3◇復讐者、決意ス
幸助には妹が一人いた。
過去形である。
今はもういない。
妹はわがままで生意気で面倒臭いところも多かったが、善良だった。
内弁慶なところがある反面他者には優しく、友達思いでもあり、周囲の人気を集めていた。
幸助はそんな彼女を馬鹿にしてからかいながら、自然にそう振る舞うことの出来る部分をとても好ましく思っていた。
妹・永遠[トワ]も、そんな兄を嫌ってはいなかったと思う。
永遠は、身内の欲目もあるだろうが、とても可愛い女の子だった。
でも、いやだからこそ、死んだ。
殺された。
真冬のことだ。
永遠の遺体は公園で発見された。
全裸で。
周囲には燃やされた衣服の灰が舞っていたらしい。
レイプされて、放置されて、凍死したのだという。
幸助は妹が輪姦され凍えている間、友人と呑気に遊んでいた。
生まれて初めて、自殺願望というものを理解した。
死にたい。
死んでしまいたい。
なるほど、耐えられない現実を前に自殺というのは最適な逃亡手段なのだ。
でも、だめだ。
妹一人守れないクソ兄貴は確かに死んだ方がいい。
でもその前に、妹を傷つけたクソ野郎を殺さなければ気が済まない。
それから幸助は五年の時を掛け、犯人グループを見つけ出し、復讐を果たした。
全裸に剥いて、謝罪をさせ、それを映像に残し、直ちにネットにアップした。
そこに至るまで、彼らの仲間を何人も拷問に掛け、殺した。
いつの頃か幸助の行いは新聞やニュースを彩る大事件と認識され、殺人鬼と称されるようになった。
間違ってはいない。
目的のクズを殺す為に、それ以外のクズも沢山殺した。
幸助からすれば害虫駆除に過ぎないが、良識ある一般人様がそう思ってくれるわけもない。
ともかく復讐は果たしたのだ。
そして、残ったのは自殺願望だけだった。
だから、少年はそれを果たそうとした。
でも、出来なかった。
目の前に、シロと名乗った女がいる。
勿体無い。
短時間に二度も聞いたことで理解する。
この世界で即座に自殺しなかった理由を言語化することに成功する。
自分は――命に価値があると思いたかったのだ。
もしそれを否定してしまったら、妹の死すらどうでもいいことになってしまう。
それだけはしてはならないと思った。
妹の命は尊い。
とても尊かった。
だからそれを損なわれた幸助は、復讐に奔った。
幸助が殺した奴らの命にもきっと、価値はあった。
踏み躙り摘み取るだけの、価値があった。
幸助にも。
幸助の命にも価値はあるはずだ。
それを妹の復讐以外に、自分は見つけられなかった。
でも、それをこの世界が提示してくれるなら。
それを知りたいと思ってしまったのだろう。
幸助は言う。
「話は聞いてやる」
その言葉にシロはニマニマと、いやらしい笑みを浮かべる。
「いいねぇ。人間素直が一番可愛いよ」
つま先立ちするように、彼女がぴょこぴょこと奇妙な動きを見せる。
ぽよんぽよんと、乳が揺れた。
真剣な空気の形成を阻害されたようで、幸助は顔を顰める。
「いいから話せ」
「やけに偉そうだねぇ? 高学歴?」
「そんなもんが意味を持つ世界なのか、此処は」
神殿と森だけでは判別がつかない。
日本の無い世界というだけで、いわゆるファンタジー世界と決めつけるのは早計だっただろうか。
「一応、学院って呼ばれる機関はあるけどね。入りたいなら入ることも出来るよ。ただ元の世界の学歴を持ち出してもみんなポカーンとしちゃうから気をつけてね」
どこの大学を卒業したとかどんな資格が有利とか、嫌に現実的な話を持ち出される世界観では無いようだ。
もしそんな世界だとしたら、自分は無能と評されるだろう。
「誇れる程の学歴も家柄も、生憎と持ち合わせてない」
「だろうね。前世で幸せだった人間は、此処には来れない。……いや、高学歴が幸せになれるとは限らないから、今のは間違いだね。訂正するよ」
彼女は乳を揺らすことを恥じらいもせず、ずっとぴょこぴょこと踵を地から離す行為を繰り返す。
おそらく癖なのだろう。
そう判断し、話に集中する。
「来訪者とやらがどれ程の頻度で来るか知らないが、全員が不幸なんだとしたら、この世界が陰気にならないか心配だな」
言いながら、幸助は苦いものでも口に含んだような顔をした。
暗にお前は不幸だったんだなと、言われたようなものだからだ。
間違ってはいないので、反論は出来なかった。
「あはは。少なくとも、あたしはこの世界で陽気になれたよ」
「飲み屋の看板娘なら、現実でもなれるだろ」
「言っておくけどさ、キミにとっては此処こそが現実だってこと、理解した方がいいよ」
現実。
脳内で繰り広げられる思考や虚妄でなく、他者との共有を強制される実物の世界。
確かに夢で無いのなら、此処は現実で間違い無いのだろう。
自分は言葉の選択を誤ったようだ。
受け止めて、新たな問いかけを用意。
発言。
「此処、此処っていうが、名前は無いのか、この世界」
「アークレア」
シロは即答した。
「アークレアって呼ばれてる。まぁ、キミの世界でいうところの“地球”に相当する言葉だから、日常生活内での使用頻度はそう高くないけどね」
それはそうだろう。
一々惑星単位で語る奴は滅多にいないし、いたところで胡散臭すぎて話を聞くに値しない。
「話は歩きながらしよう」
と言って、シロは歩き出す。
幸助は数秒躊躇うように留まっていたが、やがて吹っ切れたように歩みだした。
シロが首だけ振り返って、言う。
「クロ! アークレアへ、ようこそ!」
その笑顔は先程までと打って変わって、天使みたいに輝いていた。
それを胡散臭いと感じてしまうのは、きっと幸助の心が荒んでいるからだろう。
分かっていても、やはり疑ってしまう。
そんな笑顔で迎える程、来訪者ってのは上等な存在なのか? とか。
そんな笑顔を振りまける程、この世界ってのは素晴らしいのか? とか。
そんなことを考えながら、幸助は彼女の背中を追う。