291◇決着はつけど終結はせず
幸助を呼び出すための、偽りの和平会議。
互いに手を結ぶ未来など夢想しない中、予定通りと言わんばかりに戦いは始まった。
『教導の英雄』ジャンヌ。過去生より続く無敗ゆえに、己を負かす存在を強く求める狂気の者。
彼女は過去戦ったどの敵よりも幸助を苦しめ、その全力を引き出すためにあらゆる手を講じた。
激闘の末、幸助――否、連合は勝利した。
そう言っていいだろう。
なにせ、敵将の首を刎ねるところだったのだから。
邪魔さえ、入らなければ。
『暗の英雄』グレアの乱入はしかし、更なる戦いを生まなかった。
それでいて大いなる混沌を運んできたのだ。
枯れ続ける大地を抱えた帝国の侵攻と、それに抗う国家の連合。
この対立が、思わぬ形で解消されようとしていた。瓦解、あるいは崩壊と言うべきか。
これまでこの世界で、不自然なまでに登場しなかった、『悪魔』なる存在の登場によって。
彼らは悪神直下の悪なる魔のモノであり、実体を持たない。
故に人の望みにつけこみ、その肉体を奪うのだ。
幻想国家ファカルネと呼称された『存在は確認出来るが侵入は出来ない領域』に、グレアらは侵入を試みた。
それが、十一体の大悪魔・天成罪形を封印するためのものだったと知らずに。
「これが戦いを止めた理由だ」
幸助が言う。
場所は変わらず中立国家・ロエルビナフの首都。
要塞は既に破壊してしまったが、これだけの魔法使いが揃っているのだ、地面を均して椅子と机を創成するのは容易い。
今この場には、全ての英雄と両軍の指揮官らが揃っている。
幸助とジャンヌ両名によって発せられた停戦命令は、困惑と共に受け入れられた。
今は一部の者たちに、先程幸助がグレアに見せられた映像をグラス――コンタクトレンズ型の多機能デバイス――伝いに送信したところだ。
反応は様々。現地人、特に連合側は映像に懐疑的だが、英雄らは黙っている。
幸助が偽りの情報に踊らされ、戦いを中断するわけがないと分かってくれているからか。
心配なのは『紅の英雄』にして幸助の実妹である――トワだ。
事前に話し合うような時間をとれず、開始前に心を強く持つよう伝えることしかできなかった。
彼女は周囲の目を集めるほどに動揺している。
突如現れた、四体の悪魔。
その内の二体は『際涯の英雄』マリアスレイルと『燿の英雄』アヴィディアシリウスの体を乗っ取った。
どちらもジャンヌやグレアと肩を並べる七征に名を連ねる英雄規格だ。
残る悪魔二体の内、一体は宿主を探している筈。
そして、最後の一体が問題だった。
何故ならその悪魔は、その男は、幸助とトワの――父だから。
黒野時匡。
この異世界に、幸助は散々驚かされた。
亡き妹との再会、千年前の自分自身ことエルマーとの邂逅、彼の仲間達が興した国ヘケロメタンの存在。
しかし、それらと同等かそれ以上に、その情報は黒野幸助の心を揺さぶった。
妹の転生は、有り得た。不幸な者が転生するのが、このアークレアなのだから。
エルマーの存在は、納得出来た。他の英雄規格と異なり幸助には『トワの祈り』以外の加護が無かったことなど、後から思えば不自然な点はあったから。
ヘケロメタンの面々についても同じ。
だが、だがこの件だけは、受け入れ難い。いや、受け入れられない。
あの人が、言葉通り悪魔に魂を売るなんてそんなこと、起こるわけがない。
それでも、転生した黒野幸助は、自身に掛かった多大な補正によって冷静な思考を維持。
「まず、この情報の真偽を明らかにすべきと唱える者もいるだろう。それについては――来た」
黒い竜が見えてきた。それは翼のはためきが起こす風がぎりぎり伝わってくる距離に着地。
幸助の血を飲んだことで、『血盟の英雄』シオンが一時的に【黒】を得たのだ。
彼は吸血鬼であり、彼の元いた世界の吸血鬼の特性が『血を吸った者の特性を再現可能になる』なのだ。
それによって創られた竜から、彼が下りてくる。
シオンに幻想国家ファカルネとの境界の確認を頼んだのだ。
彼は商業国家ファルドの者。連合の仲間とはいえ、彼の報告だけでは納得しない者もいるだろう。
そのため、宗主たるダルトラから軍人を幾人か、また各国から希望者を連れていってもらった。
これによってまず、ファカルネに侵入可能となったことが証明された。
「ですが、悪魔なる存在については……」
「仮に脅威が無かった場合、アークスバオナがその情報をこちらと共有するわけがない」
「――――ッ……!!」
まだ納得出来なかった者たちも、幸助の言葉にハッとした顔をする。
アークスバオナはそもそも、枯れ続ける大地とそれによる飢えから脱却したいのだ。
ファカルネを解放したなら、その土地の占領を急ぐはず。
それが国のためになり、連合にとっては最悪のシナリオ。
だというのに、ろくな人員を割くことなく、因縁ある幸助のところに助けを求めに来た。
「し、しかし悪魔という存在はこのアークレアには……」
伝わっていない存在。
あらゆる異界より転生者が出現する以上、概念自体は生じているかもしれないが、聖典には記されていない。
確かに引っかかる点ではある。
なにせ、エルマーの従者だったセツナを筆頭に、過去エルマーと戦ったヘケロメタンの戦士たちの誰も、悪魔を知らないのだ。
……消した、のか。
当時の『白の英雄』が悪魔を知る者たちの記憶を『無かったこと』にしたのなら、矛盾はない。
幸助にはそう至った流れまでもが想像出来た。
父だ。
自分の父を、ファカルネに永遠に封印する。
そんなこと、黒野幸助が許容するわけがない。
だが実際には封印されていた。
なら、黒野幸助――エルマーの意思を無視してそれは実行されたのだ。
しかし、悪神の片腕すら呑み込んだ『黒の英雄』だ、反対されては厄介なことになる。
だから、記憶を『無かったこと』にした。
彼と並ぶ『白の英雄』ならば可能だっただろう。
そして彼の仲間や、他の人間たちにも同様の措置をとった。
ファカルネの真実自体が、人類の汚点だからだ。
悪魔に魂を売った裏切りの転生者たちというだけでも最悪なのに、それを当時の英雄たちでも滅しきれなかったというのだから。
隠したくもなるというもの。
ともかく。
幸助の行動は決まっている。
「これより、俺自ら部隊を率いてアークスバオナ帝の確保へ向かう」
「なッ……!?」
どよめきが広がる。
「悪魔はまずアークスバオナの英雄の肉体を手に入れた。残る悪魔の数や、記憶までも手に入れる性質、そこに奴らが新しい宿主を探している事情を加味すると、アークスバオナの他の英雄規格が狙われる可能性が高い」
「だからなんだと言うのか!」「封印を解いたばかりか新たな厄介事を運んできた者を助ける義理はあるまい!」「自業自得というものだ!」
これまでの帝国の振る舞いを知っている者から、当然の怒りが上がる。
「悪魔は悪神の配下を自称している。その者たちの一体でも、アークスバオナ皇家の者の肉体を手にれれば、どうなる?」
「――――」
息を呑む音。
想像して、ぞっとしたのだろう。
「ここにいる者たちでさえ、悪魔なる存在を信じるまでには時間が掛かった。まだ半信半疑の者さえいるだろう。何も知らない者たちが、悪魔と人とを見分けられるとお思いか?」
一同を見回す。
幸助の言葉は、嘘ではないにしろ対外的なものでしかない。
幸助の目的は、父を名乗る悪魔との対峙と、悪神の討滅。
それを馬鹿正直に伝えて許可が下りるとは思えないし、取り付けるにしろ今より膨大な言葉を尽くす必要があるだろう。
だから、連合として、国として、英雄として動く理由の方を主張する。
「皆の懸念は尤もだ。だからこそ、俺が行く必要がある。俺たちが皇帝を確保する意味が、分からない者はいないだろう」
要するに、こうだ。
ファカルネは解放された。悪魔なる者が十一体いる。そいつらは英雄規格をも圧倒し、その体を願いの成就と引き換えに奪う。
そんな厄介な存在が、アークスバオナ帝の体を手にしたらきっと、戦争は終わらない。
何故なら悪魔は悪神の手下で、悪神はかつて人類を滅ぼそうとした存在なのだから。
なので、それを避けるためにもアークスバオナ帝の身柄確保が急務。
連合が皇帝を確保すれば、悪魔のあれこれが片付いた後の交渉も連合有利に進む。
向こうの将軍直々の救援要請に応えるのだから、問題もあるまい。
アークスバオナの者たちだけに任せた場合、仮に皇帝を救出してもこちらには降らないかもしれない。
そうなると泥沼だ。
悪魔は次善の手として皇帝の血縁者の体を乗っ取り、皇帝の不在を理由に自らが国の頂点に立つ可能性がある。
この救出劇は、連合が手綱を握らねばならないのだ。
皇帝は健在で、連合側の保護下にあるという状況が最善。
「し、しかし……罠という可能性も。卑怯な騙し討ちはアークスバオナのお家芸のようですから」
これによって連合とアークスバオナの溝が埋まるとは微塵も思わない。
前述の理由から罠の可能性は低いが、疑う気持ちが捨てられないのも分かる。
「――き、緊急報告です! アークスバオナ帝都に潜入中の者より、『帝都にて戦闘が発生。少なくとも一名は「翠の英雄」の情報と一致! 色彩属性保持者と思われる大女、謎の黒髪黒目の男と一時争ったものの、襤褸を纏った人影に触れられた直後豹変し、三名ともに』……っ」そこで報告中の青年軍人が言葉に詰まる。だが彼はすぐに自分の仕事に戻った。苦しげな声のまま続ける。「『立ちはだかるアークスバオナ軍人を虐殺、帝城への侵入を確認』……とのこと……!」
――動きが早いな。
グレアが目を見開き、旅団の面々の表情が変わる。
今この場においてスパイうんぬんを責めたいわけではない。
『翠の英雄』レイドは、彼の部下なのだ。
最初は悪魔の迎撃を目的としていたレイドが、途中からは悪魔側に回っている。
乗っ取られた、のか。
幸助は「うそ……」と譫言のように呟く妹を案じながら、続ける。
早く父を止めねば。父の体で、これ以上罪を重ねさせてはならない。
「アークスバオナとて、こんな分の悪い賭けのために未確認の英雄規格を持ち出し、獲れる土地を獲らず、自国の兵士を鏖殺するとは考えられない。『翠の英雄』までもが悪魔に乗っ取られたのなら、猶予はそうないだろう。議論の余地はないと考えるが?」
もちろんまだゴネる者はいたが、ここまで話を聞いてきた英雄たちは事の深刻さを理解していた。
彼ら彼女らの助力もあり、話はまとまりつつあったが……。
「し、しかし万が一にも『黒の英雄』殿が……その、悪魔に乗っ取られることがあっては……」
「問題ない」
千年前の黒野幸助を、悪神は手駒と出来なかったのだ。
あいつが抗えたのなら、俺も大丈夫。
しかしそれをそのまま言うわけにもいかない。
「今これより成立する同盟は、神話時代、神のもとに集った戦力を超えるだろう。たとえ誰が悪魔になったところで、我々であれば対処出来る。もちろん、俺が悪魔になってもだ」
グレアと目が合う。
自分と同じく、【黒】を持つ英雄。
「それでいいな?」
「……異存ない。感謝する、クロノ」
彼とは因縁がある。殺し合いをした仲だ。
だからこそ、その実力はよく分かっている。
「すぐに発つ。メンバーの選定はしない」
英雄たちならば、自分のすべきことは分かる筈。
自国に戻るか、ファカルネや此処を守るか、あるいは幸助と共に行くか。
各々が必要と判断したことをすればいい。
幸助のやることは決まっている。
父を取り戻し、悪神を倒す。
長らく更新出来ず申し訳ありません。
2020年8月現在、中々本作執筆の時間がとれない状況が続いています。
今後も更新不安定になるかと思いますが、時間掛かっても物語の終わりまでは書き切ります。
また、今回の更新で第四部完結となります。
完結までのプロットは出来ておりまして、
章をどう分けるかにもよりますが、本作は全6~7部構成となる見込みです。
書籍版は完結扱いとなって久しいですが、コミック版は現在も連載中で、
単行本2巻も発売中です。こちら、もしよろしければ。