263◇紅く燃ゆる・邪2
宝具の重ねがけが許されない理由は公にされていない。だが少しでも頭の回るものなら感づく筈だ。
おそらく呪われるからだろう、と。
英雄一人につき一つ。神の力を宿した特別な道具。
普段遣いする者とそうでない者がいるのは、特別だからといって自分と相性がいいとは限らないから。
クロノやグレアが持つ『不壊の剣』くらい単純なものであっても、剣士でなかったら無用の代物だろう。
宝具は戦いの選択肢を増やすが、それは何も良いことばかりではない。選択肢が多くなると、選ぶまでに掛かる時間も伸びる。
基本的には褒美であり、実戦で身につける割合は半々といったところか。ローグは持ち歩いていない。所有する事で迷う時間が生じるなど無駄でしかない。
背後の女は逆。自分自身が無能だから、選択肢を増やすことでしか戦えるレベルまで上がってこれないのだ。呪いと引き換えに手に入れた力。それを誰の入れ知恵か最適のタイミングで行使した。
色彩属性は魔力消費が桁違い。少しでも油断すれば魔力器官と脳が炭化してしまうので、その二点の『治癒』速度は優先的に『進行』させねばならない。その上で全身にも『治癒』に施している。
この状態を一秒でも長く続けるのが赤髪の女の役目なのだろう。
『紅の英雄』という強力な魔法戦士の動きを止めることがどれだけ自軍に利するかよく分かっている。それを担うのが貴族というのも得だ。強い駒を、弱い駒で止めておく。アークスバオナだけが損をするばかりか、他に戦力を割ける連合に利する一手。
命令した者も実行している女もいかれている。
こんなもの、なるべく時間を稼いで死ねと言っているのと同じ。流れる時間の中でずっと苦しむことになるが、それでもやれ。そんな命令。
それを楽しげにこなす背後の女は、どんな精神をしているのか。
「呪われてまでッ、仕える価値のある男か、クロノが」
「順序は逆なのですが……まぁ、はいー」
「こんなことさせてんだ、どうせテメェのことなんざクソを拭く紙以下にしか思ってねぇだろうぜ」
魔法は脳で組む。魔力は燃料でしかない。思考を乱されれば魔法も乱れる。
クロノがどのようにして女を従えているかなど分からないが、大切に思っているならばこんな任など就かせないだろう。
「だからなんです?」
「――――」
「貴方には関係のないことですよねー?」
些かも乱れが生じない。
分かった上で従っているのか。
「ご心配なく。私と彼が結ばれることだけは確かですから」
「それは、ねぇな。どっちも、此処で死ぬんだからよ」
ようやく魔法を組むことが出来た。
ローグにしてはえらく時間が掛かったが、絶えず押し寄せる死の危機から逃れつつ別の魔法を練り上げたのだから仕方がない。
「そんなに欲しいってんなら、オレの身体をくれてやるよ」
「要らないので燃え尽きてくださいな」
軽口を返す赤髪だったが、直後に動揺するのが分かった。
敵が自殺すれば驚きもするというもの。
正確には、自分自身の首を『風』の刃で断ち切ったのだ。
「な、にを……――まさか」
一応は英雄の血を引く者ということか、頭の回転は悪くないらしい。
宙を舞うローグの頭部。
残された胴体は赤髪の女の魔法によって炭化し、すぐに風に攫われて消えた。
簡単な話だ。不意打ちを受けた。それが原因で劣勢を強いられている。ならば、解消すればいい。
体ごとは無理。ならば一部ではどうか。結果、成功。
首から身体が急速に再生する。『紅』の力を借りている為一瞬で済んだ。
魔法式を組み、魔法を発動し、首を切る。切られた首から肉体を再生。
「はッ! 二度目はねぇぞ女ァッ!」
「まず服を着てほしいですねー。旦那様以外の裸なんて見たくないですからー」
驚きも一瞬以上は続かない。余程良い血を継いでいるようだ。本人の性質もあるだろうが。
赤髪の女は身体をすっぽりと覆うローブを作り出し、纏っていた。
ローグへの追撃を試みたところでもう無駄だと理解してか、燃えた衣類の代わりを優先したのか。
――むかつくヤツだ。
色彩属性保持者を前にして、見栄えを優先するとは。
二人は空中にいた。
魔力器官まで作り直した為、体内魔力はほぼゼロ。急速に練り上げてはいるがもう数秒は掛かるだろう。
重力に逆らわず落下、着地。
アリスも続く。
「あのー、男の子の『男の子』が見えてしまってますよー。露出狂の方ですかねー。なるほど、アークスバオナの『紅の英雄』はそちらの方面での狂気を抱えておられるというわけですか」
「……口の減らねぇ女だ」
繕いは雑だが軍服を模した服を魔法で作り上げた――その時だった。
魔力の生成が止まったのだ。
「確かに、二度目はなかったですね。一度目が二回あっただけでー」
感情の乗っていない薄笑み。
「……ッ!?」
赤髪の女が使っていたのはおそらく認識阻害の宝具。それだけではあまりに強力な能力だ、おそらく制限や条件が厳しいのだろう。日に数秒とか、一人までとか。そうやってバランスをとる。宝具で人が強くなり過ぎないように。
そんな宝具持ちが、二人いた? そしてどちらもローグに狙いを定めていた?
いや、違う。
ローグは断言出来た。
「出番があってよかったよ~。さすがに今回はサボれないからねぇ」
背後から突き刺された片刃の剣が魔力器官を貫いて腹部を突き破っていた。
「誰だ、テメェ……ッ!」
魔力が練れない。
魔力器官が傷ついていることだけが理由じゃない。体内魔力を魔法にすることも出来ない。
――魔封石だとッ!
魔封石製のゴーストシミターなど聞いたことがない。
「気配を殺すのは得意なんだぁ。トワ様なんて、お布団に入っても気付かなかったくらいだし」
ローグは周囲に気を払っていた。魔法使いだろうと戦士だろうと近づいてくれば気付いた筈。
だが実際は接近を許してしまった。頭部からの肉体再生による魔力不足があったとはいえ、有資格者の感覚を欺く精度の隠密行動。
そんな遣い手だというのに、魔力反応はほとんど無い。抑えているというか、これは並の現地人レベル。
「ふ、ふざっ、けんな! オレ様が! 『紅の英雄』シヴァローグ=グラファイレングスがッ! 貴族と現地人に負けるだと。そんなこと、あるわけが――」
かつて仲間に売られた時とは違う。死刑にされた時とは違う。何かミスがあったわけではないのに。
「『紅の英雄』かぁ。確かにきみの言う通りだと思うよ~。きみの実力でぼくとその子に負けるなんて本来有り得ない。ぼくらが百人ずついても、きみには敵わない」
「あぁ、そうだッ! テメェら如きがオレ様の時間を奪うなんて許されねぇ!」
「でも、きみは今負けたんだ」
なんてつまらない。いや、最悪な負け方。実力を充分に発揮することも出来ず、敵のいいようにやられ、命を奪われることもなく無力化された。
いや、違う。魔力が練れずとも、自分は元より魔法戦士。魔法が使えまいが戦士は残る。
現地人程度なら――。
「きみが振り返ってぼくを殴るより、ぼくが刃を薙いできみの内蔵ぶちまける方が早いと思うよ~」
ゴーストシミターの女が言っていることは、事実。
魔力器官ごと胴体を裂かれてはさすがのローグも死ぬ。神の魔力を――いや、この距離なら頭まで裂かれる方が早い。
「クソがッ……!」
「あららー。『紅』を祖に持つ者として、恥ずかしくてなりませんねー」
「あ?」
「……きみ、ハートの子孫で女の子って、もしかしてアリス? トワ様を冤罪に陥れたっていう」
「……お耳が早い。それにしてもトワ様とは。うちの旦那様はどのようにしてヘケロメタンの方々を従えたのでしょう」
「クロ様のこと言ってるのかなぁ。きみを嫁にすることだけは有り得ないと思うけど~」
「恋は計算して落ちるものではないでしょう。かつて殺し合った者同士が恋仲になる物語なんていくらでもありますしー」
どうやら事前に示し合わせた行動ではなかったようだ。
それどころか初対面。
だがそんなことよりも。
「クソ女共、オレ様を無視してんじゃ――」
「きみ、もう寝てなよ。……あ、そうだ。お相手は十士五劔『地』のハルヤが務めさせていただきましたぁ」
聞いたことのない肩書きだった。
だが赤髪が言うにはヘケロメタンの戦士。
有資格者だけではない。使えるものはどのような手段を講じてでも用意する。
それはまるで『教導の英雄』ジャンヌのようで……。
苛立たしいことこの上ないが、自分の負け。
自分はクロノの采配を前に敗北したのだ。
――ちくしょう。
次があればどのように対応すべきか。
思索に耽る暇は与えられず、頭部に衝撃。
ローグは意識を失った。




