255◇惨憺たる劇毒、慈母が如き神愛、蝕むは
アリルデントは一人の兵士を眺めていた。
ダルトラ王国軍の兵士だ。軍服に身を包んだ一人の青年である。年の頃は二十代前半程で、中肉中背。装備は標準的なそれ。こまごまとしたものを除けば、武器と呼べる者は剣くらいのもの。魔法具の類いはなし。
オリジナルの確保は迷宮攻略する他なく、人工魔法具も製造こそ可能だが大量生産には向かない。
少なくとも既存の方法では。仮に出来たところで人工魔法具に出来るのは『効果』の再現まで。オリジナルはその性能の発揮に必要な魔力を世界が負担するが、人工となるとそうはいかない。レプリカまで面倒はみれないということか。
ともかくそういうわけで、アークレアの現地人に人工魔法具を持たせるのは基本的に無駄。
ではオリジナルはどうかという話になるが、これは一考する価値がある。というか実際にアークスバオナも敵も取り入れている。
ただやはり普段から戦いと隣り合わせの日常を送る転生者と比べると平和ボケした兵士共はトロイ。とういうわけで、そこそこ遣える攻略者に持たせた方がマシという結論になる。
結果として、『兵士』という生き物の用途はそれが生まれた時と大して変わらない。役割ごとに装備が定められ、一様にそれを纏う。蟻の群れが如く見分けがつかない。個人戦力よりも、集団としての練度が求められる。
大勢いると実際厄介なもので、余程の魔法使いでもなければ撃ち漏らしが生じ接近を許してしまう。
個人で戦況を引っ繰り返すような一騎当千の英雄は、そうはいない。とはいっても、それに近い英雄規格がこの世界この時代にはそれなりに揃っているし、『余程の魔法使い』の数は十や二十では利かない。ただそれもやはり、割合で言えば低い。転生者が百人いれば一人……いや、千人か万人に一人。それくらいだと聞く。実際、色彩属性保持者が確認されない時代もあるくらいだ。
この時代が特におかしいのであって、こうも規格外の戦士ばかりが同じ戦場に集まるのは稀だ。
英雄規格なんて言葉は『天才』と大差ない。時を経るごとに定義が緩くなる。近年では国家の体裁が為に英雄に祭り上げられる者もいるくらいだ。真に英雄と呼ぶに相応しい者がどれだけいるか。
『惨毒の英雄』アリルデント=ファシーガロンは自分を英雄だとは思っていない。だからといって自分を卑下するつもりはないし、この称号を恐れ多いとも思わない。便利なので頂いた。その程度のことだ。
実際、アリルデントはお世辞にも強いとは言えない。肉体の補正は微妙としか言い様がないし、魔力はそれなりだが適性魔法属性も少ない。
背は高く腕も長いが、骨ばった身体の所為で不気味に映る。黒紫色の毛髪を光沢のある整髪料で後ろに撫で付けている。唇を舐める癖があり、それもあってか蛇のようだと形容されることが多い。
英雄旅団所属の英雄だ。
『惨毒』とつくように、アリルデントが扱うのは毒。
『毒』は『土』に属する。利点はなんと言っても、単なる『治癒』が利かないことだろう。迷宮攻略に挑む者の死因で、毒死は上位にあがる。俗に治癒属性と呼ばれるものは汎用性と実用性を高めたもので、人の自己修復能力を強めるものだ。これでは毒に対応出来ない。毒だけでなく、たとえば体内に異物――銃弾などや魔物の生体部位――が残っている場合も、それを取り除いたり分解するところまでを治癒魔法は行えない。別途そういう魔法式を組むか、自分で取り除くかする必要がある。
優秀な攻略者ともなれば毒への耐性にも補正が掛かっているので、死ぬより先に魔法式を組むことも出来るだろう。中途半端な者だと、長く苦しんで死ぬ。もちろん、種類や量にもよるが、毒は転生者にも十分通用するのだ。
それでもこれが迷宮攻略なら、最寄りの集落なり街なりに解毒剤を販売する者がいたりする。
優れた『治癒』持ちか、解毒剤。どちらかは必要だろう。『黒』を初めとする色彩属性保持者は例外だ。奴らは規格外の対応力で解決してしまう。
魔法なんてものが存在するこの世界でさえ、毒殺という暗殺集団は古くから用いられてきた。アリルデントは旅団に属しながら、ジャンヌにも手を貸していた。彼女が作った毒のおかげで、随分とアリルデントが魔法で精製する毒の種類も増えたものだ。何人も何人も殺した。
好きなのだ。
苦痛にゆがむ人間の顔が。
もがき苦しみ、喉や胸を掻き毟り、酸素を求めるように口をパクパクさせ、顔色を悪くする。時に青白く、真っ白に、青紫に、土色に。その変化は劇的で、非常に愉快だ。
アリルデントに重い過去はない。大層悲惨な過去を抱えた者の多い転生者だが、そういう者ばかりではないのだ。不幸というのは当人の感じように過ぎない。
誰の目にも明らかに不幸、と言えないものでも本人さえ苦しんでいればそれは不幸だ。
アリルデントは過去生で軍医だった。運ばれてくるのはいつも死に損ない。お国の為にせっせと敵を殺し、手痛い反撃に遭った国家の英雄達。彼は患者を励まし、力の限りを尽くして治療に取り組んだ。患者が快復に向かい、感謝と信頼を向けられるようになった時が頃合い。愛する者の話や身の上話なんてものを語り始めるくらいの仲になってから、毒を盛る。単に殺すよりも、戸惑いや裏切られたと気づいた時の絶望に染まる顔色が最高にクるのだ。落差が激しい分、気持ちよさも段違いなのだった。
しばらくは上手くやっていた。適度に救い、適度に殺していたつもりだった。だが次第に歯止めが効かなくなり、バランスは崩れていった。殺す方が多くなり、最後の方は全員殺した。自分に疑いを持った僚友に手を掛けたあたりで事が露見、捕縛された。結果、死刑を言い渡される。アリルデントは毒殺を希望したが、銃殺刑に処された。音が大きいなと思ったくらいで、大して苦しまず死んでしまった。
殺される寸前まで、アリルデントは悔やんでいた。あぁ、もっと自分を抑えるべきだった。あるいは手回しをしておくべきだった。もっと殺したかった。殺せた筈だ。足りない。もっと見ていたい。もっと色んな人間の歪む顔がみたいんだ。まだまだ気持ちよくなりたい。満たされていない。まだ渇いている。欲しい、と思った。欲しいのだ。酷い話じゃないか。まったく理不尽だ。
こんな不幸があるだろうか。
まだ自分は生きて、人を殺すことが出来るのに。
下手を打ったばかりに人生が閉ざされる。
結果として、次のチャンスがアリルデントには与えられた。
――やった! また殺せる。彼は歓喜した。
旅団に所属したのは、仲間を尊重さえすれば、味方さえ殺めなければ好きにやっていいとのことだったから。それだけではなく、相互互助の精神が助かった。何か困ったことがあった時に、無償で手を貸してくれる。こちらも同じだが、恩恵を思えば大した手間ではない。
家族ごっこには欠片も興味が湧かないが、嫌悪もない。アリルデントは学んだ。一人で、というのは難しい、何事も。理解者や協力者の必要性は過去生で実感していた。
特に、自分の好みを把握した上で否定されない環境、というのが心地よかった。たまに仲間を殺したらどうなるだろうと想像することがあるが、今のところ実行に移すつもりはない。
いずれ普通の殺しに満足出来なくなれば、あるいは――。
「どうです?」
いや、よそう。今は目の前のことに集中すべき。そうしなければもったいないというものだ。
アリルデントは崩れた石垣の中でも割合大きい石を見繕い、それに腰掛けた。言っても大した大きさではないのだが、それが丁度いい。座ると、膝を屈した兵士と目が合うのだ。わくわくする。どれくらいわくわくするかというと、ワックワックという感じに擬音を弾ませてしまうくらいだ。
「あ、がっ、ぐ」などと呻きながら顔面を蒼白するところに始まり、やがて「こひゅっ……ひゅっ」と酸素を求めて呼吸を試みる。それが無駄だと分かっていても、やめられない。生への執着が捨てられない。敵に死に様を鑑賞されていても、醜く生きようとしている。無駄なのに。
ぞくぞくぞくっ、と快感が足元から脳天まで駆け抜ける。痺れるような快感だ。もう、ビクビクと震えてしまうくらいに。アリルデントは恍惚とした表情を浮かべて、至福に浸る。最高の数秒だ。この為なら人一人の命など惜しくもない。
「苦しいですか? 苦しいですね? ところで愛する人はいますか? 想像して、彼女、いや彼でも構いませんが、貴方の愛する人は貴方の帰りを待っている。元気な姿で帰ってくることを祈っている。愛おしいですね。抱きしめたいでしょう? ――二度と叶いませんよ」
最早、兵士の瞳に怒りはない。絶望だけだ。絶望に染め上げた。自分が。このアリルデント=ファシーガロンが。
「いやぁ、それにしても中々死にませんね。骨のある人のようです」
これはアリルデントが殺す時に、よく言うことだった。わざと長引かせているだけなのだが、感心するふうに呟く。これが肝心。演技だと思わせてはならない。
ポケットから小瓶を取り出す。
「これが何か分かりますか?」
脂汗を掻きながら、青年がアリルデントを見つめている。
「解毒剤ですよ。一つ。一つ、私の要求に答えて下されば差し上げましょう」
ゆらり、彼の瞳の中に迷いが生じる。同時に希望も。どうせ助からない。そう諦めたところに、救いの糸が垂らされる。どうみても怪しい。飛びついたら切れてしまうだろう。でも、でも、諦めきれない。
人は弱い。
「ダルトラを裏切って、アークスバオナに来なさい。貴方のような強靭な精神力と肉体を持つ兵士が、我が軍には必要です。どうです、悪い話ではないでしょう? 頷くだけで、生きられる」
国の為に戦う兵士? 一体どれだけの人間が真なる忠誠心など持っているだろう。いかに秩序だって動けるように育成したところで、いかに正義の何たるかを教え込んだところで、人は人。
死の恐怖を前には――。




