269◇黄茅白葦、救うべく
古の『暗の英雄』と同じ力を持つ人間が、この時代には二人いる。
一人は今も『黒の英雄』を名乗るダルトラ英雄の筆頭、クロノ。
そしてもう一人が、グレアだ。
普段は下ろしている黒の長髪は紐で結われ、馬の尾のように揺れている。灰をかぶった銀を思わせる両の瞳は、前方に広がる空間に向けられていた。
「その髪型似合ってますね、だんちょ」
からかうように言ったのは、傍らの少年。月光が如き毛髪に、満月が二つ並んだような瞳、右目の舌には三日月が上下に並んだ入れ墨が彫ってある。
『耀の英雄』シリウスだった。
彼とグレアは共に、アークスバオナ帝国リオンセル皇帝直下の精鋭集団七聖に席を連ねる英雄。
序列はグレアが末席の七で、シリウスは五だ。だというのに、シリウスはグレアへの敬意を忘れない。過去、彼は旅団に属していた。それが関係しているのだろうか。
「フリッカが、付けろと」
髪紐のことだ。義娘である童女に逢った際、贈られたものだった。
「あぁ、元気デスかあの子」
「体はな。だがどうにも気が沈んでいるようだ」
「お父さんも旅団のみんなも忙しいデスからね、寂しいんでしょう」
「あぁ」
「早く全部解決して、みんなで笑って過ごしたいものデス」
「……そうだな」
クロノ率いる連合に敗北してから、旅団は一時グレアの手から離れた。元より正式には存在しない集団。英雄達は皇帝の命令のもと、各々の能力を存分に振るっていることだろう。
その内幾人かが『教導の英雄』ジャンヌ麾下に組み込まれたことに不安がないわけがない。
彼女は命の扱いに感情を持ち込まない。
彼女の異常は、自分に親しい者であってもそれが変わらないこと。
必要なら、楽しそうなら、それだけの理由で彼女は手塩にかけて育成した《特選兵》すら使い潰すだろう。思い入れの薄い旅団メンバーの扱いに温情など望めない。
「それにしても、今になってファカルネに手を出そうなんて、陛下も焦っておられるとゆうことなんでしょーか」
シリウスが自身の横髪を指で弄びながら、そんなことを言う。
二人がいるのは、開かれた大地。まだ明るい。昼だ。
「もう時が無い」
この大陸で真実を知っている者がどれだけいるだろう。
アークスバオナは引き下がれない。下がったところで死を待つばかりなのだから。
それは不作、などという言葉で表現出来るものではないのだ。
アークスバオナの大地からは、日々『力』が奪われている。新しいものを生み出し、朽ちれば新たなる生命の礎となる。生命の循環の基盤である大地から、そのエネルギーを盗んでいるモノがいる。
グレアとリオンセル帝はその正体を知っている。あるいはクロノ程の者であれば、感づいてるやもしれぬが。
悪神。リオンセルの正妃を依代とし、帝都内に設けられた魔術的空間に幽閉された悪なる神。
奴は、その力を徐々に取り戻しつつある。
その顕現が為の力を、アークスバオナの大地から掻き集めているのだ。その所為で新たな生命が芽吹かない。『翠の英雄』レイドの尽力によって大地に生命力を吹き込むことで時間稼ぎをしているが、それもいつまで保つか。
そしてこれは、アークスバオナだけの問題ではない。
このままいけば、連合が勝利したところで大陸全土に悪神の被害が及ぶだろう。
アークスバオナは、アークレアを救おうとしている。
連合はそれを邪魔しているのだ。
だが彼らを責めようとは思わない。いや、責められない。説明すれば聞く耳を持つ者もいるかもしれないというのに、グレアとリオンセルはそれをしていないから。正確には出来ないのだが、大差ない。
「時、デスか。確かに敵が思ったよりしぶとくて、予定がかなり遅れてますケド」
「深刻な状況だ」
「飢えるのは苦しいデス」
「ファカルネ解放が叶えば、状況は変わる」
「それは、まぁ」
アークスバオナとダルトラの間に、ロエルビナフがある。そしてロエルビナフの北西に幻想国家ファカルネの大地が広がっていた。
アークスバオナと国境が接しているのは、魔術国家エルソドシャラル、中立国家ロエルビナフ、幻想国家ファカルネの三国となる。
エルソドシャラルより東にはギボルネの大地が広がっているが、聳え立つ山々を挟んでいる為、渡るのは困難。
この内、エルソドシャラルは『紺藍の英雄』リリス率いる部隊が制圧に向かったが失敗、ロエルビナフは現在ジャンヌ指揮の許、戦闘中。そしてグレア達がファカルネ担当というわけだ。
幻想国家ファカルネ。
そこに存在していること以外、何も知ることが出来ない空間。その大地に関する情報は非常に少なく、アークスバオナに伝わっているのは噂レベルの伝承のみ。
神代。一部の者が逃げ、空間ごと閉ざすことで争いと無縁でいようとした、というもの。
また、神の陣営が悪神の手の者を空間ごと封印した、というもの。
どちらであっても、あるいはどちらも的外れであっても、この閉じた国を開ければ大きく時を稼げる。
まだ悪神に汚染されていない、広大な土地。更にはダルトラ、ギボルネと直接接した大地。
短期決戦以外の選択肢が生まれる、というわけだ。
「邪魔が来るカモって言ってましたケド、来ませんね」
ファカルネは『黒』や『白』さえ受け付けない。色彩属性保持者には分かるのだ。これは神の権能によるものなのだ、と。それが善神か悪神かは分からないが、神がこの国を閉じた。
こじ開けるのは現状不可能だと、クロノならば判断出来る。自分と同じ存在であるグレアにも無理だ、と。
「おそらく、奴は自国側の国境に兵を配置しているのだろう」
「あ、ナルホド」
クロノが万が一のことを考えない筈がない。ファカルネを包む結界が突如解けた場合、それを即座に把握し対応出来るよう手段は講じている筈。
「だとしても、好機には変わらん。ジャンヌが奴を抑えている間に、結界を破壊する」
「……抑えている? だんちょは、あの人が負けると思ってるんデスか」
問われ、あの盲目の将の姿を思い浮かべる。
「あの女が最後まで己の愚かさに気付かねば、そうなろう」
「へぇ……よっぽどクロノって凄いんデスねぇ。だんちょがそんなに高く評価するなんて。ちょっと嫉妬します」
シリウスは微笑んだが、クロノへの敵意が滲んでいるように見えた。
「あ! あの~! アヴィくーん! グレグリさーん! 遅れてすみませーん」
後方から声。
「だんちょ、グレグリさんって呼ばれてるんデスか?」
「貴様こそ、アヴィとはな」
アヴィディアシリウスからアヴィ、グレアグリッフェンからグレグリ、だろう。
「可愛いデショ」
「目が笑っていないぞ」
「あぁいう何も考えてなさそうな人、苦手で」
顔を顰めるシリウス。
あまり真意を見せない少年にしては素直な感情表現に、グレアの口許が思わず緩む。
「笑わないで下さい。だんちょもすぐに分かりますよ」
「そうか」




