35◇暁の英雄、乱心ス
「クロ!」
えらく逼迫したような声で幸助を呼んだのは、ルキウスだった。
蒼の長髪を乱しながら、駆け寄ってくる。
周りが何事かと視線を向けてくるが、視界にも入っていないようだ。
「済まない……まずいことになった」
「何があった?」
『暁の英雄』ライクが幸助への報復を考える可能性があるとして、ルキウスは早急に部下を動かした。
そして生命の雫亭に送ったのだが――既に手遅れだったのだという。
「手遅れって……なんだよ。シロは、エコナは、皆はどうなったッ!!」
詰め寄る幸助の肩に、ルキウスは落ち着かせるよう手を置いた。
「念の為治癒魔法を使える部下を送ったから、今のところ死者はいない。けれど人手は不足しているし、このままではあぶれた順から亡くなってしまうだろう。だからクウィンを先行させた。僕らも急ごう。少々周囲に迷惑を掛けるだろうけど、僕らなら全速力で走った方が早くつく」
「……あぁ、わかった」
幸助は頷き、構内を飛び出した。
それに、トワと、エルフィもついてくる。
「トワ、知り合いのいないパーティーとか無理。よくわからないけど、ついてくよ」
「アタシは~、んー、混乱してる子とかを、優しく介抱しちゃおうかしら?」
部下からの報告では、給仕女が一人誘拐された事実が確認されているという。
おそらく、いや、間違いなくシロだ。
――あの時、殺しておくべきだった。
胸に、ドロリと、黒い感情が流れる。
「済まない、クロ。僕の落ち度だ。あの時、彼を拘束しておくべきだった。少しでも彼の顔を立てようとした僕の甘さが招いた事態だ。なんて謝ったらいいか……」
「お前の所為じゃない。部下を送ってくれたその厚意に感謝こそすれ、責める言葉なんて逆立ちしても出せないよ。ただ、さっきの約束、無しにしてくれたら助かる」
「約束…………あぁ、彼のことは僕に任せろと言った件かい……? この期に及んでは仕方の無いことだと思うよ。けれど、力を貸すことくらいは許してほしい」
「そうしてくれると、心強いよ」
ルキウスは力なく、けれど微笑んだ。
環状街門を通行するのに一悶着あったりしながらも、英雄権限で突破。
馬車に倍する速度で、生命の雫亭に到着。
店外の様子はそうでもないが、店内は酷かった。
料理や酒が散乱し、備品は破壊し尽くされている。
クウィンが立っていた。
血痕などは残っているものの、全員生きている。
既に、無傷となって。
「全員の損傷を『無かった』ことに、した。後で、店自体も直す。休憩して、いい?」
クウィンが気だるけに言うので、短く感謝し、幸助は皆の無事を確認する。
「ご主人様!」
エコナが駆け寄って来た。
幸助は咄嗟に抱き締める。
「ごめん……怖い思いをさせた。俺の所為だ」
「い、いえ、全然……。それより! シロさんが!」
他の客達も、立ち上がり、叫ぶ。
「あのクソ野郎! おいクロ、ぶっ殺しに行くだろ、手伝うぜ!」
「あぁ、オレらの看板娘を攫ってくれやがって、血祭りに上げなきゃ気が済まねぇ!」
「酔いも完全に冷めた! 英雄だろうが知ったことか! 全員でお礼参りだッ!」
「静まれッッ!!!」
大喝。
一瞬で、高揚していた空気が、冷却される。
幸助ですら。
何故なら、叫んだのが、他ならぬマスターだったからだ。
「クロ」
と、マスターが幸助を睨むように見据える。
「奴は、かつて――」
「シロの母親のことなら聞いてる。以前、似たような騒ぎが起きたって話も」
「……そうか。ワタシ達では、正直、手も足も出ない。英雄とは、そういう次元のものだ」
「あぁ、任せてくれ。取り戻すよ、シロを。殴るよ、ライクを。皆の分もだッ! だから頼む、どうか俺に任せてくれないか!」
途中からは酒場の皆に向けて、叫んでいた。
マスターによって冷静さを取り戻した面々が、沈黙によって了承を示す。
「クロ」
巨体が進み出てくる。
タイガだ。
「奴は、ゼスト、守護者の間で待つと言った。お前一人で来なければ、殺すと。シロを、だ」
「そんな条件、出しそうな気がするよ、あのおっさんなら」
クウィンに出て来られたら、どうあっても勝てないとでも考えているのだろう。
情けない英雄様だ。
しかし、してやられた幸助には、笑うことが出来ない。
クズに、従わなければならない立場なのだから。
その時、グラスにメッセージが来る。
シロからだった。
『――来ないで。
どーせ、クロじゃ勝てないよ。
だから、絶対来ないで。
クロが幸せになれないの、嫌だから』
幸助は、笑った。
即座に、返信する。
『――黙って待ってろ。
すぐ行って、その馬鹿をぶっ飛ばしてやる』
とはいえ、先程の勝負から、ライクも学んだだろう。
他属性にも注意を払いながら、戦うようになる筈だ。
加えて、一番大きな問題は、人質の存在。
同じ英雄格だとしても、幸助は末席。
レベル差が開き過ぎている。
想いだけで覆せないものが、世界には沢山ある。
それが現実。
なら、想い以外を、足さなければならない
【黒迯夜】だけで、足りるか。
確実とは、いかないだろう。
「クロ、僕なりの、協力方法を、思いついたよ。聞いてもらって、いいかな」
ルキウスが、真剣な表情で、話を切り出した。