282◇蒼黒、激突ス
『蒼天の英雄』ルキウスは、幸助がこれまで対峙した全ての敵と比しても何ら劣らぬどころか、自身と同じ『黒』保持者であるグレアやエルマーに次ぐ脅威であった。
彼は『氷』属性によって『黒』保持者である幸助と対等の戦いをするだけの実力がある。
それは少ない魔力で氷の絨毯を敷き、また雪を降らせることで【黒纏】の鎧を継続して消耗させることや、単一の円錐を数百層にも重ねることで『容易に併呑出来ぬ槍』を作り上げたことや、幸助の戦法を頭に入れた上で極めて回避困難な馬上からの刺突を放ったことからも分かる。
あと一瞬でも判断が遅れていれば、槍に抉られたのは肩ではなく頭部や心臓だったかもしれない。
ルキウスという魔法戦士は、幸助の命に届き得る強者。
友であればこそ幸助を知り、敵であればこそ命を狙う。
『白の英雄』クウィンも敵対したことがあったが、彼女は心の内で救いを求めていた。
だがルキウスはそうではない。いや、たとえ求めていたとしても幸助では救えない。永遠に誰にも救えないかもしれない。それでも誰か一人挙げるなら、きっと彼自身だろう。
ルキウスの抱える後悔は幸助と同じもの。
クウィンから情報は得ていた。ルキウスに似た少女が旅団にいたと。
『蒼の英雄』サファイア。
それだけで、もう充分。
彼を恨む気持ちも責めるつもりもない。
ルキウスは漆黒の馬に跨がり、片手に騎兵槍を掴んでいる。
こちらに向かって、彼を乗せた馬は駆けている。
彼に対し、罪悪感や哀れみを向けることはしない。幸助は己にそれを許さない。
彼は己の意志で幸助との戦いに全身全霊で臨んでいる。
笑顔の絶えない優しい青年が、鬼気迫る表情でこちらに向かってくる。
まず、幸助は彼が『氷』でしたように『黒』の絨毯を敷いた。
これで『氷』の地面に足をとられることはない。
次にかつてエルマーがしたように『黒』の雨を降らせた。
これで『雪』に煩わされることはない。
そして【黒葬】――罠のように遠方に『黒』を設置する魔法――を彼の進路上に設置。
発動。
これによって地面から突き出た獣の牙を思わせる『黒』に彼の馬が食い千切られる。
馬から転げ落ちるかに思えたルキウスは空中で『風』魔法を展開。槍を取りこぼすこともなく幸助に向かって飛行。
漆黒の雨を凌ぐ為に絶えず頭上に『氷』の膜を貼り続けることも忘れない。
「……【千刃黒喰】」
視界を埋め尽くす程の『黒』き三日月の刃が生み出され、標的へと奔る。
「この程度で止まるものかッ!」
あのルキウスが、腹の底から噴き上がる熱を吐き出すように――叫んだ。
それは幸助の攻撃を侮っているのではなく、己を鼓舞する為の言葉。
実際は、この物量に対応することはほとんどの英雄にとって難事だろう。
あぁ、だが。
彼はルキウスなのだ。
ひょっとすると誰よりも、幸助の戦いに詳しい男。
突破された。
彼は『雹』の吹雪を起こした。拳大の氷塊が風に乗って無数の【黒喰】と激突。全てを相殺するのではなく飛来する刃という形状を損なった。氷塊とぶつかることによって刃が砕け、または半ばから折れるなど部分的に相殺された【黒喰】はそのまま散っていく。
幸助といえどあの瞬間にあれだけの数を生み出し、かつ操作可能とする魔法式を組むにはどこかを省略するしかなかった。つまり、個々の刃が破壊された場合の挙動だ。
二つに分かれた場合でも操作を受け付けるようにすることは可能だが、それを省いたのだ。そうすることによって魔法の発動を間に合わせた。
彼は『黒』の威力を知っている。幸助の能力を信じている。
故に怖じることなく強行突破を選択出来たのだ。
それだけではない。
無理に発動した氷塊の嵐で全ての【黒喰】を無力化することは叶わなかった。
彼は滑っていた。
他になんと言えばいいのか。
滑走。滑走としか言いようがない。
『黒』き地面に人が立つことは出来ない。現在地面は絨毯というより、実のところ広大な水溜りのようになっている。水深数センチもない、真っ黒な湖面だ。
これならば部分的に相殺しようと周囲から液状の『黒』が流れ込む。再展開に意識を裂かれる必要がないというわけだ。
だがルキウスはこれに対応。
槍と同じく幾層にもなった氷柱を何本も突き立て『併呑』までの時間を稼ぐと、柱と柱の間に氷の道を通したのだ。
橋というより、それは幸助からすれば高速道路やジェットコースターのレールに思えた。
『風』での回避をやめた理由もすぐに判明。
彼は器用に【黒喰】を引きつけ、寸前で躱す。方向転換よりも先に彼が通り過ぎたことで無用となった氷の通路に激突、相殺。
確実に【黒喰】を減らしている。
進路を予想して【黒葬】を展開しようとすれば再度『風』を使用。
「全てが思うままに呑み込まれるなどと思わぬことだッ!」
馬、『風』、氷の通路。
それらによって、先程まで開いていた距離は大きく縮まっている。
「……そうだな」
侮っていたわけではない。
彼を斬る覚悟もある。彼に幸助を貫く覚悟があるように。
ただそれでも、何処かで思っていたようだ。
直接斬る、ということを避けられるのなら、と。
少し距離が空いたくらいで、そんな選択に無意識がすり寄ってしまった。
これでは、彼に対し無礼というものだろう。
幸助は決意を新たに、とある魔法を発動。
「――ッ!」
『黒の英雄』がその姿を消す。
そして、【黒纏】纏いし英雄が彼の背後に出現していた。
『空間』移動だ。
驚くべきことに、ルキウスはこれを読んでいた。
先程のセリフは『誘い』だったのかもしれない。
柄を短くした槍を握り、振り返りざまに捻りを加えた刺突を放つ。
疾走する馬の上から放たれたものではないが、その威力は凄まじかった。槍の構造によって、併呑された先から円錐が顔を覗かせる。一体どれだけの層を剥がしたことか。
結局、槍は【黒纏】を貫通した。
ルキウスはそこに至ってようやく違和感に気づく。
――クロがこれほど容易く死ぬわけがない。
と、そんな思考が過った筈だ。
そしてそれは――正しい。
【黒纏】の鎧は――中身が空だった。
移動と同時に背面を解除、幸助はギリギリ槍の射程外へと逃れた。
そして突きの直後に接近。
【黒纏】の残骸は事前に組んだ魔法式に従い紐状になると槍に絡みついた。
「くッ!」
判断が早い。
ルキウスは槍を手放し『風』魔法で自分を吹き飛ばす。
今この瞬間命を落とさない為の強引な回避行動。
幸助の切り上げは彼の右肩から右眉にかけてを切り裂いた。
その時に、彼の結ばれた横髪が半ばから断たれて落ちる。




