青にして、口角泡を吹き飛ばしながら釈明する。
「く、『黒の英雄』ッッ!? 来訪一週間で、逆賊『暁の英雄』を殺したとか言うッ!? そういや此処の常連だとも……。――も、申し訳ねぇ! し、知らなかったんだ」
「謝罪、オレへするな。無礼を受けし者、そこな童女だ」
男は一瞬、屈辱的な顔をしてから、それでもしっかりとエコナに謝罪した。
居心地が悪くなったのだろう、勘定を済ませてそそくさと退店する。
店内の様子は相変わらず明るい。
タイガに「よくやった!」と叫んで笑う常連も多くいた。
この店の人々は、来訪者達は、温かい。
何も言わず席へ戻ろうとするタイガに、エコナはぺこりと頭を下げる。
「あの、ありがとうございます、タイガさん。わたしなどの為に……」
タイガは立ち止まり、それから、少し困ったように口を開く。
「するな、卑下。よく働いている、お前は。知っている、皆それを。同時に、不要だ、感謝も。オレが友に受けた恩に比べれば、数の内に入らぬ、この程度のこと」
「それでも、嬉しかったです。ですから、やっぱり、ありがとうございます」
タイガは、どうすればわからない様子で、口元を撫でた。
「怖くないのか、オレが」
「……? はい。こうすけさんのご友人ですし、今助けていただいたのに、怖いだなんて思えないです」
「そうか……」
しばし、沈黙が下りる。
それを裂いたのは、タイガでもエコナでも無かった。
「いつまでエコナの仕事邪魔してんのよデカブツ!」
クララだ。
黒髪を、自身から見て右側で一つに纏めている。
彼女はお盆でタイガの背を叩く。
「邪魔ではない」
「アンタ、存在が邪魔なの。デカイし、通行の邪魔! 今日も迷宮攻略で疲れてんでしょ! 黙って座ってなさいよね!」
「心配、してくれているのか」
「ハァ? バッカじゃない? これ以上アンタの凶悪な顔拝まされたらエコナが可哀想ってだけよ。心配って言うならエコナの心配だから! くだらない勘違いしないでくれる!?」
二人も仲良しだ。
エコナの日々は、優しさで満ちている。
翌日。
新居が完成するとのことで、仕事は午前上がりになった。
ヴィーネと交代し、部屋へ戻る。
ベッドと机しか無い、簡素で狭隘な部屋だ。
幸助はさりげなく自分の荷物を机の下の隙間に押し込み、机上にエコナの私物を置かせてくれる。
小さなことで感謝すると彼の口がもにょもにょと動くのが、失礼かもしれないが可愛く、愛おしいので、エコナは感謝の気持ちをその都度伝えるようにしていた。
初めて逢った日に買ってもらったワンピースに着替える。
途中、ぺたんこな自分の胸を見る。
幸助は、シロと付き合っている。
他にも、巨乳の知り合いが多い。
好み、なのだろうか。
成長に期待、としよう。
決意を胸に着替えを済ませ、彼から貰い自分用に寸法を直したコートを羽織る。
この格好が、一番好きだった。
民族衣装は、今着ても、きっと悲しくなる。
でもこれなら、温かい気持ちになれるから。
それと、エコナは机の引き出しから、あるものを取り出した。
ここ数日、時間を見つけて作っていたものだ。
それをポケットにしまう。
それとほとんど同時。
階下から幸助の声がした。
合流し、一緒に店を出る。
二人きりだ。
幸助を英雄と知る者は、まだそう多くない。
情報聞紙と呼ばれる媒体によって『黒の英雄』誕生は広く伝えられたが、幸助は顔の発表を拒否したのだという。
有名になることに、あまり興味が無いのだろう。
てっきり第一外周にあるかと思いきや、幸助の新居は第三外周に建てられていた。
それも、庶民の家とそう変わらぬ、石造りの住居だった。
しかし、見て、納得する。
彼が、貴族らしい暮らしを望む方が、考えてみれば妙だ。
「お~、いい感じじゃん。この歳でマイホーム入手ローン無しか……元いた世界なら勝ち組だな」
この世界でもそうです、と水を差す発言をエコナは呑み込んだ。
外観こそ普通だが、ダルトラも英雄にただの家を提供するのは気が咎めたのか、見慣れない機能が付属していた。
まず扉。固有魔力周波と呼ばれる“個々人で違う魔力の流れ”を感知し、登録者以外が戸に触れると『雷』魔法が流れるという扉。
魔力貯蔵式の魔法具によるものらしい。
幸助はひとまず、自分とエコナを登録したのだと言っていた。
他にも暖炉や調理場、照明に魔法具が用いられていた。
幸助は「ファンタジーのくせにハイテクな……」と少し残念がっていた。
そういえば、暗い部屋の照明がランプだった時、なんだか楽しそうな顔をしていたように思う。
さておき。
エコナは意を決して、声を出す。
「あ、あの!」
一階部分、料理場、暖炉、テーブルと椅子などが並ぶ場所で、向かい合う。
「あぁ、どうした?」
「わたし、こうすけさんに、お世話になってばかりで……全然、お返しも、今まで、出来ず……」
「そうなの? エコナの料理が一日の楽しみだったりするんだけどな」
「そ、それは…………大変、よろしいことです、ね。嬉しいです。えへへ、もっと精進します…………そ、そういうことではなく!」
ついつい嬉しくて話が終わるところだった。
エコナはポケットから、あるものを取り出す。
「ぎ、ギボルネでは、女性が家を護る存在と言われています。男は狩猟に出て、獲物を捕まえ、女が護った家に戻る。そういうものだと。つまり、女には護る力が、男には戦う力があるとして、双方が互いを尊重しているのです。そして、女は男が戦いから無事帰ってこれるようにと祈りを込め、自分の護る力が宿ったこれを、送ります」
それは、輪っかだった。
糸に、自分の毛髪を編み込んで作るのだ。
自分の一部分を組み込むことで、護る力が着用者に届くようにと。
「か、髪の毛が編み込まれるなんて、気持ち悪いかもしれませんし、あくまでギボルネの文化なので、こうすけさんには馴染みもないでしょうし……こんなもの、要らないかもしれませんが」
窺うように見ると、幸助は、泣いていた。
「それ、俺の為に作ってくれたの?」
幸助が自分のもとに屈み込み、優しく手を包む。
「……は、はい。わたしが、こうすけさんにあげられるもの、これしか、思いつかなくて」
「ありがとう。こういうことしてくれたの、エコナが初めてだよ。本当に、嬉しい」
受け取り、幸助は左手首にそれを付けた。
太さの調整が利く作りで、彼はそれが外れないよう、きつく締める。
「元いた世界にあったミサンガってやつに似てる。それは、切れると、願いが叶うとか、そんな感じだったけど」
「それはロロ・ラァと言って、ギボルネ語で“神の愛”という意味です。女の祈りを受け取って、神が男の死を一度、ロロ・ラァに移してくださると伝えられています」
「じゃあ、俺が死にかけたら、これが切れるってこと?」
「はい。こうすけさんの命を、護ってくれます」
「じゃあ、死なないようにしないと。折角作ってもらったのに、切れるの、嫌だから」
「何度でも……! 何度でも、作るので、安心してください。もちろん、死ぬような事態に、遭遇しないのが、一番ですが……いつも、心配、ですし」
幸助は涙を拭って、ポケットから何かを取り出した。
「実は俺も、普段の感謝の印に、プレゼントを買ってきたんだ」
それは、黒い髪飾りだった。
「いや、俺はな? エコナの眼と髪の色に合わせた蒼いやつが良いと思ったんだけど、プラスの奴が『貴君はおよそ女心というものを解すことが出来ぬのですね』とか、とても失礼なことを言いやがって、で、これにしたんだけど……」
言って、彼は、それを付けてくれる。
今度はエコナが涙を流す番だった。
なるほど、大切な人からの、想いが込められた贈り物は、ここまで胸を満たすのか。
満たして、入りきらない部分が、涙として、溢れるのか。
「…………はい。わたし、黒が大好きなんです。こうすけさんの、色だから」
それに、幸助は驚いたような顔をして、それから恥ずかしげに頬を掻く。
「……俺も、蒼が好きだよ。エコナの色だからな」
エコナはそっと彼に近づき、その額に唇を当てた。
「前にしてもらったので、お返し、です」
自分でも分かるくらい、顔が熱い。
幸助は、柔らかく微笑んでいる。
自分はまだ子供だ。
多分、子供だから、一緒に住むなんてことが出来ている。
そうじゃなかったら、生活の援助あたりになっていただろう。
彼のことだから、手を差し伸べはしても、シロに義理を通す筈だ。
なら、今、自分が幼いということは、不幸でもなんでもない。
誰よりも、彼の、側にいられるのだから。
「これからもよろしく、エコナ」
「はい、こうすけさん」
エコナの幸福は、今日も続く。