38◇案内人、陥落ス
幸助はすぐさまシロの傷を『白』にて『無かった』ことにした。
「【白[スゥ]】――おい、シロ、大丈夫か……!」
「う、……ぅん」
うっすらと目を開け、彼女の瞳が、幸助を捉える。
「……クロ?」
「あぁ」
安堵の息を吐き、彼女の上半身を起こしてやる。
自然と目が合い、顔が近づいた。
「…………この」
「え、どうした?」
「バッカやろーーーーーーーーー!」
華麗に、決まった。
一切の迷いが無い、頭突きだった。
幸助の首が千切れるのではないかという程の衝撃に襲われ、天を向く。
「――ッッッってぇな! なんだよ一体! お前これ、鼻血出てるんですけど!?」
「知らないばか!」
「『暁の英雄』にも無傷で勝ったのにお前に怪我負わされちゃったわ! あーあ助けに来なくても自分で倒せたんじゃねぇの? 助け損じゃないのこれ!」
「来ないでって言ったじゃん! クロが死んじゃうかもしれなかったんだよ!」
シロが泣いているのを見て、幸助の怒りが一瞬で萎んだ。
彼女は、自分の死よりも、幸助の死を、嫌がったのだ。
「……馬鹿はお前だ。お前を見捨てて幸せになれる奴なんて、生命の雫亭には一人もいない。俺だってそうだ」
シロが、幸助の胸に顔を埋める。
「……あいつ、どうしたの」
「殺した」
「あたしの所為で、クロ、人殺しに、なっちゃったんじゃん……そんなの、嫌だよ」
「お前の所為じゃない。俺、あいつ元々嫌いだったんだ。クズだしな」
「でも……! そもそもあいつと決闘したのも! あたしの為なんでしょ!?」
……どうやら、事の発端をライクが語っていたらしい。
「お前、なに、あたしの為に争わないで的な? 自意識過剰じゃない?」
「そうやってふざけるのやめて! クロの悪いとこだよそれ!」
怒られてしまった。
全てに対して真面目に向き合うのは疲れる。
適度に力を抜くのも、人生を上手く生きるのには必要だ。
でも、ここは、その場面じゃないらしい。
「じゃあ、お前は、どうなんだ」
「な、なによ」
「案内人とかいって世話焼いて、来訪者は幸せにならなきゃダメだって口癖みたいに言う癖に、お前自身は幸せだったのか。ライクの奴は、お前の母親の善意を踏み躙って、見殺しにしたんだぞ」
「だからって、クロが殺さなきゃだめだったの?」
「そうだ。殺さなきゃいけない奴は、いるだろ。あいつを生かしたら、絶対にどこかで復讐される。その時、今度は誰かが死ぬかもしれない。俺の所為で、誰かが死ぬかもしれないんだ。そんなの嫌なんだよ。もう二度と、くだらないミスで大切な人を失いたくない」
「……でも、……折角、この世界で、幸せに、クロ、幸せに、なれる、筈だったのに……」
「勝手に諦めないでくれ。俺は、幸せになれる。そもそも、もう、幸せだ」
シロの肩に手を起き、その瞳の奥を、見据える。
「死ぬつもりだったんだ。
自分が嫌いだったから。
でも、お前が止めてくれた。
そのおかげで、今、此処にいる。
色んな奴に逢った。
本当に、嬉しい出逢いがあった。
楽しいってどういう感情か、思い出せた。
嬉しいってどういうことか、思い出せた。
俺の、復讐だけで終わる筈だった命は、お前が繋いでくれたんだよ。
神にだって、それは出来ないはずだったんだ。
シロ、お前が大事だよ。
お前が来訪者を幸福にするなら、そんなお前のことは、俺が幸福にする。
この、二周目の人生、お前の横で歩みたい。
この世界で、お前と一緒にいたいよ。
その為に、必要なことだったんだ。
それが、悪いことでも、必要だった。
後悔なんてしてない。
お前が無事で、俺は幸せだ」
その言葉に、シロは、顔をくしゃくしゃにして、こぼす。
「…………ばか」
顔同士が近づき、今度は頭突きではなく、唇同士が触れ合った。
幸助は、そこで失敗に気付く。
折角シロの唇を貪っているというのに、血の味しかしないのだ。
……鼻血、治してからやるべきだった。
先ほどのセリフも、鼻血垂らして言ったのだと考えると、とてつもなく、恥ずかしい。
それでも、やめない。
十秒か、それ以上、彼女とのキスを堪能していたが、やがてシロが離れる。
慣れていないのだろう、息継ぎのタイミングを見失ったらしく、可愛く咳き込む。
それが、とんでもなく愛おしく思えた。
「普通に、鼻で息吸って大丈夫なんだぞ?」
「う、うっさいな! わかってるし! わかってますけど普通に!」
「じゃあ、もう一回」
幸助が近づくと、シロが喚いた。
「ほんとクロって雰囲気ってものがわかってないよね……! キスも血の味がするし!」
「キスに関しては百%のお前の過失だからな? お前の頭突きが招いた悲劇だからな?」
「……ちょっと、なにやってんの」
幸助はシロの乳を揉んでいた。
「いやだって、俺触ったことなかったのに、ライクの奴が揉みやがるから」
「から?」
「……こう、所有権の上書き的な?」
「あいつのものでもないけどさ、クロのものでもないでしょ」
「…………そんな」
「絶望したような顔しないでよ、ばか」
苦笑して、シロがエプロンの端を持ち上げて、幸助の口元と鼻を拭った。
「もう一回っていうなら、血、ちゃんと拭いて」
シロが可愛すぎて、幸助はちょっとどうにかなりそうだった。
「服、脱がしていいか?」
「初えっちがダンジョン内とかあたし嫌だから」
「……特別な夜になりそうだな」
「特殊の間違いでしょ! とにかくだめ! そういうのはちゃんとベッド……で」
「じゃあ、そうしよう」
「ち、ちがっ、オーケーしたわけじゃないから! まだ逢って一週間だし、あたし、そんな、軽くない!」
「処女だもんな」
「うるっさいな! どーせクロは非童貞なんでしょ! あーあ、初めて同士がよかったのになー!」
やけっぱちに叫ぶシロに、幸助は冷静な声音で返す。
「死んだ時、身体の損傷を全部治して転生させてくれるだろ? つまり、身体が新品になってるってわけ。俺、童貞ってわけ」
「笑えない来訪者ジョークやめて」
笑えないとか言いながら、やがてシロは吹き出すように笑う。
「ねぇ、クロ。幸助って呼んでいい? 二人の時だけだから、さ」
「いやぁ、俺にはクロス・クロノス=ナノランスロットっていうダサい新名があるからなぁ」
「それを言うなら、あたしにもワイト・ホワイト=ティアイグレインって名前があるよ」
「初めて聞いた」
「普段、シロで通してるからね」
「それより、本名聞かせてくれ。知りたいんだ」
「……カコ」
「はぁ? 未来と過去のカコ?」
「違うよ! 白原禍子[しろはらかこ]! 名前! ダサいから好きじゃないの!」
「え、お前、日本人なの? 髪、白銀なのに?」
「あたしの居た日本では別に普通だったんだけど」
「随分目に痛そうな日本だな」
「真っ黒だらけの方が変だし! 陰気な感じするし!」
「そうだな。そういう部分もあった。それに、お前が居ない分、暗かったのは確かだよ」
シロは顔を真っ赤にした。
「カコ、カコか。でも、気に入ってないなら、シロって呼んだ方がいいか?」
「うん、その方が好き。あたしは、幸助って呼ぶけど」
「いいよ。たまに呼んで貰わないと、忘れそうになるし」
その言葉に、シロは柔らかく微笑んで。
「幸助、助けに来てくれてありがとうね」
「悪神に攫われたって、助けに行くよ」
何それと苦笑しながら、今度は向こうから顔を近づけてくる。
幸助は当然、それを拒まず。
二人はしばらく、抱き合っていた。