274◇二人の復讐完遂者、一人の――
ぴくりと、男の眉が動くのをグレアは見逃さなかった。
「聞き間違いでなければ、君は今、黒野と言ったのかな。僕を見て、黒野と。連想した? 誰を」
男から笑みが消える。
「どう聞けばいいんだろう。あぁ、あぁそうだ、君の言う黒野は、エルマーのことか? あいつは今も生きているのか?」
エルマー。千年前の黒野幸助。少し前まで、エルマーは生きていたという。それをクロノが呑み込んだ。一人の人間を二度転生させたところで、すぐに死んでしまう。世界の法則。それをエルマーという存在を千年生かしたことで、クロノは免れた。
「貴様は何者だ」
先ほどと同じ質問。だが求める答えは違う。
どのような存在かは聞いた。
知りたいのは、どのような関係か。人間として、クロノにとっての何者なのか。
男は目をぱちくりと開閉した後、唇を笑みの形に歪める。
「黒野時匡。妻は小福で、息子が幸助、娘が永遠だ。僕を見て連想するなら子供かな。で、男か女、どちらを連想した?」
クロノコウスケ。その響きは悪神から聞いたことがある。
では、目の前の悪魔は、悪魔と契約した人間は――奴の父か。
グレアは気付いた。いや察しがついてしまった。
疑問だったのだ。
神話英雄に数えられる者の中で、色彩属性保持者は『黒』のエルマー、『白』のスノー、『蒼』のクローズ、『翠』のジョイド、『紅』のハートの五人。
その内、英雄譚では別人として描かれる『暗の英雄』がおり、この正体が精神汚染に蝕まれたエルマーだ。『黒』の英雄であるグレアにはそれが分かった。
だが分からなかったのは、何故彼だけが狂ってしまったのかということ。
神話英雄は色彩属性保持者以外も含めて大勢おり、彼らはみな多かれ少なかれ伝説を残している。
魔法の発動規模で言えば、色彩属性保持者達が圧倒しており、だから――エルマーが狂う程に神化の防遏に抵触する魔法を行使したなら、他の者だってしていてもおかしくない。
何故、最も特異で強力な魔法を持つエルマーだけが狂ったのか。
神話英雄は現在の英雄よりも神の愛を強く受けていると言われている。補正が強いと言われている。
なのに、狂う程に【黒迯夜】を連発するか?
どんな敵ならエルマーにそれを選ばせるというのだ。
きっと、答えが彼らだ。彼、というべきか。
アルマ。黒野時匡。
実の父親が悪魔に身体を奪われ、悪神の手先となった。
魔法を無効化する術を持ち、人類を滅ぼそうとしている。
クロノはそれでも、救おうとしたのではないか。
妹が為に国さえ敵に回すような男だ。
アルマを倒す為というより、父の身体に仲間を殺されないよう守って戦う為に。
「どっちもだと思うよ、アルマくん」
「……リュツ」
「マリアって呼んでほしいな」
マリアの身体を奪った悪魔が立ち上がっていた。
その傍らには死人のような顔をしたイオが立っている。
「君がそう言うなら……。ではマリア」
「なぁに」
「どっちも、というのは?」
「名前変わってるけど、エルマーは生きてるみたい。いや……違うのかな。わたしは直接逢ってないみたいだけど映像があって……便利な時代になってるなぁ」
「マリア」
「あはは、要領を得ないね、ごめん。どうにもこの子、頭は悪くないんだけど使い方が下手みたいで。えぇと、そうっ! エルマーと、その妹はこの世界にいるよ。トワイライツ、だって」
「――トワ、が……?」
その表情を見て、グレアは分からなくなっていた。
悪魔に取り憑かれた者は、その者の記憶と身体を奪われるのではないのか。事実マリアはそう思える。
だがアルマと呼ばれるこの男は、父親のような顔をしたのだ。
「そうか……そういうことも、あるのか」
口許を手で覆い、こみ上げてくるようなものを堪えるように、不出来な笑みをこぼす。
「あれから千年経ってるみたい。せんねん……! 永いねぇ。やっぱエルマーじゃないのかな。でも理に反するし、何か仕掛けがあるのかも」
「そのあたりは、あの御方に尋ねてみよう」
「そうだね。あっアルマくん、グレグリさん……そこの『黒』の子だね、ふふふ、娘さんを殺した男の上司みたい」
リュウセイのことだ。クロノの妹を殺した集団の主犯格。
「……へぇ。その人物は何処に?」
「地獄じゃないかなぁ、エルマーに殺されたみたいだから」
「幸助は、二度も……」
復讐を果たした。
「アルマ! マリア! てめぇらくらだねぇこと言ってねぇで、そいつをぶっ飛ばすのを手伝えよ! ぜってぇ殺すな、オレの器にすんだからよ」
マイと呼ばれていた巨漢が苛立たしげに叫んだ。
「マイマイはあれだよね、わたし達が力を貸すのを当たり前だと思ってるよねぇ」
「うるせぇよ、さっさとしやがれ」
「怖いってぇ。まぁ、それでもマリアって呼んでくれるあたり、マイマイの優しさが滲み出てるとわたしは思うのであった」
「テメェ前の器の方がまだマシだったぞ。気色悪ぃったらねぇな」
「ひどい……こんな可愛い子なのに」
「二人共、少し静かにしていてくれるかい」
「あぁ? アルマ――」
「静かにしていて、くれるかい」
「――――」
巨漢が口を閉ざす。
四人の悪魔は立場こそ対等なようだが、実力に差があるのか。器のあるなしが関係しているのかもしれないが少なくとも現在、巨漢を黙らせるだけの力がアルマにはある。
「二人は元気にしているかい」
「……己は奴らの敵だ」
「だが想像するに、君は二人に逢ったことがあるんじゃないか? 少なくとも幸助とは逢っている筈だ。二人いるなら、『黒』に『黒』をぶつけようと考えるだろうから」
「貴様の目的はなんだ」
「君は質問ばかりだな」
「……クロノは、幾人もの英雄を率いる立場にいる」
「はは、あまり変わっていないみたいだ」
子の近況を聞いて、どことなく嬉しそうな親の顔。
「僕の目的ね。君、結婚の経験は?」
ある。子供だっていた。だが失った。
「僕はね、果たせなかった責任を果たそうと思うんだ。子の幸せを願わない親はいない。我が子が自分の力で幸福を手に出来るようになるまで見守る義務が、親にはある。でもほら、世の中物騒だろう。永遠には一緒にいられないし、幸いを助けるにも限度がある。僕は一度失敗しているしね。だから、全員死ねばいいと思うんだよ」
「――なんだと?」
「子供と、子供が愛する人々を除いた、全人類を滅ぼすんだ。そうすればもう誰も、僕の子供達を傷つけられはしない」
トワイライツは過去生で、リュウセイを筆頭とした集団に陵辱の限りを尽くされ、死んだ。
クロノは過去生で五年の月日を投じ、リュウセイらを見つけ出し、復讐を果たした後に、死んだ。
残されたトキマサもまたアークレアへと飛ばされ、彼は悪魔に魅入られてしまった。
我が子がもう二度と苦痛に苛まれぬ世界を願ってしまった。
「面白いだろう。この器は、千年経っても子の幸せを願い続けている。親の責任とやらを果たすまでは消えられないらしい。でもエルマーは助けるとか元に戻すとか、的外れなことを言っていたなぁ」
アルマとトキマサは、いびつな形で共存していると考えるべきか。演技にしては自然体過ぎる。
エルマーは、失敗した。父を助けられなかった。悪魔との契約は解除出来なかった。
だからといってエルマーが、千年前のクロノが諦めるとは思えない。
おそらく、他の英雄達が隔離を選んだのだろう。十一体の不滅の悪魔を広大な土地ごと封印することを選んだ。クロノをどう説き伏せ――いや、『白』で記憶を消したのか。
エルマーは父の身体を奪った悪魔を殺せず、奴から仲間を守り抜く為に【黒迯夜】を連発し、だがその記憶は消失した。
残ったのは進み過ぎた精神汚染だけ。どうして自分がこんなにも狂ったかさえ、エルマーには分からなかっただろう。
「子供を幸福に導くことが正しいことだと時匡は信じていた。誰もが己の正義を持っている。自分を肯定し、誰かを傷つける正義を。君はどうだい? 己が信じることの為なら、どんな犠牲も厭わない。そんな心を持ってはいないのかな」
持っている。
「全ての世界で最も多くの人間を殺した悪なる感情を――正義という。だとすれば、全人類を対象とした正義を行う時匡は、僕にとってこれ以上なく最適な器なのさ」
人好きのしそうな優しい笑顔で、アルマはそんなことを言う。
「エルマーがもう死んでいるのだとしたら、僕はまた失敗した。クロノがエルマーなのか、そうでないのかは分からない。だが幸助には違いない。ならば僕は、為すべきことを為すだけだ」
「正気ではないな」
「悪魔にそんなものを期待しないでくれ」




