26◇英雄、搭乗ス
「お、似合ってんじゃーん。馬子にも衣装?」
「あのな、それ褒め言葉じゃないからな?」
馬の世話する下働きの者でも、身なりを整えればそれなりに見える、そこから転じて、つまらぬ者でも外見を取り繕うことで立派に見えることを指すようになった言葉だった筈だ。
つまり、根底に対象が“つまらぬ者”であるという見下しがある。
「あ、そう? じゃあなんだろ、豚に真珠?」
シロがすっとぼけるように言う。
先日のキスの件を、微妙に根に持っている節があった。
「…………別に、似合ってないなら、褒めなくていい」
幸助は苦笑して、酒場を出ようとした。
すれ違うといったところで、彼女に手を引かれる。
「ちゃんと反省してる?」
「何度も謝ったろう」
「なに?」
「……反省してます。あの時は、なんか、高まっていたというか、あるだろう、そいうこと。人間なら、誰しも」
「だからって、逢って二日だし」
「ダルトラの貞操観念はよく分からないが、人を想う感情に、出逢ってからの日数は関係ない」
「格好つけたことを言っても、あたしが受けた辱めは消えないから」
どうやら、キスそれ自体というより、大勢の客の前でやったのが問題らしい。
おかげで、毎日客にからかわれるのだとか。
確かにそれは、ちょっと悪いことをしたなと、幸助は反省。
むぅ、と恨みがましい視線を送る彼女が可愛くて、危うくもう一度キスするところだったが、抑える。
「……どうすれば許してくれるんだ?」
「それも含めて、自分で考えて」
面倒くさいなぁと思うが、不思議と嫌では無い。
「あんまり期待しないで待っててくれ」
言うと、ようやく彼女は笑ってくれた。
やはり、笑顔でいてくれる方が、こちらの気も休まる。
「行ってらっしゃい。粗相のないようにね」
「母親か」
一度だけ、ぎゅっと握る手に力を入れ、それで彼女は手を離した。
今日はヴィーネではなくクララの担当日のようで、手を上げたが無視される。
マスターは「お前なら大丈夫だ」とばかりに頷きを返してくれた。
飲み仲間となった来訪者達に声を掛けられたので、適宜返し、そして出口へ。
エコナが見送りをしてくれた。
そして、店外へ出ると、馬車っぽい何かと、軍人の礼装だろう、軍服を基調とした白装束を着込んだ少女に出迎えられる。
「クロ殿とお見受けします」
「ん? あぁ、この服か。あんたとは初対面だよな」
敬礼と共に、彼女は名乗った。
「プラス・ラプラティクス=ガンオルゲリューズ特務中尉であります。噂に名高き『黒の英雄』殿にお逢い出来、光栄の至り。本日は、小官が魔動馬車にて、クロ殿を式典会場までご案内致しますので、何卒ご協力を」
星々の煌めきを散りばめたような金髪で、瞳まで黄金色をしている。
眼鏡を掛けていて、生真面目そうだ。
クールな性格であることが、既に分かる態度だった。
「あぁ、よろしく。一ついいか?」
「はっ、小官の権限で対応可能なことでしたら、身命を賭して遂行させて頂く所存であります」
大げさだな、と幸助は苦笑。
「魔動馬車って言うけど、それ馬車じゃないよな?」
そもそも、馬が収まる部分に何も無い。
車輪の付いた、籠だ。
「魔力によって動く、馬車に相当する移動手段ということで、字を借りたのだと、小官は考えますが……。どうしてもということなら、詳しい者を呼び、正しい知識を――」
「いや、いい。分かった」
電子タバコも、厳密にはタバコではないのと同じような理屈だろう。
元々あったものに対し、機能や効能、あるいは使用者の気分を満たす為に作られた後発品だから、先達から名前を一部継承する、というのは、考えてみればよくあることだ。
「くだらないことを訊いたな。馬車ってより、元いた世界の自動車って乗り物に近いって思っただけなんだ」
「ジドウシャ……。魔工技術国家メレクトで、来訪者の知識を元に魔動車なるものを開発していると聞き及んでおりますが、それに近しい移動手段、という認識でよろしいでしょうか」
「あぁ、多分そうだな。自動車を再現するつもりなんだろう」
来訪者からの知識の還元も起こり得るだろうとは思っていたので、不思議は無い。
この世界もその内、鉄の籠が走り回るようになるのだろうか。
それはなんだか、あまり嬉しいと思えない未来だ。
元いた世界を、思い返させるからだろうか。
「よろしければ、そろそろご搭乗いただけますと幸いです」
「あぁ」
彼女に促されて、馬車に乗り込む。
観覧車の籠を思わせるデザインだ。
木製だが、これまた金が掛かっていそうな装飾が施されている。
中に乗り込むと、そこもまた居住性を無闇に追求したような造りだった。
三人は座れるだろう座席が、向かい合うように二つ。
馬車の進行方向を向く形で幸助が座り、後から登場したプラスが反対側に腰を下ろす。
すると、音もなく馬車が進み出した。
「運転してるの、あんたなの?」
「いえ、運転手がおります」
馬車で手綱を引く人間が座る位置に、魔力の注入口があるのだという。
「これ、初めて見るけど」
「一般には流通も普及もしておりませんので。この規模の物質を長時間動かす魔力を、大多数の臣民は持ち得ないこともあり、そもそも需要が無いのです」
「じゃあ運転手も貴族か」
「……えぇ。一口に貴族と言っても、国家への貢献手段は多岐に渡りますから。軍属の身となれば、他の兵士と同じく命令に逆らうことは出来ません」
確かに、貴族という言葉と、運転手という仕事は、イメージとしては上手く繋がらない。
だが、軍人になった以上は貴族であろうと回された仕事をこなさねばならないというのは、非常に公平で好感が持てる話だった。
「あんたは?」
プラスは、意識的にそう努めているのが窺える無表情で、言う。
「我がガンオルゲリューズ家は、『燿の英雄』を祖に持つ貴族家であります。『黒の英雄』殿」
無表情だ。
けれど、その目の奥には、強い感情が燻っている。
式典会場につくまで、もう少し掛かりそうだった。