31◇神癒の英雄、叙説ス
再び、頭が真っ白になる。
しかし、今度のそれは、強制的に遮られた。
「クロ! アナタ主賓なんだから楽しみなさい。お酒とかお酒とかお酒とか! ほらあっちにウェイターがいるわ。もぎ取りに行きましょう、根こそぎ行きましょう」
そう言って、エルフィが幸助の腕を取る。
「エルフィ。トワは今からその新人に説教をするよ。邪魔はしない方が賢明じゃないかなって思うけど」
「あら、アタシの方がアナタより格上よね? 主治医だし。というわけで、コレ、貰うわよ」
トワは、一瞬、渋い顔をしながら、すぐにそっぽを向いた。
「勝手にするといいよ。説教はまた、今度にするし」
「ま、待ってくれエルフィ――」
彼女が、その蠱惑的な唇を幸助の耳に寄せ、吐息のような声を出す。
「まさか、アナタが『コウちゃん』だったなんてね」
「――――お前、どこでそれを」
いや。
今の会話で、予想出来る。
永遠、この場合、トワか。
トワは、どうやら幸助を覚えていない。
エルフィは、トワの主治医だという。
つまり、トワは、エルフィの“調律”が必要な患者だということ。
そして、そのエルフィが、幸助の愛称を知っている。
ここは、彼女の言うとおりにするべきところ。
「……なんなのあの新人。トワが来る前にルキウスが躾けておけば、トワ、こんな不愉快にならなかったんだけど。謝罪を要求してもいいかな?」
「僕も、驚いていますよ。先程までの彼とは、まるで別人だ。それと、僕の頭一つで君の機嫌が直るなら、幾らでも下げましょう、レディ」
「やっぱいい。それよりジュース。カラム絞ったやつ、探して持ってきて」
「それで、お加減がよろしくなるのなら」
離れていく中、ルキウスとトワの会話が聞こえてくる。
軍人側の人垣に突っ込み、エルフィは強引に場所を確保。
ウェイターからシャンパングラスを二つ、ひったくるようにして取り、一つを幸助に渡す。
器の中程までを満たす液体は、琥珀色をしていた。
気泡がプクプクと、水面に上がっては、弾ける。
とても呑む気にはなれない幸助とは対照的に、エルフィはそれを一気。
「ふぅ~。ところで――クウィン? 何付いてきているの」
そう。
幸助が、エルフィに連れ去られ。
トワが、ルキウスと会話を始め。
クウィンは、幸助にくっついてきたのだ。
「別に。友達なら、一緒にいるの、別におかしく、ない、でしょ?」
「友達って、そんな万能な言葉じゃないわよ~?」
「エルフィこそ、少し、クロに、馴れ馴れしい」
「だって、仲良しだもの~」
「わたし、だって。仲良し。そうだよ、ね? クロ?」
「今からアタシ、とても大事な話するから、ほら、どっか行ってなさい」
「指図しないで。エルフィに、そんな権利、無い」
クウィンの瞳に、狂的な光が宿る。
「かもね。けど、今からするのは、人に聞かれたくない話よ。もちろん、クロにとっての。アナタ、このまま居座ると、嫌われちゃうかも」
途端に、狂気は霧散し、彼女は不安げに幸助を見上げた。
「ほんと……? わたし、クロに、嫌われる? ……それは、嫌だ」
エルフィが幸助に興味を持つのは、彼女の知的好奇心故と分かる。
だから、明け透けな好意も、受け流すように対応出来た。
だが、クウィンのは何か。
思い当たるものは、一つしかない。
初対面時の、会話だ。
英雄をやめたいと、クウィンは溢した。
幸助は何気なくそれを肯定したが、彼女の置かれた環境を鑑みるに、それは不可能に近い困難。
誰にも言えない悩み。
人間は誰しも、理解されたがっている。
より正確には、理解した上で、自分がほしいと思う対応を、他人に執ってほしいと思っている。
当然、そんなもの周りには関係ないので、真の理解者を得るのは難しい。
難しいからこそ、手に入れた時、それは非常に大きな価値を持つ。
クウィンにとっては、幸助こそが、幸助だけが、自分の望みを肯定してくれる者。
初めての、理解者候補。
執着や好意を持つのは、ある意味、自然。
だが、しかしそれは、今考えるべきではない。
「……いや、いいよ。それより、早く聞かせてくれ」
すると、クウィンは、僅かにだが、勝ち誇るような顔をし、エルフィを見た。
「わたしの、勝ち」
「別に勝負なんてしてないんだけどね~」
エルフィは苦笑してから、一転、真面目な表情を作った。
「本来なら、患者の情報をペラペラ漏らすものじゃないんだけど」
この世界にも、守秘義務という概念はあるらしい。
法で厳格に定められているかまでは、分からないが。
ともかくルール違反、マナー違反を犯しているという認識を持っているのだろう、彼女は心なし声を潜めて、語り出す。
トワのことを。
彼女が出現したのは、五年前のこと。
現れたのは、ギルティアスの『森の神殿』ではなく、そこから北方に進んだところに位置する、ザインキャンファスという都市の『丘の神殿』だという。
幸助は、僅かに安堵した。
案内人がシロだとしたら、彼女が幸助に事実を隠していた可能性もあるからだ。
一瞬でもシロを疑ってしまった自分を強く恥じ、引き続き傾聴。
現れた時、トワは恐慌状態にあったという。
当たり前だ。
だって、死んだ状態で、来訪者はアークレアに来る。
だから、トワは、穢され、全裸に剥かれ、身体が冷え切った状態で、この世界に出現した。
平静でいろというのは、無理な話というもの。
保護された彼女を診察することになったのが、エルフィだ。
それも、妥当なところだろう。
英雄に至る高ステータスを持つ人間が、精神に異常をきたしているのだから、その治療にあたるのは一流の魔法医でなければならない。
すなわち、エルフィだ。
彼女は長い時間を掛け、トワを治療した。
その中で、途切れ途切れに、過去生のことを聞いたのだと言う。
コウちゃんという名も、そこで聞いた。
兄のことを、そう呼んでいたのだと。
そして、トワは、エルフィに頼んだ。
過去を、忘れたい、と。
あぁ、そんなの、当たり前だ。
同じ目に遭えば、誰しもがそう思う。
誰も、覚えていたくなんか、無いだろう。
「記憶はね、人間の魔法では消せないの。というより、記憶を消すという魔法が無いのね。『白』の代償に『記憶を失う』というのがあるけれど、それはあくまで反動であって、魔法効果とは性質が違うわ。アタシの魔法に出来るのは、鍵を掛けること」
「鍵?」
「そう。記憶っていうのは、情報に過ぎないわけ。それを人間は、脳のある部位で、分類わけしながら保管している。アタシはその一つ一つに、『思い出す』という選択肢を封じる鍵を掛けた。だから、彼女の脳に記憶は全て残っているけれど、彼女の意識にそれらが浮上することはない」
例えば、金庫だ。
大金が入った、金庫。
中には、金が入っている。
金庫を、盗んだとする。
でも、それの、開け方を知らなかったら?
金は確かに存在するのに、使えない。
要するに、そういうことだ。
「で、鍵を持っているのはアタシ。だからって、完璧じゃないわ。クウィンがその気になれば、アタシの鍵くらい『無かったこと』に出来るし、この世界には、鍵の掛かっている扉を抜けて侵入する泥棒もいるもの」
言いたいことは、よく理解出来た。
金庫を番号を知っているのは、エルフィだけ。
でも、幸助のように、トワの過去を知る者との接触で、それが綻ぶかもしれない。
鍵に正面から挑まず、ドリルなどを使って、抉じ開ける方法があるように。
兄の、不用意な発言が、彼女が箱に閉じ込めた全てを、暴いてしまうかもしれない。
先程、エルフィが幸助を連れ出したのは、幸助の為でなく、トワの為だったのだ。
「……医者の鑑だな」
それを皮肉と受け取ったのか、エルフィは空のグラスを虚しげに揺らす。
幸助は、再び自分を殺したくなった。
エルフィの話を聞いて――安堵してしまったのだ。
妹から責められるという現実を、回避出来たと、喜んだ。
最低だ。
本当に、あまりに、度し難い程、自分は、最低だ。