275◇侵蝕
グレアは自分がどうすべきか既に理解していた。
普段ならばそれを即座に行動に移す。
だが出来なかった。
それはシリウスを、マリアを、イオを見捨てる行為。
全員が悪魔に身体を奪われることだけは避けねばならない。
マリアが奪われたことで、悪神が帝都にいるという情報は掴まれた。
だが魔術的に隔離されたあの空間への入り方は、マリアも知らない。
グレアが逃げ切れれば、時間が稼げる。
魔法が通じないアルマと、『黄』のマリア、死して蘇り洗脳されたイオ。相手取って戦うには厄介過ぎる相手。
「マリア、幸助は何処にいるのかな」
アルマはまるでグレアなど眼中にないとばかりに視線をマリアに向ける。
「ろえるびなふ? そういう国があるみたい。そこでインヴァウスさん……この子その人のこと苦手だったみたいだね、あはは。とにかく、その人と戦ってる。でもね、アルマくん」
「なんだい?」
マリアの纏う空気が変わる。本物の彼女からは決して放たれることのない、妖しい気配。
「きみは悪魔のアルマくんでしょう? 人間のトッキーじゃあない。あの御方を最優先してくれないとダメじゃないかな?」
責めるというより、確かめるような口調。
「……そうだね、その通りだ。済まない。少し、時匡がうるさくて」
「千年経ってるのにねぇ。羨ましいような、かわいそうなような」
――乗っ取られた人間の精神は、どのような状態なのか。悪魔優位の同化に思えるが……。
アルマの口ぶりからするに、『器』とされた人間の精神が死なない限りは肉体も朽ちないと受け止められる。アルマはトキマサを気に入っているようだ。無理やり支配するよりも、共存の形の方が器が長持ちする、というのは考えられる話だ。実際、四人の中でアルマだけが健康な人間の形を保てていた。
「あの御方は何処に居られるのかな」
「あーくすばおなの帝都、だね。ふふ、帝国が出来てるんだ。しかもね、ダルトラって王国もあるんだけど、面白いのが――」
「あぁああッ! テメェらいい加減にしやがれ!」
マイが我慢の限界とばかりに話を遮る。
「あぁ、済まないマイ。そうだな、続きは君を『黒』持ちにしてからにしよう」
グレアは自分がどうすべきか、既に理解していた。
そして、シリウスもそれは同じだった。
二人は悪魔共が会話に興じている間にグラスによって通信。グレアは最後まで迷ったが、シリウスは断固たる意思で己の役割を主張。
――何たる愚将か。
いつかジャンヌに言われた通りだ。
クロノに負け、部下を失った。
そして今度は奴の父を前に、仲間を残して逃げるのだ。
「アルマくんが手伝うなら、わたしはベルちゃんの方へ――およ?」
「ちぃッ!」
「……賢い」
グレアは『土』魔法により地面を隆起させ、土壁による突き上げを三体の悪魔に放った。
マリアとアルマは回避。
マイは直撃を食らって吹っ飛んだ。
「不味いな……マイの形象体が朽壊寸前だ。マリア」
「お任せあれっ! 一応は人間の身体なんだから、『限界』を伸ばして崩壊を引き伸ばしてみるよ」
焦っているのとは違う。困っている……? 信じてはいなかったが、奴らの言う不滅はどうやら言葉通りではないらしい。
とにかく、確かめたいことは確かめた。
「さて、やってくれたね。覚えているかな、僕の信条は――」
「要は同害報復であろう。娘を奪われた貴様は、敵の娘を殺したか?」
「馬鹿だな君は。時匡にはそれが出来なかった。だから僕と一つになったんだよ。悪魔は人の望みを叶える。契約は違わない」
「仲間を奪われた己にも、貴様の仲間を奪う権利があるのではないか」
「それを僕が否定したかい? すればいい。話をちゃんと聞いていなかったのか? 僕らは天成罪形。人が生まれつき持つ十一の罪が、形を成したモノ。目には目をという報復が、罰であるという考えがあるだろう? 被害に遭ったなら、加害行為も正当化する。それが人なのだし、僕はそれを肯定するよ。暴力的な正義のなんと愛おしいことか! ただ悲しきかな、誰もがそれを果たせるわけではない」
――…………。
「一つ問う」
「君は問うてばかりだろう」
「悪魔と宿主の利害が不一致に至った場合、どうなる?」
「……なに?」
「悪神にとっての己が神にとってのクロノであるなら、何処かのタイミングで必ずある呪いが魂に刻まれる。すなわち、敵する神の討滅」
「……君が善を気取る神を殺す必要があるなら、僕らは敵じゃあない」
「だが貴様はクロノの敵だ、アルマを名乗る悪魔よ」
「君は、何を知っている」
「クロノは他者に刻まれた呪いを解いた。神はその罪に、どのような贖いを求めただろうか」
「……っ」
僅かに表情が歪んだ。思考がクロノに割かれた。
――今だ、シリウス。
「……これは」
マリアだけではない、マイもアルマにもそれは通じた。おそらく、ベルにも。
『光』魔法。攻撃用ではなく、単に眩い光を発するだけのもの。
それは日中でさえ目を眩ませる程の強烈な光だった。
ベルという悪魔と戦闘中だったシリウスが、応戦をやめて使用した魔法。
悪魔に肉体を奪われまいとする人間が、抗うことをやめる。
そんな有り得べからざる選択だからこそ、悠久を越え再び世に放たれた悪魔達の想像を越え、対処を一瞬ばかり遅らせることが出来た。
魔法を無効化出来るとは言っても、それは魔法式に介入しそれを無効化するということではないかとグレアは考えた。
先程の土魔法でそれを確認。
つまり魔法式に触れられない形での魔法の影響、あるいは着弾時に魔法の影響から解放されている攻撃などは通じるのではないか、と。
あの土魔法を無効化しても、消えるのは操る効果だけで土はそのまま。だからアルマは回避を選んだ。
そして強いだけの光は、距離があるが故に魔法式に触れられず無効化出来ない。
事実、時は稼げた。
グレアが最後に見たのは、ベルに胸を貫かれるシリウス。
次の瞬間、グレアは『空間』で移動出来る最大距離を飛んだ。
そこから次の『空間』が使用出来るようになるまで、『風』魔法で移動。
無力感を噛み殺し、握られた拳からは食い込んだ爪によって血が滴る。
――済まぬ、シリウス。
彼は悪魔に身体を奪われる。それを承知でグレアを生かすことを選んだ。
ならば、自分はそれに報いねば。




