252◇暗殺計画と不退転
「トワイライツを殺すんだ」
『教導の英雄』ジャンヌ=インヴァウスの命令は、和平会議よりも前、彼女の執務室で下された。
彼女の副官であるホルスは、聞き間違いでないと知っていながら、それでも義務感から尋ねる。
「クロノではないのですか?」
「分かるともホルス、この真面目さんめ。確かにキミの技術を最も有効に使おうとすれば、百人に百人は敵将を撃たせるだろうさ。それが出来るだけの技と武器を、わたしは与えたからね」
ジャンヌに与えられし銘は『教導』だ。彼女はおよそ不可能など無いとばかりにどんなことでもこなすが、同時に秘密主義なところがある。彼女がどれだけの魔法を使えるのか、把握している者はいない。
逆に、彼女は過去生の世界における技術や技能に関しては惜しみなく部下に与えた。
『暗の英雄』グレアグリッフェンなどは純粋な強者をそのカリスマ性と強固な仲間意識で指揮しているが、ジャンヌは少し違った。
もちろん、彼女にも優れた魔法戦士の部下はいる。
『孤軍連隊』こと『紺藍の英雄』リリス・リパル=リーパーもその一人だ。
だが彼女が特に力を入れていたのは、転生者にも関わらず大した力を得られなかった者や、兵士の適性無しとされたが国の為に戦いたいという意志を示した者。
どちらも、彼女以外には見向きもされない存在だ。
転生者に期待されるのは、それこそダルトラの『黒の英雄』が如き目覚ましい活躍。そうでなくとも悪領攻略による治安維持だ。
その役に立つことが出来ない程度の転生者は、冷たい目で見られる。アークスバオナの状況を見れば仕方のないことではある。
国の役に立てない転生者など無駄飯食いでしかなく。この国に無駄に出来る食料などないのだから。
また、兵士にすらなれない者も同様だ。意志はあっても、身体が弱かったり、何かしらの障害を抱えていたり、名家の者で家族に反対されていたり。
そういった、望む自分になれない者達を、ジャンヌは見つけてくれる。
見つけて、導いてくれるのだ。
ホルスは転生者だ。だが魔法使いになれたわけでもなければ、戦士になれたわけでもない。補正がほとんど掛からなかったのだ。もちろん多少丈夫で、魔法が使えないわけじゃあない。
だが、転生者という言葉から受けるイメージとホルスの実態は、あまりに掛け離れていた。
悪領攻略出来る力もなく、異世界に飛ばされて頼る者もいないホルスは、大義も無いままに軍に入隊する他無かった。
そんなホルスを見出してくれたのが、ジャンヌだ。
「手先が器用だね。目も良いみたいじゃないか。忍耐力もある。わたしについてくれば、きみを特別な人間にしてあげよう。これまできみを『この程度か』と笑った者達が、いかに無能だったか証明したくはないかい?」
最初は冗談を言われているのだと思った。
だが、将軍がわざわざ自分に声を掛けてくださったのだ。
半信半疑ながら応じたホルスは、すぐに彼女が本気であると知ると、その指導にのめり込んだ。
彼女は立場や言動の使い分けが絶妙だった。普段は徹底して狂人らしさを排除しており、彼女の本性を知る者は少ない。英雄規格の前か、腹心の部下、あとは敵か。
それ以外の者は、彼女を国を憂う優れた先導者と認識している。
その一面だって、嘘ではあるが見せかけではなかった。実際に彼女の実績があったからこそ、人々は偽物を信奉した。
ホルスも最初はそうだったが、彼女の本性を知った頃にはもう遅かった。自分はとうに、彼女に返しきれぬ恩を受けていたから。
インヴァウス直属の彼らは《特選兵》と呼ばれていた。
たとえば、美しい女がいた。美しく、意志も強かったが、裕福な家庭に生まれてしまった女性だ。
彼女は家を出て国の役に立とうとしたが、両親はそんな娘を理解出来なかった。国の危機にあってさえ贅沢な暮らしを続けられる者にとって、泥と血に塗れようと未来の為に戦うことの価値など、分かる筈もない。
その女は、そんな両親の在り方を醜悪だと言った。見るに堪えないと。
ジャンヌは彼女を見出し、邪魔者を排除した。
晴れて自由となった女性は引き継いだ遺産と、己が身をジャンヌに捧げた。
そして女性はその後、最高の工作員となった。
アークスバオナを変えたのはリオンセル皇だが、彼は頂点ではあっても直接の実行者ではない。
彼の絶対的な権力の確立に多大なる貢献をしたのは、何も英雄旅団だけではないのだ。
魔法的な才能を持たないながら、《特選兵》は同等の活躍をした。いや、暗躍と言うべきか。
件の女性は、男を魅了する術を叩き込まれた。かつての両親のように己とその周囲の贅沢な暮らしだけが保障されればいいという考えの者に巧みに取り入り、情報を収集し、財産を搾り取り、不要となれば処分した。
子供の時から成長が止まった者、足の動かない者、生まれつき虚弱な者。
彼らを皆、ジャンヌは言葉通り特別にしてくれた。
欠点や無力感の原因となっていた要素を、彼女は武器や誇りに変えてくれた。
それが、彼女にとって単なる遊びなのだとしても。
彼女の教え導く力は、本物だった。
ホルスは、彼女の部下の中でも本性を知っている数少ない人間だ。
何か特別な大義があったわけでもなかった転生者だからこそ、ジャンヌも隠すことはしなくなったのだろう。
「理由は二つある。ほんとは一つだけれど、きみを納得させる為にもう一つ用意してみたんだ。一つ、クロノを狙うと気づかれるかもしれないから」
あ、これが後付けの理由だな、とホルスは悟った。だが確かに説得力はある。ホルスは自身の腕に誇りを抱いているが、慢心はしない。クロノという英雄は、底知れない。気づかれる、かもしれない。
「なるほど」
「二つ目は~」
「その方が面白そう、だからですか?」
ふふふ、とジャンヌが嬉しそうに微笑む。
「きみのそういうところが好きだぜホルス」
「……恐縮です」
分かりきっていたことだが、確認するのも副官の務め。
「クロノはほら、復讐者だろう? ……いや、復讐完遂者とでも呼ぶべきかな? 聞くに、彼はその達成に五年の歳月を費やしたそうじゃないか」
「報告にもそのようにありました」
妹を殺された、十代半ばの少年。犯人の名前どころか顔も知らず、手がかりは集団で女性を襲い陵辱の限りを尽くす輩ということだけ。彼の世界をホルスは知らないが、復讐を誓う心は理解出来る。そしてその実行の困難さも想像が出来た。だが彼はやってのけた。無力な少年が、五年で。
「だろう? 彼は己の生きる世界で七人の人間を連続して殺害して回ることの困難さを理解していた。一人目はよくとも、二人目以降はターゲットに警戒され、警察機関だって動く。その状態で獲物を仕留めることは、自分の持つ力では難しいと考えたんだ。特別な訓練を受けたわけでもなければ、そういった人材との縁もない。彼は己の無力を正確に把握し、その上で目的を達成しようとしたのさ」
彼に関する情報を少なからず得ているのは、同じ世界出身の若者がアークスバオナにいたからだ。それどころか、その若者は彼の妹を死に至らしめたメンバーの一人。名をリュウセイという。
「リュウセイの証言によると彼は五年もの間、彼とその仲間達に認められる為に行動していたようですね」
長期に亘る潜入任務のようなものだが、家族を死に追いやった人種に擬態したというのだから驚きだ。それも疑われることなく演じ切り、見事目標への接近を果たしたのだから素晴らしい。
彼はそうして、一度に全員を始末出来る状況をずっと待ったのだ。復讐心というと衝動のようなものと思いがちだが、少年は辛抱強く時を待った。雌伏五年、並大抵の忍耐力ではない。
「それだけ、妹が大切だったのだろうね」
「だから、トワイライツを殺せと?」
「あぁ、だってそうすれば、わたしは彼にとって、以前のリュウセイのように扱われるんだろう?」
恋する乙女のように、ジャンヌはうっとりとした声を出す。
「絶対に殺さなければならない相手に、なれるんだ。彼の真価が見られるぞ。あぁ、本当に楽しみだなぁ!」
はしゃいでいる。
「……わたしも同様に、彼の復讐対象になるのではないですか?」
「そうだねホルス。まぁそれは仕方がないじゃないか。わたしが負けた時は、一緒に死んでくれ」
ジャンヌのその言葉を聞いて、ホルスは何を馬鹿なことをと思いながら、右手で作った拳を左手で包む。敬礼に該当する所作だ。
「ご命令とあらば」
彼女が負けるわけがない。
負けたがりな自分の主は、敗北を知らないのだから。
◇
狙撃銃、というそうだ。
アークレアは魔法の存在と転生者という強者の安定供給により、幾つかの世界と比べて、世界の誕生からの経過年数に対する科学技術の進歩が大きく遅れている。
らしい。
科学を最も発展させるのが戦争であり、遥か昔から戦となれば魔法に頼っていた世界なのだから当然、と言う者もいる。
ホルスにはよく理解出来ないが、科学の発展した世界からやってきた者達は、この世界を妙に思うものなのだとか。
それでも科学とやらがそんなに便利なものならば技術の流入があってもいい筈。
革新を起こせるだけの専門知識を持った者は中々いないこともあるが、既に最低限必要な知識に関しては過去に授けられており、現代となってはもう『恩恵』と言われる程の何かが齎されることはないようだ。
ただし、兵器に関しては別だ。
転生者によって『こういった兵器が存在する』という知見が齎されることはあっても、その兵器を製造する術を持った者が転生することは、まったくといっていいほどに――例が無いのだとか。
神は転生させる人間を選別することで、この世界における技術の進歩をコントロールしているとの説もあるくらいだ。
だが、ジャンヌは天才だった。転生当初は持っていなかった兵器の製造法を、その天才性によって考案してみせたのだ。ゼロから作り上げたわけではないとのことだが、そんなことはどうでもいいことだった。
この世界の者ではそうと分からぬばかりか、魔術的に検知出来ない爆発物、毒物、武器。
彼女はそれをごく一部の者以外には秘匿していた。公にしなければ、誰も原因が分からない。
内側の邪魔者や外敵を、ピンポイントで殺す術。
ホルスが与えられた銃も、その一つだった。
超長距離による狙撃を可能とする機構を備えた小銃。弾丸の装填と排出を一発ごとに手動で行う手間はあるが、これほどホルスの気質にあった武器はなかった。
求められる技術を考えれば、『風』属性魔法を使える人間を引っ張ってくればいいだけと言う者は多い。『魔弾の英雄』のように『光』によって超長距離攻撃を可能とする者もいる。実際狙撃銃なる武器による殺傷行為は、魔法で充分に再現出来る。最低限魔力制御と『風』属性さえあればいい。そういった遣い手もいる。
そもそもにして、帝国アークスバオナは滅びの危機にある。特別有用ではない非魔法使いの為の新兵器開発に注力している余裕はない。
故に、ジャンヌ以外の者であれば製造に着手することも難しかっただろう。
魔法に勝るたった一つの利点を、ジャンヌはよく理解していた。
弾丸は魔力感知に引っかからない、という点だ。
通常の銃撃は目視出来る範囲から行われる。魔法使いにとって対処は難しくない。土でも水でも風でも単に魔力の塊でも、前方に展開するだけで防げる。
そうでなくとも余程の巧者でなければ転生者を殺し切るのは難しい。一撃で脳や延髄を撃ち抜けば別だが、補正の掛かった転生者は生命力も常人の比ではない。
であれば、相手が知覚出来ない程の遠方からならどうだ。把握出来なければ、対処は出来ない。
残る問題は精度と敵の反応だ。
前者を与えられた武器の性能と血の滲むような努力で実現する。
後者はそう、優れた魔法使いだからこそ陥る油断につけこむ。
この世界の強者は大抵、魔法戦士だ。どちらでも優れた能力を発揮する者達。
彼らはだから、経験から知っている。自分達を殺せるのは優れた魔法か、優れた戦士による接近戦だけだ、と。
事実彼らの反応は凄まじい。魔力の感知能力にしても、鈍い者でさえ現地人を遥かに凌ぐ。
トワイライツも当然、魔力感知能力に優れていることだろう。
だが、銃撃は魔法ではない。
撃たれたと理解することもなく死ぬ。それがホルスの狙撃だった。
そして狙撃手は現在――空中にいた。
天空の一点に敷かれた、伏せ撃ちの体勢がとれるだけのスペースしかない『風』魔法で固定された空気の足場。『囲繞』が施されており、万が一にも感知されるおそれはない。高度を下げるとクロノの異常な感知能力によって『大気中に含まれる極微量の魔力が感じられない箇所がある』と見抜かれるかもしれないとして、確実に彼の感知圏外と分かる高所を陣取ったのだ。
既に、準備は整っていた。
スコープ越しに映る少女の顔には、まだ幼さが残っている。良心の呵責はない。トワイライツは民間人ではなく、兵士として戦場に立つをことを選んだのだ。散ることも、覚悟しているだろう。
ホルスの主は英雄だ。故に、いかれている。
彼は任務の度に、ターゲットの人数分しか弾丸を与えられない。
今回で言えば、一発だ。
本来ならば狙撃手には観測手なる相棒がつくようだが、説明はしておいてその配備はしない。
彼女は信頼の表れなどと宣っていたが、嘘であることは明白だった。
ジャンヌからすれば、手塩にかけて育てた部下の任務さえも遊びの範疇なのだ。外れてしまったら仕方がない。二度目のチャンスはそもそも与えない。以降は何も望まない。
獲物を視界に収めた興奮はとうに鎮めていた。
事前に指示されたタイミングを待つ。その時がくれば、狙撃における大きな障害である風がやむという。攻撃に見せかけて仲間が『風』魔法でも使うのだろう。実際はホルスへのフォローだが、ホルスを知覚出来ないのだからそのような読みは出来まい。
出来たところで、その頃には任務は達成している。
クロノの反応速度は侮れない。だがどんな人間も、思考に空白が生まれている間はまともに動けない。『黒の英雄』はその思考の空白自体が滅多に生じないが、主には策があった。
『霹靂の英雄』の亡骸を操ること。その姿を見せつけること。
その衝撃はダルトラ英雄の頭を真っ白にし、すぐに獄炎が如き怒りを煽るだろう。
クロノだろうと例外ではない。一瞬以下の短い時間かもしれないが、それでも驚きで思考が止まる筈だ。それでさえ足りないかもしれない。だから彼の思考を潰す策をジャンヌは立て続けに披露。
七英雄の亡骸、『蒼』の偽英雄ルキウスとの対峙。
もしかすると何をしたところで彼の思考は止まらない、ということも有り得る。それでも、彼に心があることだけは確かだ。ならばそれは、心が乱されることもあるということ。
普段通り、普段以上に思考を巡らせていると思っていても、現実は心を蝕む。
かつての仲間が虚ろな目で敵に操られて平静でいられるか? いられまい。原初の七英雄を前に畏れを抱かずにいられるか? いられまい。そのようなことを平然と行う敵を、かつての友が守ろうと立ちはだかっているのだ。常人であれば立ち止まってもおかしくない。いまだ混乱から脱しきれずとも誰も責めまい。
だが、それでもクロノという男は戦闘を続行。戦意は些かも薄れない。
しかし、精神に負担が掛かっているのは事実。
あと一押し。我が主はその一手を用意している。
そうして、彼が最愛の妹を守れるだけの余裕を失った、刹那よりも短き時が訪れれば。
トワイライツは、ホルスの弾丸によって命を落とすのだ。
◇
ルキウスが目の前に立っている。
既に意思は確認した。あとは刃を交えるのみ。
幸助はルキウスが敵側についた理由に見当がついていた。いや、そうでもなければ彼が敵側につくことはないと信じたかった。一時『暗の英雄』グレア率いる旅団に属していたクウィンからの報告にあった、ルキウスに似た容姿の少女。それが、錯覚でないなら。
彼もまた、幸助と似た過去を抱えているのかもしれない。
だとしても。
「ダルトラ国軍名誉将軍――『暗の英雄』クロス・クロノス=ナノランスロット」
幸助は、この立場で戦場に立っている。
少年の意思を正しく汲み取ったルキウスは、悲しげに目を伏せるも即座に応じた。
「……『英雄旅団』――『蒼天の英雄』ルキウセウス・ルキウスリファイカ=グラムリュネート」
彼もまた、最早ダルトラの『蒼の英雄』ではない。偽英雄であることから解放され、新たな銘を得た。『暗の英雄』グレア麾下の、敵性戦闘員。
それを最後に、両者の瞳から友への情が消える。
動き出しは、僅かに幸助の方が速かった。
鞘に収まった片刃の曲刀――ゴーストシミターに『黒』を纏わせ、柄に手を掛けた状態で駆ける。
ルキウスの足元を始点に、それは起こった。
地面の氷結だ。堅実な彼らしい。足場が悪ければ本来の機動性は出ない。人間、踏み込みや体重移動の感覚が僅かに狂うだけで容易く出来ていたことが出来なくなるものだ。ただ幸助に対してその効果を見込んでいるわけではないだろう。
彼が狙っているのは、継続的な『黒』の相殺と再展開による魔力消費。
前述の機動力低下を避ける為に幸助がとる対策は簡単。【黒纏】だ。全身に『併呑』を纏うことによって魔術的・物理的攻撃を呑み込む。氷結された地面も例外ではなく、幸助は平時と同じように地面を踏みしめて加速している。靴底に展開された『黒』が『氷』を呑み込んでいるのだ。
ただし、数歩ごとに『黒』を展開し直さなければならない。容積あたりの併呑量が定められており、それを超過すると『黒』は消えるからだ。
それでも通常、英雄規格の魔法ともなれば『黒』の消費魔力と併呑した魔力で釣り合いがとれる。微減や微増といった幅はあるが、色彩属性の中でも長持ちするのが『黒』という属性なのだ。
薄氷を敷かれた地面はだが、込められた魔力が小さい。消費魔力と獲得魔力が見合わないのだ。
それはつまり、色彩属性の膨大な消費魔力がそのまま伸し掛かってくるということ。
『黒』の利点を潰そうというのだ。そしてそれは成功。
加えて、ルキウスは周囲に雪を降らせた。狙いは同じだろう。
上手いが、今の幸助は転生したばかりの頃とは違う。魔力切れが望めないことくらい、ルキウスも分かっている筈。多少は思考力も削れるが、それだって立ち止まる程ではない。
そう、彼は分かっている。では真の狙いは何か。
考えつつ距離を詰める。鞘から滑り出るように抜き放たれたゴーストシミターによる斬り上げは、ルキウスではなく彼が展開した氷壁を断った。
斜めにずれて、壁が崩れる。その向こうにルキウスの姿はなかった。僅かに奥で、ジャンヌが笑っている。彼を無視してジャンヌに接近はしない。出来ない。頼れる仲間であった彼が敵に回ったのだ。
強行突破なんてものを許すほど柔ではないことくらい、分かっている。
視線に先んじて魔力によってルキウスの位置を探ろうとするも、周囲は彼の魔力で満ちている。
『囲繞』で自身を覆えば逆に魔力の空白が生まれ場所を晒すことになるが、そういったミスを彼が犯すわけもなく。
――極微量の魔力を漏らしている?
『囲繞』を敢えて不完全に展開することで、周囲に漂う雪と同程度の魔力を漏らしているのか。そうすれば少なくとも瞬間的な魔力感知によって所在を悟られることはない。繊細な魔力操作を要するが、これもまた幸助に対して有効。
この一瞬の行動だけで、ルキウスがいかに『クロ』という戦士を理解しているか知る。
それもそうだ。彼は幸助のことを転生初期から知っている。
対して自分はどうだ。
ルキウスという男を、どれだけ知っている。出逢った当初から紳士的で、何度力を借りたか分からない。思えば初めて顔を合わせた時も、『暁の英雄』ライクの暴走を彼が止めてくれた。ライクにシロを奪わた時も、トワを救う時も。リガル亡き後はギボルネの和平交渉を引き継ぎ、それをきっかけとしてエルマーが眠る悪領の情報を持ち帰った。
この世界に来てから世話になった人間の数は知れない。『併呑』は強大な力だが、そんなものよりも幸助は人に救われた。神殿で自死を選んだ時に、シロがそれを止めてくれてから、ずっと。
ルキウスは、そんな大恩ある人間の一人。
それを今、自分は邪魔だという理由で排除しようとしている。
そのことが刃を鈍らせているということはないか。いや、ない。過去生の時点で、意識の切り替えは学んでいる。幸助は今でもルキウスを友だと思っているし、彼への恩だって忘れていない。
そんな自分のまま、彼を斬ることが出来る。心が痛まないわけではない。ただ、その苦痛を後回しにする術を覚えているというだけ。
雪華の園を、劈くものがあった。
幸助が氷壁を切り裂いた、次の瞬間に起きた出来事である。
それは幸助の左側から迫る。今まさに振り抜いたゴーストシミターの切っ先が向けられているのとは逆方向。「――」緊急回避しようにも前方には残った氷壁の下半分。左方から迫る何かの軌道は直線的、故に右は回避にはならない。上方はダメだと直感が告げる。
だが後ろに飛ぶ時間があるか。
瞬時にに足から力を抜き、自重で身体を急速に落とす。即座に足裏の『黒』を解除し、前方の氷壁を蹴った。不格好ではあるもの、真後ろへ加速。
槍、だった。それも単なる槍ではない。刃がなく円錐の形をしており、長大。騎兵槍だ。透明の色をした、騎兵の氷槍。
そう、ルキウスは馬に跨っていたのだ。こちらは対照的に漆黒だが、生気を感じない。
勢いの乗った騎兵槍の刺突は分厚い鎧さえ貫くという。
なるほど、誇張ではないらしい。
掠っただけだというのに、幸助の右肩は無残にも抉り取られていた。勢いに抗うことなく中空で数回転、衝撃を逃しきったところで着地。その間に肉体の再生を済ませる。
――なるほど。
ルキウスの行動は個々に効果がありつつ、同時に布石でもあったのだ。
地面の氷結と降雪によって【黒纏】の消費と再展開を促し、それによって思考力の圧迫を狙う。
氷壁によって視界を遮り、意図的に穴を設けた『囲繞』で己を包む。
武装を展開しつつ高速移動。前二つの行動により、瞬間的な魔力探知を阻害。
敵の想定を上回る速度で突進。
彼の槍が『黒』を越えて幸助の身を削ったのは、二つの魔法によるもの。
一つは前述の雪。装甲が剥げた僅かな間隙を縫うようにして突撃を仕掛けてきたのだ。雪が装甲に触れるタイミングと『黒』再展開までの時間を完璧に把握していなければ出来ぬ芸当。
だが幸助とて対策は講じていた。纏う『黒』の範囲を広げることで、生身が晒される機会を減らしていたのだ。
そして、ルキウスはそれにすら対応してみせた。
秘密は槍にある。
彼の槍は魔法で出来たもの。だが『一本の槍』を『氷で造形』しているのではない。
イメージでいえば、マトリョーシカ人形が近いか。人形の中に、同じ形状でサイズの小さいものが収まっている。ルキウスの槍は、一見単一の魔法に見えて数百回を超える工程を経て形成されている。
幸助の『黒』は正しく発動し、正しく効果を発揮したのだ。魔法を限界まで『併呑』してから消えた。
ルキウスの槍はしっかりと『併呑』された。
だが、呑み込まれてなお、そこには円錐が残ったのだ。
幸助の『黒』は数百の層に分かれた円錐の『皮』を幾枚か喰っただけ。
――これは、厄介だ。
今まで幸助と戦う者は、その時点で幸助をよく知らない者ばかりだった。魔物は当然として、ライクもパルフェもリガルも。連合の英雄たちもそうだろう。
敵として一番厄介だったのは同じく『黒』の担い手であるエルマーやグレア。ルキウスの戦闘能力が彼らに匹敵するとまでは言わない。だが、同じかそれ以上の難敵であることは間違いなかった。
ルキウスは、『クロ』という英雄を知っている。その戦いを間近で見てきた。その行動を友として支援してきた。
彼は幸助を知っている。その戦い方と精神性を。
事前の『情報』の有る無しが結果に影響を及ぼすことくらいは、誰でも想像がつく。相手が近距離特化という情報を先んじて得ていれば、遠距離で対応するということが出来るように。
そこに性格面での情報も加われば、用意出来る選択肢はどれだけになるか。
「……さすがですね。これは初めて見せた筈ですが」
情報の不足はそれだけ不利な要素に成り得る。今まさにルキウスの攻撃を受けたのも、彼にこんな戦法があるということを幸助が知らなかったのも大きい。
「お前もな。逆に斬ってやるつもりだったのに、失敗した」
「なにを――ッ!?」
馬上のルキウスが体勢を崩す。
彼の跨る馬の頭が、ごとりと落ちる。煙のように存在が消え、ルキウスが地面に着地した。やはり生き物ではないらしい。
「……あの状態から、迎撃を試みたというのですか」
賞賛は驚愕に。
「次はお前を斬るぞ」
そんな幸助の言葉に。
ふっ、と。
ルキウスは力が抜けたように笑う。その微笑は、優しげで悲しげ。
「クロ。君のようになりたかった。捜していた者を見つけ出し、己の罪と向き合いながらも関係を修復する。そういう風に、僕も。だから――」
ルキウスの隣に、馬が出現する。魔法か、あるいは宝具か。彼はそれに跨る。
「次こそは君を貫く」
幸助の挑発に、対応する言葉を吐く。
退かぬという意思表示を新たに。
二人の英雄は再び駆けた。




