39.114◇燿の継承者、接近ス
プラス・ラプラティクス=ガンオルゲリューズ。
『燿の英雄』ローライト=ガンオルゲリューズを祖に持つ貴族家の次女。
長男と長女は既にローライト商会にてその辣腕を振るっている。
プラスだけが軍人になった。
英雄の末裔として、戦うことから逃げ、商売に走るなど卑しい行為に思えたから。
しかし、今では、当人らの前で口に出すことこそ出来ないが――尊敬、している。
一週間程前の出来事だ。
あれから一週間しか経っていないのかと、プラスは驚く。
それくらい、貰った言葉は劇的で。
それくらい、共に過ごす日々は濃密だった。
その人物との出逢いによって、プラスは自らの傲慢に気付き、変わろうと思うことが出来た。
パーティーリーダー、あるいは師とでも言おうか。
クロス・クロノス=ナノランスロット。
クロス殿、ナノランスロット様、などという呼称を極めて嫌がるので、以前と同じくクロ殿と呼んでいるが、つまり新しき『黒の英雄』、その人だ。
彼の装備は、整ってこそいるが簡素。
淡い蒼に白い線が奔る意匠の――『蒼き燈火の外套』。
その内に着こむは上下黒で統一された――『儚き霹靂の黒衣』。
獣どころか風をも置き去りにする健脚を支えるは、靴底のみが白に染まった黒色の――『昏き月明の聖靴』。
それぞれ作りは丈夫で、だからこそ愛用しているのだろうが、英雄が身につけるにしては安物だ。
王都ギルティアスは五重の城壁に囲まれている。
城壁は、最も内側の、王城を包むように展開されたものを除き、全て環状街門とも呼ばれていた。
つまり、円形だ。
円の外に円を築き、そうやってギルティアスは形作られている。
王城の外、第一外周と呼ばれる区画は、貴族邸宅が立ち並ぶ。
その外、第二外周と呼ばれる区画は、貴族街と呼ばれる、彼らの為の街がある。
その更に外、第三外周に多くの臣民が居を構え。
最終第四外周に、臣民の為の街が築かれている。
当たり前だが、第四外周の店と、貴族街の店では、同じ武器防具店でも品揃えが違う。
例えば貴族街では、王室に許可を得て模造神創魔法具――補正や獲得スキルが本家に劣るレプリカ――を卸してもらい、それを販売している店もある。
当然、第四外周にそのような店舗は存在しない。
これは何も武器防具点に限らず、差別というよりは区別に過ぎないが、それでも事実だ。
が、クロ程の人物なら、いわゆる英雄特権で貴族街への通行許可が下りる。
もっと良い装備を手に入れることが出来るのだ。
一応、第三王女より賜りし護国の宝剣――『黒士無双』を佩いていることから、武器の一点に限り買い替えの必要など無いが、衣装の組み合わせには再考の余地があるように思えてならなかった。
しかし、それとなく提案してみたものの、芳しい反応は得られない。
迷宮へ向かう途中、東西南北各所に設置された第四外周の街門の内、北門から抜けたあたりを三人で並んで歩いている場面だった。
午後から完成した新居に行くとのことで、迷宮攻略はそれまでに切り上げる予定である。
プラスが何故かと食い下がって尋ねると、彼は渋い顔をした。
普段、ズバズバとものを言う彼にしては、珍しい反応だ。
代わりに、陽光を美しく反射させる金色の毛髪を靡かせ、紅玉の瞳を持った『白の英雄』クウィンティ・セレスティス=クリアベディヴィアがそれに答える。
「今、クロ、お金、ない」
クリアベディヴィア卿はあくまでクロに同行しているというスタンスだからか、自分からプラスと交流を持とうとしない。
というより、およそ無関心と断言していい態度だ。
更に言えば、クロとプラスが喋っている間、自分が参加出来ない話題に突入すると、目元を歪ませて、微かにだが確かに、不機嫌そうな顔をする。
正直、恐ろしい。
英雄二人と迷宮攻略へ赴くプラスは、周囲から羨望の的となっているが、結構生きた心地がしない。
そんなクリアベディヴィア卿が、だ。
相変わらずこちらを見もしないが、介入できる話題だったからだろう、口を挟んだ。
挟んでくださった、とでも言うべきか。
表現として、不適切なのはわかるが、そうも言いたくなる緊張感だった。
「いえ、ですがクロ殿は魔法具持ちを二体も討伐された筈では? 内一体は守護者であったと聞き及んでおりますが。であれば、その報奨金は数年暮らしに困らぬ額になるかと」
「だから、使った。お金、使うと、なくなる、よ? 貴族は、そんなことも、わからない、の?」
随分と厳しいお言葉である。
クロとプラスが一緒にいることが、余程気に食わないのだろう。
だがしかし、クロはシロの恋人と聞いたが……。
今朝のことといい、『白の英雄』様はおよそ倫理観で量れぬ存在らしい。
余人にはその心境、忖度するに余りある。
「無論、経済を回すにあたり、金銭の流通が行われることは存じております。先程の言葉は、つまり、大金をどう使われたのか、という疑問に繋がるものでして」
「なら、最初から、そう言えば、いい。違う? 凡人って、まどろっ、こしい」
グサグサと刺さった。
特に、凡人という部分だ。
「話も、迂遠。力も、無い。あなた、攻略者、向いて――にゅい」
クロが、諌めるように、クリアベディヴィア卿の頭部へ手刀を落とした。
威力は本当に対したことなく、触るようなものだったが、彼女はそれで噛んでしまう。
「な、なんで、殴る? クロ、何か怒った? わたし、悪いこと、しちゃった?」
途端。一転と言えるレベルで、彼女の表情に焦りが滲んだ。
プラスは気が気でなかった。
英雄にチョップなんて、不敬に過ぎる。
彼女はダルトラが抱える、来訪者ではない英雄だ。
与えられている特権も、来訪者英雄を上回っている。
二人は友人同士だと聞くが、同時にプラスは知っている。
『白の英雄』は、気まぐれで扱い難い人間だと、軍部でも評判だった。
『暁の英雄』は独断専行かつ傲慢。
『紅の英雄』は気難しく、以前加害者とはいえ、付き纏い犯を燃やしたこともある。
『神癒の英雄』は好奇心旺盛で、優秀である反面、治療への態度が興味次第で変わる。
『霹靂の英雄』は基本的に好漢らしいが、本妻がいるにも関わらず女癖が悪い。
『斫断の英雄』は軍務にこそ忠実だが戦闘狂。
旧七英雄の中でまともなのは、『蒼の英雄』ルキウセウス・ルキウスリファイカ=グラムリュネート卿だけと言われていた。
人を超える英雄という生物は、力と引き換えに人間的欠陥を抱えている、とする研究家もいるくらいだ。
それぐらい、時に英雄の云為は、想像を超える。
今この瞬間、機嫌を悪くしたクリアベディヴィア卿がクロを攻撃してもおかしくないのだ。
しかし、彼はそんなこと露程も気にしていないとばかりに、説教を開始。
「仮にもパーティーを組んでる相手を悪く言うな。冗談の通じる間柄ならいいけどな、お前らまだそんな仲良くないだろ。お前の言葉で、相手が傷つくかもしれないってことを考えて喋れ。で、傷つけたかったのか、プラスを。だとしたら、怒るよ。どうなんだ」
「…………違う。別に、ほんとのこと、言った、だけ。凡人、嘘じゃない」
「ふぅん。じゃあ俺も言うぞ。俺はシロと付き合ってる。お前のものにはならない。良い気分か」
クリアベディヴィア卿は傷ついたような顔をして、自分の胸に手を当てた。
「痛い、胸」
「本当のことが、人を傷つけないわけじゃない。人を傷つける可能性があるなら、それは考えてやるべきだ。お前にとって、相手を傷つける必要がある時にだけ、選ぶべきだ」
「…………わたしに、お説教?」
「あ? 友達からの注意も聞けないで特別扱いしてほしいって言うなら、俺の前から消えろ。ご機嫌とりをしてやるつもりはない」
プラスは失神するかと思った。
クリアベディヴィア卿は人間の存在すら『無かった』ことに出来る魔法使いだ。
『黒』の能力が『併呑』なのに対し。
『白』の能力は『否定』なのだ。
彼女の機嫌を損なうことは、存在を失う可能性を発生させてしまう。
一触即発の空気。
神に祈るべくプラスは広げた掌を交差させるように重ねた。
その甲斐あってか、奇跡が起きた。
なんと、クリアベディヴィア卿が、嬉しそうに口の端を緩めたのだ。
「『白の英雄』じゃなくて、クウィンと、喋ってる? クロは、そうだよ、ね?」
「当たり前だろ。クウィンじゃないなら、お前は誰なんだ」
彼女はクロの手がぶつかった部分に、愛おしそうに手を当てた。
「クロ。やっぱり、好き。わたしのもの、なって」
「ならん」
「でも好き」
それから、クリアベディヴィア卿はプラスを見た。
「ごめん、謝る。わたし、酷いこと、言った」
と、頭を下げた。
プラスは幻でも見るように目をこすったが、それでも目の前の光景は変わらない。
「い、いえ、小官が凡人であるのは、事実ですから」
「でも、傷つく。なら、ダメなこと。ダメなこと、したら、謝る。だから、ごめん」
「あ…………はい」
と、頷きを返すことしか出来ない。
それからクリアベディヴィア卿は、クロに視線を戻した。
「許して、もらった」
「あぁ、ちゃんと謝れてたな。俺も酷いこと言って悪かった」
「許すから、わたしのもの、なって?」
「無理だ」
ひょっとして、と思う。
クリアベディヴィア卿は、叱られたのが、嬉しかったのではなく。
対等な個人として扱われたことが、嬉しかったのか。
誰もが彼女を英雄として扱い、敬い、疎む。
そんな中、クロという来訪者は、同じ目線でしか喋らない。
クリアベディヴィア卿にも、自分にも、今は亡き『暁の英雄』にも。
その距離感を、『暁の英雄』のように生意気と捉える者もいるだろう。
プラスだって最初は、辛辣な言葉を浴びせられて不愉快な思いをした。
でも、そうやって彼は気付きを与えてくれる。
だから、それを求めていた人物にとって、彼の存在は魅力的に映るのだ。
悔しいことに、自分も、惹かれていることは否定出来ない。
だって、自分なんかの名誉の為に、一切の躊躇なく、英雄を叱りつけてくれたのだ。
しかも、彼は良いことをしたつもりもないだろう。
「あ」と、クリアベディヴィア卿がもう一度プラスを見た。
「さっきの、続き」
「つ、続き? と、いいますと」
「クロ、文無し」
「あぁ」
頷くプラスに、幸助が「だから今から稼ぎに行くんだ」と言い訳がましく言う。
「理由、寄付」
「きふ?」
「ダルトラ、戦争中。孤児院、ある。クロ、それに全部、寄付、した」
ダルトラは豊かな国だ。
子を捨てる親は、あまりいない。
けれど、親を失う子供は、戦争故、やはり生じてしまう。
その為、孤児院の存在は欠かせない。
が、悲しいかな、彼ら彼女らに割かれる金は、そう多くない。
比較的民度が高いダルトラの臣民でさえ、中には援助を快く思わない者もいるくらいだ。
自分達が納めた税を、親のいない子供達の育成に使われると聞いて、それを心から喜ぶ善人はあまりいない。
そんな善人なら、私財を投じて寄付を行う。
………………待て。
寄付?
「クロ殿」
「……なんだよ」
クロは、喋りかけるなとばかりに視線を逸らす。
ただ、それは機嫌が悪いわけではないだろう。
「寄付、なさっていたのですか?」
「親がいないって、その程度のことで未来が閉ざされてたまるか。俺だって無理して偽善かまそうとは思わないけどな、知った後で、どうにか出来るのに無視したら気分悪いだろうが。この世界で、俺は幸せになるつもりなんだよ。自分で自分が気に食わなくなるようなことは絶対しない。顔も知らんガキの為じゃなくて、俺の為なんだ。そこのところ、誤解するなよ?」
なんだか、とても可愛く見えてしまった。
照れているのだ。
初対面のプラスをパーティーに入れてくれるような人間だ、優しくないわけがない。
でも、優しいと思われたくは、ないのだろう。
可愛い。
しかし、プラスはその想いを、そっと胸にしまいこんだ。
クリアベディヴィア卿のように、人の連れ合いを掠めとろうとは、思えない。
誇り高き英雄の末裔がすることでは、ないだろう。
だから、これくらいは許してほしい。
プラスは一歩分だけ、幸助に近づいた。
「……なんだよ、その顔は」
「なんでもないでありますよ。今日も御指導御鞭撻の程、よろしくお願い致します、クロ殿」
自分が英雄になるまでの道のりは、遠い。
彼らのように、強い魔法を使うことも、出来ないし。
クロのように、強い心を、人のために惜しみなく使うことも、出来ない。
けれど、その背中は、追うに足るものだ。
『燿の英雄』と遜色ないくらいの、輝きを放っている。
プラスは、そう思った。