286◇後ろから足音が聞こえる
「ルキウスッ!」
言うまでもなく、幸助は全知全能ではない。
敵兵、魔獣、敵の援軍、屍兵として蘇った神話英雄とリガル。
それらへの対応を指示しながら刻一刻と移り変わる戦況を把握し、その上でルキウスを打倒しジャンヌから一瞬も目を離さない、なんてことは出来ない。
出来るのは、出来る限界までのこと。
幸助がジャンヌのやり方をある程度予測出来るのも、互いに予想外の手を打たれることがあるのも、二人がどこか似ているからだろう。
ジャンヌの場合は単純に賢く、頭が回り、倫理観を理解し利用することはあっても備えていない。
幸助の場合は過去生の経験で、目的を果たす為ならばどんなことでもやるという思考が身についている。
目的を設定し、その達成に必要なものを割り出し、用意し、運用する。
そういった能力において、今のところ二人は拮抗している。
ジャンヌは自力で兵を育て、自力で魔獣を屈服させ、気ままに他人を弄ぶ。
幸助が幸運や仲間に助けられている部分を、ジャンヌは時間を掛けて用意した。
違いは、幸助にとってそれらが大切であるのに対し、ジャンヌは駒以上の価値を見出していないこと。
幸助にとって大恩ある友であるルキウスは、ジャンヌにとって英雄規格の部下だ。
だが彼女は幸助と死闘を繰り広げたその戦士を、幸助の感情を逆撫でする為だけに殺そうとした。
倒れる彼を咄嗟に支える。
ただでさえ幸助に身体の前面を斬られているところに、腹部への貫手。
魔力再生は他者へは適用出来ない。今の彼に自分でそういったスキルの発動、高速治癒をする余裕はない。魔力の減りも激しく、意識も朦朧としていた。
だが幸助も、ジャンヌを前にして悠長に治療など出来ない。
「クロ……」
出血のあまり蒼白になっている顔、光を失いつつある瞳で、ルキウスは幸助を見上げる。
それを、嘲笑う者がいた。
「あははは! 裏切りなどと責めはしないだろうね貴公子くん! 国を裏切った人間が他人に忠誠心など期待していいわけがない! ダメだろう背中を向けちゃあ! そんなんだから刺されるんだよまったく、これだから偽英雄はダメだね」
ジャンヌは明らかに幸助を怒らせようとしている。恨みを買おうとしている。
トワを殺した集団の主犯リュウセイはアークスバオナに転生し旅団に所属していた。
彼の知っていることは敵も知っていると考えていいだろう。
ジャンヌは期待している。敗北を知らぬ将は願っている。
自分がクロノの怒りを買えば、彼は自分を越えるような策を練り、自分を超えるような強さを手に入れるのではないか、と。
ルキウスが震える手で幸助の服を掴む。
「ファイ……妹、を……」
手に込められた小さな力が消え、腕がだらんと落ちる。
「裏切っておいて死に際に頼み事とは、どれだけ面の皮が厚いんだか! 言ってやるといいクロノ、お断りだってね。たかだか妹一人の為に国を裏切るようなクズの頼みなんか、聞き入れてやる必要がない。そうだろう? あぁでもそうか、もう聞こえないものな」
幸助はそっとルキウスを横たえた。ジャンヌは邪魔しない。
彼女は不意打ちでもいいから幸助を殺したいのではなく、全力の幸助と勝負したいのだから。
だからといって幸助がルキウスの治療に全力を注ごうものならば邪魔してきただろう。ルキウスが助かっては幸助の怒りを限界まで上げられないかもしれないから。
彼女は優秀なのだろう。これまでの戦い全てで勝利を上げたのだろう。
人格と功績は切り離して評価すべき。彼女の功績はアークスバオナにとって素晴らしいもの。
それはいい。
幸助はただ、彼女が人間として気に食わない。
「何をしてるんだオマエッッッ!!!」
空から怒号と英雄規格の魔力が降ってきた。
『蒼の英雄』サファイアだ。
「うるさいのが来たなぁ」
ジャンヌはサファイアの可憐な顔で、面倒くさそうな表情を作る。
今のジャンヌはサファイアと『存在』を同期している。『蒼』を使用することも可能。
だが彼女が選んだのは魔法による迎撃ではなかった。
どこからともなくナイフを取り出し、それを迷わず己の腹――魔力器官が収まる位置――に突き刺した。
「――ッ!? あッ……! ぅ、ぐぁっ!?」
『風』魔法で加速をつけながら魔力を練り上げ、決して相殺も回避も出来ぬよう『蒼』を展開するつもりだったろうサファイアが、目を見開く。
解放直前の魔力が腹部から血液と共に噴出。
未完成の魔法式は世界に奇跡を刻むことなく霧散。
こちらに迫っていた英雄を、彼女は『透徹』の特性を活かし一瞬で生きた落下物へと劣化させた。
示し合わせたようなタイミングで同期が解ける。ジャンヌが元の姿を取り戻す。当然無傷だ。
「愛を試そうなんてするから、愛を失うのさ。なんてね」
思ってもないことを言った自覚はあるのか、ジャンヌは肩を竦めた。
サファイアの行動は短慮としか言いようがないが、その気持ちはどうしようもなく正しい。
仲間が兄を殺そうとしたのだ。
激怒して殴りかかろうとすることに何を躊躇うことがあろうか。
ただし、やり方が愚かだった。考えなしに特攻するなど。
幸助はジャンヌに斬りかかりつつ『風』魔法でサファイアを受け止め、そのまま後方へと飛ばす。
仲間の誰かが治癒・拘束してくれるだろう。
ジャンヌの姿をしていた『透徹』保持者が元の姿に戻り、焦ったようにサファイアの元に駆けつけようとしたが、彼女は次の瞬間胸から血を吹き出して倒れた。ジャンヌが攻撃したのだ。
不要、ということか。反応からすると『透徹』保持者に目的を伝えず手伝わせたのだろう。
そんなことはどうでもいいとばかりに、ジャンヌの視線は幸助に向いたまま。
「おや、助けるとは意外だね。君としてはサファイアのやり方も気に食わないんじゃないかと思っていたのだけれど」
「お前よりはマシだ」
「あはは、答えになってないな」
軽々と剣戟を躱して後退するジャンヌ。
同時、空を裂く音がし。
何かがジャンヌの足元に転がる。
「……うふふ、君はほんとに素敵だね」
幸助は全知全能ではない。だが目的を定めれば、その達成に必要なものは何かと考える能力はある。
普段はもちろん、視点は自分だ。自分の目的を設定し、達成までの道のりを計算する。
それを利用した。視点を敵将に変え、見え透いた嘘と知りながら和平会議へと現れた連合を一網打尽にすることを目的に設定。
アークスバオナ側には時間がない。
なるべく自軍の英雄規格や兵を損なわずに、敵のそれを削る必要がある。
英雄規格でない戦力で、敵の英雄規格を削れれば最上だろう。
もちろんゼロから敵の手を全て想定するなど不可能。アークスバオナ側に潜む間諜や協力者からの情報は大いに役立った。
また、ジャンヌに遭遇してからの短時間で彼女の精神性や目的を把握した幸助はそれに対応した指示を追加した。
結果を語るなら。
遠距離狙撃の可能性を読んでクラウディアの『薄紅』を英雄規格の急所に潜ませていた。
だからトワを狙った狙撃は失敗に終わった。
幸助とエルマーの関係に気づいたジャンヌが嫌がらせを理由にルシフェとルキフェルを狙うことが予想されたため、十士五劔の戦力を回した。
だからジャンヌの足元に転がったのは土の塊で、それを投げたのはヘケロメタンの戦士だ。お前の目的を知った上で防いだのだと、ジャンヌに知らせる為のもの。
千年前の色彩属性保持者やリガルの屍兵化はこちらの戦力を削る思惑もあるが、それは将としての判断でしかない。ジャンヌの本心は別にあると読んだ。
だから――。
「……もしかしたら、君なら私の隣を走れるのかもしれないね」
ジャンヌの声は歓喜に震えていた。
幸助が自分の周囲を囲むように『黒』き壁を創り出す。ジャンヌを視界に収める為に前面は開けたままだ。それで充分。
次の瞬間。
『白の英雄』スノー『紅の英雄』ハート『蒼の英雄』クローズ『翠の英雄』ジョイド『燿の英雄』ローライト『霹靂の英雄』リガル以上六人の屍が壁に向かって飛来。
『黒』に呑み込まれ――消える。
幸助の仲間たちが、打倒した屍をこちらに飛ばしたのだ。
「プレゼントは気に入ったかい?」
ジャンヌは、幸助が自分を殺すにはまだ足りないのではないかと思っていたのだろう。
だから千年前の英雄規格とリガルを屍兵とし、怒りを煽りながらも幸助に強化の道を与えた。
すなわち、屍の『併呑』。
「ふふ、魔力が目に見えて増えているね。きっと魔力器官がかなり育ったんじゃないか? 加護が奪えないのは残念だけれど、スキルはまるっとゲット出来たろう。どうだい、『紫紺』は手に入ったかい?」
幸助は黙ってゴーストシミターを構えた。
燃え上がるように『黒』が刀身に纏わりつく。
「クロノ……いや、クロと呼ぼう。友達っぽくていいからね。ねぇクロ。かけっこをしようじゃないか。単純でいいだろう。より速く走れた方が勝ちだ。ゴールはないから、ずっと走っていよう。ずっとずっと、楽しく競っていよう。でも、きっと私が勝つだろうな。君は足を止めて、私の視界から消えるんだろうな。だけど期待しているのも本当なんだ。こんなに胸が高鳴ったのは愛しのグレア以外だと君が初めてだ。万が一、君が私を追い越すようなことがあれば――それだけで私は転生してよかったと思えるんだ。それじゃあクロ。いいかな、合図をするよ。――よーい、どん」
合図の直後、幸助は初めてジャンヌから戦意を感じた。




