258◇悉く白むまで
クウィンを引き取ったクリアベディヴィア家は『白の英雄』スノーダストの末裔とされている。
スノーダスト・フィーネラルクス=クリアベディヴィア。彼女の名前は英雄譚にもよく登場する。
物語という形式に再構成・一部創作された英雄譚では『黒の英雄』エルマーと並んで主役級の描かれ方をしていた。主人公は誰かと読者に問えば大抵はエルマーかスノーあるいは両方の名を上げる。
白と黒、という色を司ったのは大きいだろう。人は時に正邪を、勝敗を、明暗を、その二色で分ける。世界を二分する、二つの色。それを操る二人の英雄。
エルマーは武勇が目立つ。どのような難局も乗り切り、どれだけ絶望的な状況からも多くを救い勝利を収める。義を貫く勇を備え、その人格と行動を以って種族問わず多くの者を惹きつけた。
反面、スノーは孤高の者として描かれた。
かつてのクウィンには分かった。仲間なんていても、邪魔なだけだ。自分よりも遙かに弱い、少し魔法を当てたくらいで世界から消える存在を近くにおいては、戦いに集中出来ない。それならば一人で戦いに臨んだ方がいい。自分と、後は敵だけ。そうすれば目に映る全てを消せばいい。
彼女の魔法の才は凄まじく、現代においてもその爪痕は残っている。
かつて万を超える魔獣の軍勢を前にした時、スノーは魔獣との間に線を引くように、大地を『無かったこと』にした。地殻変動に匹敵する規模の魔法で、大峡谷を作ったのだ。スノーは後ろにある人の街を守る為に、迎撃ではなく時間稼ぎを選んだと言われている。撃ち漏らしが人を襲わないように。
誰も巻き込まないことを第一に戦う孤高の魔法使い。
多くを語らず、ただ結果のみを積み上げていくスノー。
エルマーとスノーが共闘するエピソードは読者の中でも特に人気が高い。
そんな、原初の大英雄。その双頭が一つ。
スノーダストが、目の前にいた。
だがクウィンは知っている。話を聞いている。エルマーを悪領に封じる策に、スノーは協力した。現代の人間には知りようがない葛藤や事情があったのかもしれない。あったと考える方が自然だ。
それについて、どうこういうつもりはない。
ただ思う。
もし自分が同じ立場ならどうするだろう、と。
クロが、どうしようもなく精神汚染に侵されて、取り返しのつかない状態に陥ったのが明らかなら。
無理だろうな、と思った。いや、だろうなではない。無理だ。自分を非業の死という呪いから解放してくれた彼を、裏切った自分を友という理由で助けてくれた彼を、自分を救った所為で呪われても優しく笑った彼を、人を想うことを教えてくれた彼を、どうして獄に繋げようか。出来ない、そんなことは断じて。
でも、彼の方はそれを望むだろう。必要ならそうしろと言うだろう。多分、苦笑しながら。エルマーが救いではなく終わりを望んだように、潔く。
スノーの屍は動かない。真っ白な髪をした、綺麗な女性だった。その紅い瞳に、クウィンは既視感を抱かずにはいられなかった。どこで見たのだろう。すぐに気付く。鏡だ。彼女を通して、かつての自分が死人のような目をしていたのだと気付いた。
彼女が僅かに首を傾ける。生前の癖なのかなんなのか、瞬間、魔力を感知。
泡、だった。色は当然、白。最初は小石程度だった泡はすぐさま拳大程になり、そして――弾けた。
中に『白』が詰まっていたらしく、周囲に飛沫が散る。
クウィンは咄嗟に横に飛んで回避。飛沫は触れた地面を『無かったこと』にし、周囲に小さな穴が幾つも空いた。
一口に色彩属性といっても、そのイメージは個々人によって異なる。あのクロでさえ、初めての悪領攻略の際にどう『黒』を使えばいいのか、最初分からなかったそうだ。ある時、ふと分かる。クウィンもそうだった。魔獣に殺される恐怖から咄嗟に出たのが、最初の『白』だった。
通常、色彩属性保持者は最初のイメージに以後の発動が引き摺られる。
クウィンは『振り払う』イメージだ。嫌なものを、腕で薙ぐ。そうして目の前から消してしまう。
スノーは『泡が弾ける』ようにして消してしまう、ということなのだろう。
旅団にいた『翠』保持者レイドは『生命』を『植物』で表現していたし、『蒼』所持者サファイアは『雪華』だと言っていたし普段はそう見せているが、咄嗟の使用では人の手のようなものに『撫でられる』イメージを抱いていたように思う。
そのように、最初に抱いたイメージ以外の表現も可能なのだが、どうにも僅かに挙動が遅れる。
クロやグレアはその瞬間ごとに最適な形で色彩属性を造形しているが、あれは尋常ではない。ただ彼らにも、イメージしやすい形はあるようだ。剣や液体の形にすることが多いのは、それが理由だろう。
立て続けに泡が浮かぶ。ふわり、ふわり、ぱちん。びしゃあ。水滴に触れたものはこの世から永遠に失われ、二度と戻ることはない。中々厄介だ。魔力量に対し効果範囲が広い。数滴浴びたくらいでは余程当たりどころが悪くない限り死ないだろうが、完全に回避することも難しい。ふわり、ふわり、ぱちん。ふわり、ふわりふわりふわりふわり。まずい。屍を操る者からどのように操作しているかは不明だが、ジャンヌは殺せと命じた。一番近くにいるクウィンから片付ける、普通の魔法使いならばそうしただろう。だが彼女は死者で、『白』の遣い手だ。泡を遠くへ飛ばすことも出来る。
今ここで、自分が処理しなければそうする。実際、泡は移動を開始していた。泡ごとに割れ方が違うのか。時間、衝撃、魔力反応、泡の大きさ。必要に応じて使い分けているのだろう。確かめている余裕はない。
「【白】」
薙ぐように『白』が泡を払う。視界を埋め尽くす勢いで放たれた泡の全てを相殺するには凄まじい魔力が必要だった。
がくっ、と膝から力が抜ける。
疲労、ではない。
齧られたように、右膝の一部が無くなっていた。
――泡が、当たっていた……?
『囲繞』属性で魔力反応を隠していたのか。
『白』を『黒』の下位互換だ、と言う者がいる。『黒』だって存在するものを消す――呑み込む――ことが出来る上、あちらは自分のモノ、自分の力とすることが出来るではないか、と。
主に英雄譚でどちらの英雄が強いかの議論で用いられるもの。
そういった見方もあるのだろう。クウィンも別に、自分の力がクロよりも優れているとは思わない。
だが明確に優越している部分もある。
『無かったこと』にするのだ。例えば『黒』で腕を呑み込まれても再生出来るが、『白』で消された腕は再生を施しても生えない。生き物には『肉体の設計図』とでも言うべき情報が刻まれており、『白』はそこにまで干渉する。『傷ついた』のではなく『最初から無かった』のだから、治るわけがない。治す箇所などない。世界も身体もそう認識する。
スノーの泡というイメージは実に効率的だ。少ない魔力で最大の効果を発揮する。何も敵の全てを『無かったこと』にする必要はない。足の一本でも消せば立てなくなる。腕を消せば剣は振るえない。
動きを封じたところで、頭部を消せばそれで終わり。魔法使いとて考える脳が失われば為す術などない。一撃必殺などではない。一瞬で片がつかなくてもいい。徐々に動けなくし、やがて殺す。
体勢が崩れ倒れる途中でクウィンは気づいた。
自分の頭部や腹部を迎え撃つように、泡が生まれ、膨れ上がっていた。
小さい頃から、戦いが嫌いだった。小さい頃から、戦わされてきた。アークレアに来た転生者はたまに『ゲーム』のようだ、と言うらしい。一種の娯楽で、虚構の世界を疑似体験出来るのだとか。
ゲームだったらよかったのに。炎に炙られる肌の痛みも、魔獣に噛まれた傷に触れたら皮がベロンと剥がれ落ちた時の恐怖も、魔獣の息遣いや臭いも、命を奪う感触も、孤独も、呪いも、悪夢も、虚構だったらよかった。臨場感があったな、ちょっと怖かったけど面白かったよ。今日はここまでにしよう。そうして安全で少し退屈な日常に戻れるのだ。でも違う。全部生々しくクウィンの生活に纏わりついていた。
クウィンは戦うのが怖いし、怖いのも痛いのも嫌だし、自分の強さだって望んだものではなかった。
嫌なら逃げてもいい、と言ってくれた人がいた。
その人はクウィンを救い、英雄としての役目も求めなかった。
では、何故自分はこんなところにいるのだろう。
もう非業の死に怯えて暮らさなくていい。英雄としての生き方を強制されることもない。
願いが叶った。ぐっすり寝て、好きなものを食べて、好きな服を着て、好きなところに遊びに生き、好きなことをする。己の幸福を全力で追いかけていいのだ。
自分は転生者ではないけれど、第二の人生を手に入れた。
自由なのだ。
――じゃあ、どうして?
「……ぅ、ぁっ」
クウィンは『風』属性魔法を発動。突風を吹かせ、強引に身体の軌道をずらす。吹き飛ばされるように宙を移動。
『無かったこと』になった肉体の部位は戻らない。治らない。では終わりなのか。どうしようもないのか。手の施しようがないのか。違う。
設計図が消えたなら、一から作り直せばいい。
人体に対する深い理解とそれを明確に思い浮かべられる集中力が必要だが、それと『治癒』を組み合わせれば。
新たに作り出された部位を消去された箇所に収め、繋げる。痛覚を鈍麻させている余裕はない。悲鳴を上げたくなるような痛みを堪え、敵を見据える。
「言い……忘れてた。わたしは――『白の英雄』クウィンティ・セレスティス=クリアベディヴィア。あなたの血胤では、ないけれど。あなたの名前を、借りている」
スノーは応えない。心という機能は再現されていないのだ。あるいはあったところで、彼女は無視したかもしれないが。
クウィンティは十番目に造られた泥人形だ。セレスティスは自身の創造に用いられた六人の英雄の名から一字ずつ頂いたものだ。クリアベディヴィアは貴族家の思惑で付与されたもの。
名前は、そうなってほしいという期待や希望を込めてつけられることがあるという。
クロの本名であるコースケは、『幸いを助ける』と書くのだとか。妹の永遠は『永く遠く』。あの二人は同時に生まれた双子なので、『永く遠くまで、幸いを助け合えるように』という願いが込められいるのだと、以前聞いた。
実際にあの二人は、互いが幸福になれるようにと、ずっと助け合っているように見える。両親の願いは叶ったわけだ。
クウィンの名前には、そういったものはない。
力以外の全てが、クウィンには欠けていた。
何故戦うのか。簡単だ。
自分が唯一、獲得したもの。
クロへの恋情。
このままでは、彼は一年後に死んでしまう。悪神を倒さなければ消えてしまう。そういう呪いを、彼は背負っている。
死なせるものか。
自分が彼の幸いを助けるのだ。彼がそうしてくれたように。その為ならば竦む心を奮わせ、どんなことだって――。
「あなたを……倒す」
純白の粒子が舞い、クウィンの身体を覆っていく。自分が最初に抱いたイメージと異なる『白』の展開。だが難しくはない。何度も間近で見てきたから、イメージは出来る。
【黒纏】。『併呑』を鎧とする魔法。
言うなれば、【白纏】か。
『否定』の鎧。
スノー相手に距離をとっては決着はつかない。干渉限界を越えた魔法を使えるのだとしたら、死者にそのデメリットは関係ないだろう。早々に倒さねばならない。
戦うことが嫌だったクウィンは、自然と距離をとって相手を封殺する戦い方を身に着けていた。
今日、自らそれを捨てる。
白に染まった英雄が、大地を蹴った。




