253◇死せど英雄、されども死者故に
セツナは『黒の英雄』エルマーこと黒野幸助の従者だった。
いや、自分でそう振る舞っていただけで、彼は自分を下に見はしなかったのだけど。
幸助さんは、自分に名をくれた。自分を救ってくれた。返しきれぬ恩と、口にするには勇気がいるが、愛があった。そんな幸助さんは、同じく黒野幸助であるクロによって救われ、その二度目の人生に幕を下ろした。
エルマーとクロは違う。
互いに黒野幸助だし、転生するまではほとんど同じ人生を送っていたのだとしても、やはり別物で別人だ。
トワ様と再会出来なかった主、トワ様と再会出来たクロ。それだけでも人生は変わる。彼らの違いはそれだけではない。
別の人生を歩んだなら、もうそれは別人だ。
それでも、黒野幸助であるという事実は変えられない。
どんな人生を歩んでもその人がその人であることは変えられない。セツナはクロを決して幸助さんと同一視していないが、彼の言葉や行動、振る舞い、小さな仕草一つを見た時に、どうしても愛する彼が思い浮かんでしまう。だがクロとエルマーを同じだけ愛しているかと問われれば、断じて違うと言い切れる。
自分が千年寄り添った黒野幸助は、世界でただ一人だ。
ややこしく思えるかもしれないが、セツナの中ではスッキリしている。
今の主、いやマスターか。彼もまたセツナを下に見はしない。クロ。あるいはクロノなんて呼ばれることが多いようだ。
彼は『教導の英雄』ジャンヌと対峙し、その打倒が為に戦っている。
が、それを阻止する者があった。
一つ、六人の英雄の屍。
どうやら死者を操る魔法があるらしく、それによってエルマーを欠いた神話の英雄と、見知らぬ英雄の肉体が現代に蘇った。
『白の英雄』『紅の英雄』『蒼の英雄』『翠の英雄』『燿の英雄』。
『耀の英雄』ローライトを除く四人は、エルマーとセツナを悪領に千年閉じ込めた張本人だ。
よもや再び顔を合わせる機会に巡り合おうとは。
特に発案者である――奴以外にあのような策を弄する者はいまい――『蒼の英雄』クローズヴォートニルへの怒りは深い。深い? これでは底があるようだ。違う。もどかしい。言葉なんてものは、百年も生きられない人間がその生活を送る上で用いるものだ。積年の恨みなんて言葉さえ、セツナには物足りなく感じる。積年って、長くても数十年だろう? ではダメだ。千年分の苦衷を表す言葉は、きっとない。どんな表現も軽く思えてならない。それでも、とセツナは考える。用意するならば。
許せない、という強い思いだ。
それは並走する間抜け面の男――サイゾーも同じだろう。
暗い緑色の半纏を纏い、右手には縄。蓬髪に無精髭、浮薄な怠け者。だった。見た目や言動は今の所変わらない。彼もまた千年前の生き残り。
身体ごと『途絶』された同胞が幾人も現代まで残っているようだ。
喜ばしい、と言っていいものか。生存は涙が出る程嬉しいが、幸運とは違うだろう。生き残ってしまった、と彼ら自身思っているのではないか。
彼らもまた、再び幸助に逢った。エルマーではない幸助に。
だから、この場にいることに疑問はない。自分と同じだろうから。
同一ではないけれど、同質であると分かる。分かってしまえばもう、放ってはおけまい。黒野幸助を放っておくなんて出来ない。
クローズヴォートニルは一見優しげな顔をしている。特別優れた容姿ではないが、清潔感というのか、そういったものを大事にしているようだった。
エルマーは笑いたい時に笑うが、クローズは笑うべきだと思った時に笑う。微笑んだ方が相手に好印象を与えられるならばそうするし、相手に作り笑いだと気づかせない器用さがあった。
セツナがそれに気付けたのは、常にエルマーの近くにいたからだろう。さすがのクローズも、エルマーの前では素が出ることが多かった。普段との差異が激しかったので、あぁ日頃仮面をつけているのかと分かったのだ。
別に、それ自体は構わない。程度の差はあれど誰しもがやっていること。クローズは間違いなく英雄で、必要なことをする人間だった。
そう、要不要でものを考えるのだ。微笑む必要がなければ笑わない。優しさや正しさや熱さも、全て演出するもの。彼は人類の勝利を目的としていた。それはきっと、人類にとって救いだったのだろう。ただ、彼の判断はあまりに合理的過ぎた。
たとえば、魔獣の群れに小さな村が襲われているとする。
駆けつけたところで、生き残りがいるかも定かではない。救えたところで二、三人だろう。蹂躙された村では補給も望めない。足手まといを抱えるだけならばまだしも、無駄な戦闘で味方が疲弊することを考えれば、ここは無視して進むべき。
エルマーに言わせれば、それも必要な資質なのだとか。
心は尊いものだが、心ばかりに従えばいいというものではない。今のたとえで言えば、村の数人を救う為に時間を消費し、結果として当初の目的が果たせなくなるかもしれない。その時に失われる命は、救った命よりも多いかもしれない。
そうは言いながらも、エルマーは村へと向かった。クローズと口論になりがらも部隊を離れ、セツナと二人で魔獣を倒し、生き残りを助けた。
そういうことが何度もあり、いつも最終的にはなんとかなった。誰もを救えたわけではないが、不要だからと見捨てることは無かった。
クローズはエルマーが嫌いだったのだろう。実際、二人を封印する時に彼はそれを否定しなかった。
ただ、仲間だった。戦友だったじゃあないか。幾度となく助け合い、最後まで戦い抜いた。
なのに、裏切った。
セツナはクロに感謝している。エルマー……幸助さんの最期はセツナが想像していたものよりもよっぽど上等で、救いがあったと思う。
だから、あの結末を否定するわけではない。
それでも、終わり良ければ全て良しなどとは口が裂けても言えない。
苦しかったんだ。苦しんだんだ。千年だぞ。あの閉じた空間で、悠久といっていい時を過ごした。
セツナは今、人間形態をとっている。
戦況は混迷を極めている。
セツナは地下牢に閉じ込められていたのだが、外に出てみると砦は瓦礫の山と化していた。クロだろう。そうでなくとも彼の指示だ。彼は色々考えるくせに、シンプルな答えが好きだったりする。邪魔ならば壊してしまおう。後で直すから。そんなところか。
クロは『蒼天の英雄』に改銘したルキウスに阻まれジャンヌに近づけず、彼女はそれをヘラヘラ眺めている。
セツナと同じく助け出された『斫断の英雄』パルフェンディは屍英雄の内セツナが知らぬ一体へと向かった。その屍英雄は既に薄紅色の粒子を纏う女性と戦闘中。
『白の英雄』スノーの屍と相対するのは当代の『白の英雄』であるクウィンティ。
『翠の英雄』ジョイドの屍を相手どるは二人の修道騎士。名前はなんといったか、トワ様と仲が良かったように思う。セツナは考える。アリエルか。その従者といった雰囲気の女性サラも一緒だった。
『紅の英雄』ハートドラックの屍を迎え撃つのは、なんとトワだった。セツナは駆け出しそうになるも、ある人物を見て思い留まった。半人半鬼であるシュカと、かつて隻腕だったシキ。どちらも千年前共に戦った同胞だった。あの二人にならば任せられる。
遠くで、アキハを見た気がする。才能がないながら、懸命に剣を振るっていた少年。
空中でも戦闘が繰り広げられていた。魔法によって作り出された黒竜が何体も羽ばたいている。片方がクロで、もう片方が別人の『黒』か。本人ではなく吸血鬼による再現。どちらの背にも人が乗っている。竜に乗らず戦場を見下ろす幼い少女がいた。杖を持っている。魔力を練っているようだ。
眼下では魔獣を操り……いや、指示しているのか。巨大な白狼の背にまたがった童女が魔獣を引き連れ敵軍の魔獣を抑えている。
他にも英雄規格の魔力が複数感じられた。どれほどの英雄がこの戦場に集結しているのか。
それらを意識の隅で捉えながらも、眼前の敵に集中。
「よぉ、『蒼』の旦那。こんなところで逢うたぁ奇遇だねぇ」
サイゾーの声掛けに返答はなし。意識があるのであればセツナやサイゾーらの生存に多少なりとも驚く筈。生気がないように感じられるが、実際にあるのは身体だけと見ていいだろう。
「仇討ちなんて柄じゃねぇんだけども、あんたの面ぁ見てると思い出しちまうんだよなぁ」
彼に殺された仲間のことだとすぐに分かった。
クローズは元々、あぶれ者を囲うエルマーのやり方に難色を示していた。これは人魔大戦と呼ばれているように、人と魔族の戦いなのだと。魔の者や亜人、人間であっても役に立たない欠陥を抱える者を『黒の英雄』が仲間に迎え入れてはそこがブレてしまう。『人』の団結力を高める為にも、必要な者のみを選別して導いてほしいものだ、と。
「二対一で卑怯とか、言わねぇでくれよ?」




