273◇復讐完遂者の――
「イオちゃん!」
『黄』は液体のようなイメージで発現し、対象に注ぎ込まれる。
『限界』には幾つかの応用があり、『限界値の更新』『更新した限界値まで能力を引き上げる』の他、『一時的な限界突破』という使用法もある。
『黄』は無限に『限界』を更新させることが出来ない。干渉限界だ。これがなければどんな者でも神に等しい力を手に入れられることになる。そんなことは許されない。
イオはマリアによって各種能力が大きく引き上げられた。小柄なままなのは何か理由があるのかないのか。とにかく、一般的な現地人と比べものにならぬ戦闘能力を有する兵士だ。
マリアに与えられた魔法具も複数装備している。そこに『一時的な限界突破』が加われば、瞬間的に準有資格者程の力を発揮する。
「おれはアルマじゃないから、『やられたらやり返す』とかはしない。あいつはちょっと、器に影響され過ぎなんだよな。で、おれの話だけど。あいつほど優しく出来ないおれがどうするかというと――こうする」
イオが二つに割れた。
頭蓋から股下まで一直線に線が入ったかと思うと、ぱかりと分かれて倒れる。
ぷしゅう、と血液が吹き出し、ぼとりぼとりと内蔵が転がり落ちていく。
「人には出来ることと出来ないことがある。別に出来ないことに手を出すなとは言わないが、挑戦と自殺の違いくらい理解出来る頭がないといけないよな。イオだっけ、この子はあまり賢くなかったようだ」
「ぁ……あ」
「マリア……ッ!」
マリアは自分自身の戦闘能力によって七聖の二席に任命されたわけではない。もちろん並の魔法使いでは遠く及ばない実力者ではあるが、今問題なのはそこではなかった。
あまりに有用な能力から帝都で秘密裏に運用されていた有資格者。
つまり、彼女の精神は戦場に最適化されていない。
大切な者が目の前で無残な死を迎えた時、すぐさま最善の行動に移れるだけの心構えが出来ていない。
「い、いお、ちゃ」
「なぁ、マリア。彼女が大切だったんだろう? 分かるよ。きみを見ていれば分かる。きみは今こう考えているね? 『こんなの嘘』と。現実を拒絶している。いいよ、それでいい。手伝ってあげよう。おれが現実を拒絶してやる。なに、願うだけでいい。どうか生き返ってほしい、と」
「マリア! 聞くな……ッ!」
「願いは自分で叶えるもの。素敵なことだ。でも自分だけでなんでもしようだなんて傲慢だと思わないか? 人は一人では生きていけない。一人で生きていると勘違いすることは出来ても、必ず何かの助けを借りている。目的達成に自分の力だけで不足なら、他者を頼ることの一体何が悪いというんだ? おれはそうは思わない。『黄』でイオを蘇生出来るならそうしろ。邪魔はしない」
「…………」
「マリア、おれなら出来る。イオを蘇生出来る。生き返らせることが出来るんだ。希望を抱け、願えば叶えてやる。口に出す必要はない。ただ、イオの元気な姿を望むだけでいい」
イオの遺体から視線を動かさなかったマリアが、顔を上げた。
「――願ったな」
悪魔を包む襤褸布が、びくんびくんと震える。中身が震えているのだ。
「己の都合で死者蘇生さえ望むとは、何たる傲慢! 神の定めた死を覆そうとは、何たる罪悪! だが叶えようッ! おれは貴様の抱える悪そのものなのだから!」
襤褸布が地面に落ちる。風が吹き、宙へと巻き上げられる。
そこには何も無かった。
――消えた。否。
「入っちゃった」
マリアの、声だった。
「んー、やっぱ新鮮な身体は最高だね。前回も前々回も男だったからちょびっと違和感あるけど、すぐ慣れるかなー」
マリアの身体で口を動かしているのはだが、もうマリアではない。
「よぉし、じゃあ契約通りイオちゃんを治すぞー!」
ぐちぐちぐち、とイオの亡骸が動く。
断面同士が触れ合い、耳障りな音を上げながら癒着。
流れ出た血液の一滴まで体内に戻り、そして――目を覚ました。
「……ま、りあ、様」
「そうだよイオちゃん。死んでたきみをわたしが生き返らせたんだ。でもだいじょぶ! 死後三百五十一秒以内の蘇生であれば許可されてるからわたしが罰を受けることはないよ。安心してね」
「……おまえ、誰だ」
主の異変に、イオは気付いたようだ。
「ふふふ」
マリアの肉体を操る悪魔が、イオの頭部を右手で掴む。
「これ、あまり得意じゃないんだけど」
「あっ、んぎッ!? おっ……!」
イオの身体がビクンビクンと俎上の魚のように跳ね上がる。
尋常ではない苦しみようだが、目的は殺害でも苦しめることでもない筈。おそらく洗脳。
「他所見してんじゃねぇッ!」
グレアは焦らず後退。一瞬前までの立ち位置が陥没。敵の拳によるものだ。
「他人を気にしてる場合かよ、なぁ『黒』持ちの聖者さんよォッ!」
「……己はこう感じている。『不愉快だ』と」
「そうかい、そいつは悪かったな!」
グレアを狙う男は戦闘を選んだ。マリアの身体を奪った悪魔のように契約を持ちかけることもなく。
契約方法が悪魔ごとに違うのか。単に性格か。あるいは――半殺しにすれば『生きたい』という欲求が自然と湧く。それを『願い』として契約を結ぶことが可能なのか。
【黒纏】によって全身と刃に『黒』を纏わせる。
迫る拳を大剣で迎え撃つ。
まるで紙でも裂くように刃が通り、拳が中央から裂ける。
だがマリアを乗っ取った悪魔同様、痛みを感じている様子はない。
それよりもグレアが驚いたのは、『併呑』したのが魔力だけだったこと。
悪魔に肉体を奪われると、『黒』でもその能力を我が物とは出来ない?
あるいは、千年という月日でとうに肉体は朽ちており、彼らは魔力で形をどうにか保っているのか。
だから早急に新たな宿主を欲している?
「クソがッ。この器じゃいつまで経っても殺せやしねぇ! おいアルマ、手ぇ貸せ!」
「……器となった人間を消耗品のように扱うからそうなるんだよ」
「うるせぇなぁ。テメェの器がちょっと長持ちしてるからって偉そうにほざくな」
「千年はちょっとじゃあないと思うんだけどね、僕は」
「わぁったから早くしろ!」
「まったく……」
グレアが口の悪い巨漢を【黒喰】で一呑みしようと魔法を放ったところだった。
アルマと呼ばれていた悪魔がグレアと巨漢の間に割って入り、【黒喰】の刃に向かって手をかざした。
『黒』き刃はアルマを呑み込――まなかった。
消えた。
「悪いね。僕には魔法が効かないんだ」
移動の所為か【黒喰】の余波か、アルマの頭部を覆っていた襤褸が下りた。
意外にも、襤褸を被った男にしては清潔感があった。健康的な肌に、柔和な笑み。若く見えるが、三十代後半から四十程だろうか。立ち姿からあの強さは想像出来ない。というのも、体格に恵まれているわけでもなければ、気配も一般人のそれなのだ。
普通の中年男性に、異次元の強さと能力が宿っている。そんなちぐはぐな印象。
黒い髪に、同色の瞳。『ニホン』や『ヤマト』などといった出身者によくある特徴。
何も珍しくない。特に似ているわけでもない。確実に別人。それだけは確か。
なのに、気づけばグレアはその名を口にしていた。
「……クロノ?」




