283◇蒼天の英雄、咆哮ス
ピシピシという音に気づいた幸助は自身の不壊の曲刀に『黒』を纏わせる。
刀身を覆うように広がっていた氷が呑み込まれて消える。
――あの一瞬で反撃も忘れない、か。
思えば、幸助はルキウスの全力を見たことがない。
これほど強かな戦士だとは。
幸助が大規模な魔法を使わないのには理由があった。
初めて彼にあった日のことだ。
『暁の英雄』ライクが、都市一つ破壊可能だという戦略級魔法を行使しようとしたことがあった。
発動寸前のそれを止めたのがルキウスだ。
ルキウスの宝具は漆黒の駿馬を出現させるもの。
であれば、あれは彼自身の魔法。
偽英雄であるルキウスに『蒼』は使えない。あれは『途絶』によるものではないのだ。蒼い揺らめきは『氷』だったのか。いや、あのレベルの魔法が単なる氷結でなんとかなるとは思えない。
おそらくだが――蒼い力場のようなものは演出だ。
仮にも『蒼』を名乗るものとして、周囲――あの場合特に幸助――に己の銘を印象づける意図があったのではないか。
緊迫した状況でそれをするだけの余裕、力量がルキウスにはあったのだ。
おそらく、本質は『編纂の英雄』プラナと同じく魔法式に干渉するもの。
彼女と同じく、対象となる魔法への深い理解が必要だろう。
ライクはあれでも同じ国の英雄。自分の力をひけらかす男だったし、魔法を目にする機会は幾らでもあっただろう。
敵地を焦土と変えるところを直接目にしたことさえあったかもしれない。
とにかく、幸助はルキウスの魔法――【蒼閉降】を警戒していた。
膨大な魔力を注ぎ込んだ大魔法が不発に終わる危険は犯せない。
ルキウスは中空で体勢を立て直したかと思えば、そのまま幸助に向かって飛行。
斬られた傷も、宙を舞っていた間に『黒』き雨で受けた傷も治さず疾風の如き速度で迫る。
『氷』が傘のように彼を雨の雫から守る。
「君は強い、クロッ!」
概念属性についてどれだけ把握しているのか。もしかするとグレアやその仲間から情報を得ているのかもしれない。
『空間』の発動には移動距離に応じたインターバルが設けられる。
次のタイミングを迎える前に幸助を倒すつもりか。
「それでも、負けるわけにはッ!」
再び槍が形成される。
魔法式の複雑さに対して再展開が早すぎる。
おそらく、破壊されることを前提に事前に魔法式を組んでいたのだろう。
「僕は、僕らはッ!」
盾を展開するのは簡単だが、視界を遮りたくない。
数センチ四方の『黒』きパネルを複数生み出す。小さい分精密な操作が求められるが、邪魔にならないのがいい。
地面、雨、残る【黒喰】、パネル、そして【黒纏】。
これだけの魔法を維持、操作しながら戦うのは幸助にとっても簡単なことではない。
だがこうしなければならない相手だった。こうした上でそれを越えてくる敵だった。
ルキウスという男は、それだけの。
「英雄などと祭り上げられようと」【黒喰】が彼を切り裂こうと迫る「僕らにはそんなものよりも優先すべきものがある!」彼の身を覆うものがあった。『氷』だ「果たすべき約束が!」迫る【黒喰】を彼が蹴り裂いた「背負うべき責任が!」蒼氷の鎧。その足を覆うものは槍と同じ多重構造だが、形状が刃だった「貫くべき愛がッ!」蒼き刃状の両足により、舞うが如く突き進む彼の進路上に出現したあらゆる攻撃は切り裂かれる「己が己として在る為に、曲げてはならぬ柱があるッ! そうだろう!?」
彼は幸助に何かを伝えたいわけではない。
理解を求める為の言葉ではない。
己を動かす為の、魂を燃やす為の、立ち止まらない為の叫びだ。
幸助には、彼の想いが痛いほどよく分かった。完全に理解出来るなどとは口が裂けても言えない。そんな軽々しい共感を示す程愚かではない。
ただ、共通点はあるのだ。
己の過失で妹を失ったという、共通点がある。
この世界で妹に再会したという、共通点がある。
妹を守り、その幸福を支えられるだけの力と意志を持っている、という共通点がある。
でも、この場で勝てるのは一人だけなのだ。
同じ後悔と決意を抱えていても、勝者は一人。
もう一人は敗者となる。
彼が迫る。もう止まらないだろう。
幸助は、地面の『黒』も、『黒』き雨も消す。
【黒喰】は全て破壊された。
パネルは突きの軌道に合わせて配置するつもりでいる。
曲刀に『黒』を纏わせる。単に刃に薄く展開するのとは違う。炎のように揺れる『黒』が曲刀を覆い尽くし、なおも猛っていた。
曲刀を頭上に構えた。
『氷』の足を消し、『風』魔法を解いたルキウスが己の足で地面を蹴る。
「僕が知る限り最も強い戦士である君が敵であっても、それを打倒出来ないならばッ!」
彼我の距離が急速に縮まる。
「己として生まれ変わった意味などない!」
彼の槍が迫る。
「兄を名乗る資格などない!」
貴族が、国家が敵であっても、冤罪をかけられた妹を救えないのであれば。
幸助も同じように思っただろう。
立ちはだかる壁の大きさは関係ない。
自分が決めた一つのことを、果たせるかどうかだ。
次があるなら今度こそ。
その『今度』を掴めるかどうかだ。
彼の槍が眼前にある。
パネルを軌道上に展開。
ルキウスは構わず槍を突き出す。
急速に『併呑』されることで縮小しながらも槍は形状を保つ。
「クロ! 君を倒して僕は――ッ!」
彼の槍が【黒纏】の鎧に喰い込む。
それが幸助の心臓を貫くよりも。
『黒の英雄』の刃が『蒼天の英雄』の身を裂く方が、早かった。
『氷』の鎧は『黒』を一部相殺したが、その刃はルキウスの身体を肩から臍の位置まで斬り裂いた。
血飛沫が舞う。
彼が人間の形を保っているのは、優秀な英雄規格だからか。
追撃は――不要と判断。
乱れた髪、切り裂かれた衣服と肉体。絶えず流れ出る血液。
それでもまだ、彼は立っている。
倒れることを、己に許せないのだ。
斬られた拍子に落とした槍を拾う力は残っていない。
彼の手に、氷の棒が握られる。
槍を作ろうとしたのか。生まれたのは、柄というにも足りない棒だった。
互いに魔力を使い過ぎた。彼の傷では意識が朦朧として治癒の魔法式を組むこともままならないだろう。
慣れ親しんだ『氷』すら、なんとか発動しても今の規模なのだ。
「……ルキウス」




