277◇双、二、初
『翠の聖者』ジョイド=ネリヴラド。
生命力の与奪を可能とする『翠』の遣い手。
彼は魔に属する者から生命力を奪い、それを聖なる者達に与えた。傷も病も治した彼は現代において医療に携わる者の守護聖人とされる。
そんな、信仰の対象である聖者と対峙しているのは。
『剣戟の修道騎士』アリエル並びに『祓魔の修道騎士』サラ。
双剣を携えた美貌のエルフと、主の金と対をなすような白銀の髪をした二丁拳銃使い。
「まったく……ナノランスロット卿には困ったものです」
クロのことである。
「えぇ。ですが適格者の選出能力はあるのでしょう」
「分かっていますよサラ。その上で、心が僅かに不満を訴えかけているという話です」
「失礼しました」
両名は過去の旅団戦においても『翠の英雄』と戦った。『翠の英雄』レイド。にこやかで皮肉屋。仲間への情は持っているようだったが、どこか嘘臭い。そんな印象を受ける色彩属性保持者。
『翠』が司るは『生命』。レイドはそれを『植物』の形でイメージしていた。
アリエルとサラだけが連合英雄の中で『翠』との戦闘経験を持っている。
とはいえ、レイドとジョイドは違う。ジョイドは紛れもなく『聖者』なのだ。アークレア神教信徒に向かって聖者と戦えなどと、神に背けと命ずるようなもの――と、考えてもおかしくない。
実際、激怒する者もいるだろう。
だがクロはおそらく分かっている。これは背神でも涜神でもない。むしろ逆。
その死を冒涜された聖者の魂を解放する行為なのだ。
ならばそれは、神の代行者たる修道騎士の役儀と言えよう。
二人がそういう思考に至り、指示に従うところまでクロは考えていた筈だ。そうでなければ彼が無思慮な愚将ということになる。そうではないのだから、やはり考えが及んでいたのだろう。
そのことが、美しい言葉ではないが端的に言うと――癪だった。
親しさとは関係のない、己の信仰にまで及ぶ理解。ともすると恐怖を感じかねないが、クロはそこがまた巧みだった。
彼の行動が連合の勝利の為にあるのだと、仲間の全員がとうに承知している。
だからこそ、こちらを深く知りながらもどこか高い視点から指示を出す彼の人間離れした判断を、『癪』と感じるだけで済んでいるのだ。
よいでしょう。少々気に入りませんが、任されました。そんな具合に戦いに臨むことが出来る。
目の前に立つは知的な印象を受ける面貌の男性。
ジョイドの屍。当然のように生気はない。
「アリエル様」
「えぇ」
来る。魔力反応だ。
球、だった。
膝を抱えた人間ならば収まりそうな、球体が生じた。
ふわり、ふわりと浮いている。
その数は四つ。
球体は半透明で、中に何かが入っているようだ。それはところどころ白っぽく、紫のような赤のような肌のような色をしている。ぎゅるぎゅる蠢いたかと思えば、それは二つの塊に分かれた。次の瞬間には四つに。無数に分かれたかと思えば表面に張り付き、瞬きの間には一つの塊に戻っている。
「……一体、何だというの」
不思議だ。悍ましい光景なのに、どこか神聖さを感じる。
「胚……のつもりなのでしょうか」
「生きているように、見えるのだけれど」
「魔法で一から生命を創り出すことは出来ません。ですからあれはあくまで、『翠』具現化に際し参考にしたものに似せた紛い物でしょう」
神の定めた方法以外で生き物を増やすことは許されていない。
それ以外の手段による、生物の要件を満たす存在の創生は許されざる罪。
そのことは『転生』にも現れている。
『人間』とはいえ、あらゆる異界の死者が集まっては様々な不都合が生じよう。それは病であったり、子が為せなかったり、そもそも生きられなかったり。
この世界において、異界の死者を転生者と呼称する理由はそこにある。死者の遺体は過去生の世界に残る。アークレアで目覚める自分の身体は、アークレア用に再構築されたものなのだ。
そこに存在した生き物が別の場所へ移っただけではないから、転移ではなく。
単に喚び出されたわけではないから、召喚でもない。
失われた生を転ずる。溢れ落ちた生命ばかりを拾い、己が世界に用意した器へと転がし入れる。
故に転生。
神の奇跡。贖罪と再起の旅路。
補正が掛かり、特殊技能はスキルや魔法へと組み替えられる。記憶・知識と魂・精神以外に別世界の何かを持ち込むことはなく、また現地人や転生者同士の生殖にも支障はない。
鬼であろうと、吸血鬼だろうと、どのような亜人だろうと、人と子を為すことが可能。過去生で不可能であろうと関係ない。本来繁殖方法が異なる種であろうと、『人』として転生させられたのであれば問題ない。
アークレア神教が差別を禁止する理由の一つでもある。真実人類は平等なのだ。
『翠』が司る『生命』といえどそのルールは曲げられない。干渉限界だ。
生命力を奪い、与えることが出来る。あくまで在るものに対する与奪の権利。
レイドの植物も植物に似せた魔法でしかない。
目の前の胚とやらも、命には発展しない。
それでも、破壊を躊躇う自分がいた。アリエル自身驚いたが、命の原型を思わせるその球体を壊すということへの忌避感は想像以上に大きかったのだ。
パンッ、という乾いた音がなければ、アリエルはきっともう数秒立ち止まっていただろう。
サラの武器、その銃口から煙が吐き出される。
その頃には胚の一つに穴が空き、そこからドロリとした液体が漏れ出していた。中の何かが苦しみにのたうち回るかの如く暴れる。悲鳴が聞こえた気がした。錯覚だ。
サラが続けて弾丸を撃ち出すよりも先んじて、アリエルは駆け出していた。
胚の側をすり抜けるようにして通り過ぎる。否――通り過ぎざまに刃を閃かせていた。
バシャアッ、と二つの胚が裂かれ、地面に中身をぶちまける。
ぴくぴくと痙攣していた何かは、すぐに蒸発するように消えた。
撃ち抜かれた球体も萎み、同様に消失。
――なるほど、こういうことですか。
クロの判断は正しかった。
『生命』は魔力攻撃に含まれる魔力をも『生命力』認定し奪うことが可能なのだ。
かつてレイドに『導き手』マギウスが命を奪われた。干からびたような遺体の衝撃が強すぎたが、思えば魔力反応は一瞬で消失したのではなく、瞬時に奪い尽くされたのだ。
だからこそ、この二人なのだ。
『翠』と直接戦ったことがあり、その攻撃に臆することなく、屍となった聖者に立ち向かう精神性を持ち、そして――弾丸と剣という、魔力を伴わない武器を軸に戦う英雄規格。
その身を直接侵されない限り、『翠』に無力化されることのない遣い手。
神話の時代を生き抜いた聖者とまともにやり合って勝てるとは思わない。
ジョイドの屍が二人に対応するよりも早く、経験で上手のこちらが聖者の魂を解き放つ。
背中から聞こえる銃声に構うことなく、アリエルは駆ける。
彼女の弾が自分を貫くことはない。掠ることさえ有り得ない。
疑いはなく、それがアリエルを加速させた。
再び球体が生じる。
その数――いや、視界どころか四方八方を埋め尽くす程。数える余裕などない。
「突破します」
「はい、アリエル様」
迷いなき修道騎士の疾走が、聖者に迫る。




