251◇ある兄妹の話
幸助にとってルキウスは、よき友人だった。英雄就任の場で『暁の英雄』ライクとの私闘に発展してしまった時、クウィンと共に止めてくれたのはルキウスだ。それ以降も、様々な形で助けられた。
トワを冤罪から救う際もそうであるし、エコナの故郷であるギボルネとの和平を亡きリガルから引き継いだのも彼だ。
冷静沈着でありながら、情に厚く常に正しきを行う者。
ルキウスがここ最近のダルトラの動きを嘆き、離反することになっても不思議は無かったのかもしれない。だが幸助はそれでも、それだけでルキウスやエルフィが敵側につくとは、どうしても思えなかったのだ。
敵将ジャンヌを庇うような形で幸助の前に立ちはだかった友は、開口一番謝罪の言葉を口にした。
それに対し、幸助は。
「ルキウス、お前自身で決めたことなんだよな」
確認の言葉を投げかける。
強いられているのではなく、これが彼本人の選択であるというのであれば。否定はすまい。
クウィンの時のように、心の奥底では救いを求めているというのであれば救ける。
だが、その立ち位置を己が望んだというなら。
尊重し、打ち砕くだけだ。
「はい、クロ」
ルキウスは頷いた。
「これは、僕自身が決めたことです」
彼の言葉に滲む決意の色に、偽りは無い。
「そうか、分かった」
ならば以降の問答は不要。
戦闘を、再開する。
◇
それは、過去生でのこと。
「兄様っ」
可愛い妹だった。
ファイは本当にその妹を大事に思っていて、時間さえあれば彼女に逢いにその場所へ向かったものだ。
ファイ。
アークレアに転生し、ダルトラで英雄となってからの名は――ルキウセウス・ルキウスリファイカ=グラムリュネート。
ファイの生家は辺境伯領を任された貴族家。嫡男であるファイは世継ぎとして日々憂鬱になる程の教育を施されていた。
当時その世界では双子などの多胎児は忌み子とされていた。
『普通』でない、『大多数の事例と共通』しない何かに不安を感じ、それを悪しきものと考えてしまう心理。
貴族の場合は更に継承者争いなどの問題などもあったのだろう。
公式に認められる双子というものは、ファイが聞く限り存在しなかった。
死産ということにする、そもそも生まれていないことにするという措置がとられたという。
だが赤子は実際に生まれている。どうするか。
選択肢は幾つかある。
殺して捨てる。出生に関する真実を全て伏せる契約で養子に出す。
あるいは――幽閉する。
父も母も世界に立ち向かうことこそしなかったが、完全に支配されもしなかった。
双子の妹は殺されることなく、屋敷から少し離れた蔵に閉じ込められていた。
ファイがそのことに気付いたのは、六つの時。家庭教師の授業を抜け出し、時間つぶしに探検に出た時のこと。
家の者達にしつこく『近づいてはならない』と言われていた場所を思い出し、好奇心からそこを目指したファイは、蔵を見つける。
『だれ?』
声がした。
蔵には窓が一つと出入りに使う両開きの扉が一つ。後者の鍵は外せそうになかった。
ファイは巧みによじ登り、窓から中を見た。
そこには、自分と同じ色の髪をした童女がいた。
こちらを見上げる瞳の色合いまで、自分と同じ。
童女の方もそれに気付いたらしい。
『だれ?』
という言葉は、二人同時に発せられた。
その後、ファイは家の者に見つかり、父直々に説教を受けた。
尋ねた。蔵の中の少女は何者かと。
家の者達は血の気の引いた様子で口をつぐみ、父は苦しげに表情を歪めた。
かなりの時間迷っていたが、最終的には教えてくれた。いずれファイが世話を引き継ぐことには違いないからと。
彼女は、名もなきファイの実妹。双子の片割れ。
ファイは男で、先に生まれたから、今のような生活が許されて。
妹は、蔵の中で一人、窓の外から得られる小さな光だけで生きている。
聡明なファイは、父の説明に理解を示し、元より世界は不平等であることも承知していた。
それでも。
どうしても蔵の中の女の子を放っておくことが出来なかった。
それからファイはこなすべきことを完璧にこなし、自由時間を確保。その全てを彼女と過ごすことに使った。
家の者には禁止されていたけれど、食事を運んでくる者から隠れれば、他は誰も近づいてくることがなかったのでバレずに済んだ。
あるいは父が、黙認してくれたのかもしれない。
今思えば父にしろ母にしろ、他の貴族がするように双子の両方や片割れを処分することをしなかったのだ。
妹は、言葉を多く知らなかった。最低限の会話は、これまでの食事係とのかかわり合いの中で身につけたのだという。聡明な子だった。
ファイはきっと、優越感に浸れるというのもあったのだと思う。暗いそれではなく、『僕は知っているよ、教えてあげる』というような、子供が持つ無邪気なものだが。その頃は何においても、自分は教わる立場だったから。
何度か足を運ぶうちに、彼女の方も会話に応じてくれるようになった。最初はおそるおそる、次第に楽しげに。
「僕はね」
「ボク」
「あ、きみは『わたし』でいいんだよ」
「ボク」
「んー、まぁいっか」
「ボクでいい?」
「うん」
「おなじ」
妹は綻ぶように笑った。彼女が笑うと、ファイも嬉しかった。
「僕はね、ファイって名前なんだ。前にも話したけど」
「ふぁい」
「うん、そう。でも君の名前を聞いていなかったよね。なんと呼べばいいのかな」
最初に名乗った時は、教えてくれなかったことを、ファイは再度尋ねてみる。
「なまえ……」
少女は困ったような、悲しそうな顔になった。
自分を閉じ込める壁を指差し「かべ」その後蔵にあるものを「さら」「はしら」「とびら」「まど」と口にする。
「なまえ」
「え? あぁ、うん。そうだね、今のはそこにあるものの名前だ」
妹が自分を指差す。
「ボク」
「……それは――」
無い、のか。与えられていないのだ。
確かに必要ないと言えば、そうなのだろう。
でもファイは、悲しくて。
それは名前ではないよ、という声は震えて。
「なまえ、ちがう?」
「……うん」
「じゃあボク、なまえなに?」
つぶらな瞳は、不安げに揺れている。
咄嗟に答えることが、出来なくて。
「好きな、きみが何か好きなものを、名前にしよう」
なんとかそう口にして、でもファイはすぐに後悔することになる。
蔵の中で日々を過ごす彼女に、選べる程の好きなものなんてあるのだろうか。自分の無配慮に憂鬱になる。
「すき……」
妹は考え込むように唇をむにむにと動かしていたが、やがて食べ終えた食器の一つを指す。
「スープ、すき」
確かにその皿は、先程まで温かいスープで満たされていた。
「……それは、どうだろう」
「だめ?」
「だめというか、えぇと」
ファイは困った。
「ふぁい」
名前を呼ばれる。
見れば、指も向けられていた。
「すき」
何かが。
彼女の笑顔と言葉に、何かが胸を満たしていく。注がれているのは、熱い何かだ。
顔まで熱くなってきて、ファイは不格好な笑顔を浮かべるのが精一杯だった。
「……そっか、それはすごく、嬉しいな」
自分達は同じ日に生まれ、髪と瞳の色を同じくし、血を分けた兄妹だ。
自分は後継者、彼女は籠の中の鳥。それを分けるのは、生まれた順番と性別。
双子でなければ、普通の兄妹のように育つことが出来ただろう。
それを思うと、苦しくてならない。
逢って数度の少年すら、妹にとっては好ましい存在なのだ。新鮮で面白い、といった程度のものだとしても。
「いいよ、そうしよう――ファイ」
「おなじ」
嬉しそうに笑う妹を見て、兄も笑う。
◇
「兄様っ」
童女が少女に変わる程の年月が過ぎた頃。
妹は初めて逢った時と比べると見違えた。
彼女が暮らすのは変わらず蔵の中だったが、居住空間は兄として最大限改善。
兄が来たのを確認すると、ファイは満面の笑みでぱたぱたと近づいてくる。
「じゃじゃーん、この前兄様がくれたの着てみたよ。どう?」
彼女がその場でくるりと回り、ワンピースの裾がひらひらと舞った。
「とてもよく似合っているね」
「いえーい、ボクってば可愛いからなー。なんでも似合っちゃうんだよねー」
妹は髪を伸ばしていて、それは何故か切ることを禁じられていた。兄が女中に教えを請い、せめて手入れだけと尽力しただけあって少女の髪は非常に艷やか。
兄も兄で、髪を伸ばしていた。妹が許されないことを、自分だけがするというのが嫌だった。ただでさえ、彼女は外に出ることを許されないのだから。
「そうだね、そう思うよ」
「兄様もいつも格好いいよ」
「ありがとう」
兄妹仲は、良好だったと思う。
「最近兄様、あんまり来てくれないね。ボク暇だよ」
ぷくりと頬を膨らませ、妹が不満を示す。
「済まない。僕も出来るだけファイに逢いに来たいとは思っているのだけれど」
「……バンゾクの所為?」
バンゾク。蛮族。兄妹の父が任されている辺境伯領は、とある国との境に接していた。彼らの一部には国の境目に納得がいかない者もおり、度々諍いが起きていた。
ファイが習った限りでは、かつて戦争で自国が獲得した土地。相手からすれば、奪われた土地ということになるのか。だが彼らは負けたことで失ったのだ。彼らが勝者であり、こちらが同様の主張をしたとしても受け入れはしないだろう。
だからこそ難しい。
「蛮族だなんて言ってはいけないよ。彼らも理性を持った人だ」
聞けば、食事を運んでくる女中がぽろりと漏らした言葉を覚えていたらしい。
兄が窘めると、妹は素直に「はーい」と返事。
「でもそうだね、僕も十五になったから父上の手伝いをしなければならない。そのことであまりファイに逢いに来れない。寂しい思いをさせて済まないと思っているよ」
ファイ達の国では十五が成人。指揮官である父の息子として、既に初陣も済んでいた。
戦いは好きではないが、自分達が戦うことで民の日常を守れるのだと考えれば頑張ることが出来た。
なによりも、妹が笑って過ごせる日々の為ならば。
「とても心配だし、とっても寂しいけど、兄様が戦いに出るなら此処は安全だね」
複雑な表情を浮かべた妹が、なんとか明るい声で言う。
「あぁ、お前を傷つけさせはしない」
「うん!」
その約束を、ファイは守ることが出来なかった。
◇
赤い夜だった。
熱い、と思って目を覚ますと部屋が燃えていた。訳も分からず部屋を飛び出すと、執事と出くわす。彼は自分を迎えに来たようだ。口許を押さえながら共に走る。通常の出入り口ではなく、万が一の為に用意されていた地下通路によって火事より脱する。煙の心配がなくなったところで彼が語るには、どうやら他国の者の仕業らしい。少数による隠密行動で、敵の親玉の屋敷を焼き討ちしたというのだ。
その頃父は屋敷にいなかったので、ファイは母と妹の安否を問う。
執事が心配無いという。母は先に同じルートで、妹は別ルートで避難していると。
何故、信じてしまったのか。
嘘だった。
母は多くの使用人達がしたように外に避難してしまい、殺されてしまった。
そして妹は――。
「どういうことだッ!?」
逃げ延びた後のこと。
自分も死んでいることになっていた。
それがどういうことか、ファイは理解していた。だが理解したくなかった。受け入れられなかったのだ。
妹は自分と同じ髪色で、瞳の色をしていた。髪を切ることを禁じられていたのは、必要な時に兄と同じ髪型に出来るように。双子で、二人は似てもいた。まだ十五ということもあり、まだ幼さを残した顔だけで男女を見抜くのは難しい。
他国の兵士にファイを知っている者がいても、戦場でだ。
だから、そう。
妹がファイの格好をすれば、遠目には分からない。首だけになれば、なおさら。公的には妹は存在しないのだから、わざわざ肉体を検めはしないだろう。替え玉とは疑いも済まない。
追手は出ない。ファイは逃げ切れる。
想定される幾つかの使い途の、一つ。だったのか。そういうことだったのか。
妹を守るどころか。
妹の命を犠牲に、逃げ延びてしまった。
兄失格どころではない。
ファイはそれから父に合流し、諍いは本格的な戦争に発展した。
一年後、戦いの中でファイは命を落とした。自分を殺した相手の顔も覚えていない。
ただ、ずっと考えていたのは。
妹に謝りたいということだけで。
『汝、贖罪を求めるか』
そうして、ファイはアークレアに転生した。
最初は、妹を探した。だがそう簡単に見つかるわけもない。そもそも転生しているかどうかさえ分からないのだ。更に言えば、そもそも妹はそれを望んでいないかもしれない。
自分を恨んでいるかもしれない。
生活基盤を整える為、戦いの心得もあったファイは悪領攻略に挑んだ。ある程度アークレアについて理解してからは、転生した神殿のあった都市から首都へと拠点を移した。
妹は見つからない。
分かったことと言えば、自分が他の者よりも魔法への適性が高いこと。ある時、英雄への勧誘があった。一介の冒険者とは比べ物にならない特権があれば、妹の発見に近づけるかもしれない。ファイはこれを了承。『蒼の英雄』が誕生した。『蒼』を持たぬ偽英雄。
少年は名をルキウスと改めた。ファイの名も、消さずに残した。
だが、妹は発見出来なかった。それどころか彼女を探すのに使える時間はどんどん減っていった
英雄という役職には大いなる責任が伴う。仕事が出来た。部下が出来た。仲間が出来た。
次第に、少しずつ、確実に、妹のことを考える時間が減っていった。
だから、クロの目的を知った時、ハッとしたのだ。
自分は何をしている。
だから、妹の危機に国を敵に回すことさえ厭わない彼に驚かされた。
自分は何をしただろう。
『妹御はこちらの世界に転生しておられますよ』
ルキウスをアークスバオナに引き抜かんと現れた者は、そう言った。
確かめねば、とそう強く思った。
自分とクロは、おそらく同じ後悔を抱えている。
妹を、家族を救えなかったという後悔。
だがクロは、こちらの世界で妹を救うことが出来た。
自分は?
ダルトラのやっていることが許せなかったというのは本心。
ただ、アークスバオナ側についているという妹と、話をしたかった。
馬車の中。
不服従で拘束されたルキウスは、本国へ移送されているところだった。途中で戦闘に発展したようで、周囲がざわつくのを感じる。
馬車が急停止した。馬の嘶き、御者の動揺。
「……あのクソ女、人を見透かしたようなことをしてくれちゃって」
声。
扉が開く。
入ってきたのは。
「久しぶりですね、兄様。可愛いボクが迎えに来てあげましたよ」
蒼い髪、蒼い瞳。
髪は、短くなった。
年齢は、最後に見た時から変わっていないように思える。
口調は少し変わったか。
『蒼の英雄』サファイアホロー=アビサルダウン
『蒼』の色彩属性保持者。
ルキウスの妹。
「……ファイ」
「サファイアですよ、兄様。どうして此処にいるんですか? 折角ボクが、代わりに殺されたっていうのに」
「――――」
「なーんて、冗談です。でも感動の再会は無理なので、そのあたりはご了承をー」
サファイアは感情の窺えない笑顔でルキウスの拘束を解く。
「ファイ……いや、サファイア」
ルキウスは、事実を知ってからずっと考えていた。
色彩属性保持者には、その力を獲得するに至った感情があるように思える。
妹が、『蒼』によって『途絶』を手に入れたのはいかなる感情によるものか。
ルキウスには、分かる気がした。
彼女が、何故十五の時の姿のままなのか。
認めないだろうが、きっと。
お前を傷つけさせはしない、と誓った情けない兄の言葉を。
嘘にしたくない、という想いがあったからではないか。
「この髪ですか? 殺される前に切られたんです。転生した時に短いままだったので、まぁいいかなと。兄様は相変わらず長いですね、鬱陶しい~」
「僕は」
「ボクを選んだ、ってことですよね。今度は、約束を守ってくれるってことでいいんですよね?」
「サファイア」
「言っておきますけど、ボクは仲間を裏切りませんよ。何を言われても、ダルトラにはつかない。だから兄様、決めてくださいな。ボクはこれからクロノを殺しに行きます。彼には恨みもあるので。友達殺されてますから。でもどうかな、彼とボクならどっちが勝つと思います?」
一対一ならば、クロだろう。
サファイアはルキウスの迷いを見抜いた上で、答えを出せと迫っている。
「また逃げても怒りませんよ。ただ、ボクが信じてた兄は幻想だったんだなと諦めがつくだけです」
身代わりになっただなんて知らなかった。逃げきった後で聞かされたんだ。そんなものは言い訳にはならない。自分の目で確かめてもいないのに母と妹の無事を信じたのは、己なのだから。
――ジャンヌは、これを……?
ルキウスは既に一度サファイアに接触を図り、失敗している。帝都において、彼女の姿を探したが逢えなかったのだ。顔を合わせたくなかったのだろう。
だが、そんな兄だろうと拘束された上で本国送りになっている状況に出くわせば、放置は出来ないとジャンヌは考えたのか。実際サファイアは避けていた兄に接触したのだから、思惑通りと言える。
そして、彼女が描いた図はこれで完成ではない。
ルキウスの決断と行動、それによって戦場に与える影響まで、彼女は読んでいる。
「クロノとは友達だったんですよね? でもボクは何だったかな? 兄様にとって、何だったかな」
妹だ。
彼女の表情は冷たいのに、瞳の内には縋るような脆さが見えて。
ここで迷えば、ここで突き放せば、今度こそ自分は妹を失うのだとルキウスは理解した。
彼女も、アークレアで兄と再会することをを想像しなかったわけではないだろう。
どんなものを想像していただろう。分からない。
「お前を傷つけさせはしない、何者にも」
それでも、答えは決まっていた。
クロによって、己が目を逸らしていた目的を再確認したというのに。
妹との再会を果たし、クロと敵対することになるとは。
それでも、きっと彼ならば。友と戦うことになろうとも、己が愛する者を守ろうとするだろう。
「へぇ。行動で示して下さいね」
そしてルキウスは妹と再会し。
友と対峙するに至る。




