249◇立ち向かう者達
事態は混迷を極めていた。急展開に次ぐ急展開。
ロエルビナフ領内で行われたアークスバオナ・連合の和平会議は幸助らを呼び寄せる敵将ジャンヌの罠でしかなかった。
そのことに気づいていた連合は複数人の英雄、『黒白』の遣い手ライムの魔法によって悪神より解放された魔獣の大群、魔術国家エルソドシャラル・閉鎖国家ヘケロメタン両国からの援軍などで対応。
しかしジャンヌもまた、自力で従えた魔獣、幸助と同じく『黒』保有者であるグレアの力を借りての追加戦力などで対抗。
だけに留まらず、彼女は配下の『紫紺』保有者の力を吸血鬼フィーティに使用させ、古の七英雄を蘇らせて使役した。
いや、七英雄だけではない。
『霹靂の英雄』リガル。
幸助以前の来訪者で、彼を知らぬ者はいないだろう。
ダルトラを代表する、真なる英雄。
彼の力と意志は、幸助に受け継がれている。
だというのに、ジャンヌは。
こちらを苛立たせる為だけに、彼の英雄が亡骸をこの世に呼び戻した。
「クロノ、分かっているんだよわたしは。きみは怒り狂ってなお冷静な思考を怠らない人間だ。だからほら、考えたんじゃないか? 死体無きリガルでさえ僅かな痕跡を探して顕現させたこのわたしが、だ。全力を出してこの程度か、ってね。アークスナバオナ英雄であればリリス――あぁ『紫紺』保有者はリリスと言うんだよ――彼女が所有してると想像出来る。でもおかしい、きみたちを煽るなら後六体は用意すべきじゃないか?」
ジャンヌの言葉にぴくりと反応した英雄は、二人。
『白の英雄』クウィン。
そして『擯斥の英雄』クラウディア。
「セラ、レイ、ストーン、テレサ、イクサ、ステラ、だったかな? どうして彼らの亡骸を利用しないか気になっているね? 答えは簡単さ。出来なかったんだ。『死』という概念を操る『紫紺』に操れない死者がいるなんて驚きだろう? だが考えてみれば納得でね、ずばり死の定義だよ。生命活動が維持出来ない程の肉体的損壊? 惜しい。記憶の喪失や精神の崩壊? 個の継続性が損なわれるという点では死と比喩出来るが、違う。三次元での在り方は問題じゃあないのさ。肉体と魂、そしてそれを繋ぐ精神の緒。この紐が切れて両者の繋がりが断たれた状態こそを、死と呼称すべきなんだ」
長広舌を振るうジャンヌは実に楽しげ。
「分かるかいクロノ。つまりこういうことだよ。『紫紺』で操っている人間は、まさしく本人なんだ。肉体を魔法的に再生し、魂を色彩属性で引っ張り出し、魔力の紐で結ぶ。当人らしく喋らないからと言って、動く人形のように殺してはだめだぜ? それは立派な殺人さ。そして、だ。『紫紺』で操れない死者がいるとすれば、それは魂が既に無い人間――人造英雄製造に用いられるなどして、たった一つしかない魂を消費された人間! 彼らばかりは、何をしても現世に呼び出せないんだ」
ジャンヌは、幸助を本気にさせたいようだ。いや、正確ではない。幸助がとうに全力であることは彼女とて理解しているだろう。そうではなく、彼女は幸助を――怒らせたいのか。
幸助がかつて、妹を殺された時にやったことを知っているのだろう。
少年にとって、怒りという感情がどれだけの力になるか知っているのだろう。
だから、あらゆる手を使って幸助の心を抉ろうとしている。
ジャンヌが挙げた六つの名前は、クウィンにとって己の創生が為に犠牲になった者の名前で、クラウディアにとっては共に戦った盟友の名前だ。
「そこの人造英雄を褒めてあげたらどうだい? お前が生まれてきたおかげで、今敵が六体増えずに済んだと。六人の英雄の魂を消費してくれて助かったと、そう褒めてやるといい」
さすが、と言うべきなのかもしれない。
人の心というものを、よく心得ている。
幸助にとって、自分自身よりも周囲の大切な者を傷つけられる方が辛いと的確に読んでいるのだ。
「クウィン、聞くな」
「大丈夫」
返ってきた言葉は、はっきりとしていた。
彼女が幸助の隣に並び立つ。
「わたしは、大丈夫」
クウィンティ=セレスティス=クリアベディヴィアは、ジャンヌの言葉に些かも揺らいでいなかった。
気にしていないわけがない。彼女がどれだけ苦しんできたか、六人の英雄にどれだけ罪悪感を抱えているか。幸助は全てではないにしろ分かっているつもりだ。
それでも、今のクウィンには効かない。彼女にはもう、芯があるから。言葉の暴力で殴られたくらいでは揺らがない、己というものを獲得しているから。
「よく言ったわクウィンティ、また落ち込んだりしたらどうしようと思ったけれど、杞憂だったわね」
クラウディアとの出逢いもクウィンを強くした。かつての仲間の魂を基に生まれたクウィンティという存在を、クラウディアが肯定してくれたことは大きい。
「ふむ、吐き気がするような良いシーンだね。誰も彼もが強い心を持った善人だなんて、やめてくれよ嘘臭い」
「安心しなさい、あなたは正真正銘のクズよ。此処までの悪人はそうはいないわ」
ジャンヌは大仰に驚いて見せる。
「驚いた、そうなのかい? いやおかしいな、ほらよく言うじゃないか。正義は必ず勝つとか、悪は栄えないとかね。だからてっきり、必ず勝つわたしは正義だとばかり思っていたよ」
クラウディアはジャンヌを無視。
「――クロ、あれはあなたにあげる。だからわたしに、リガルのジジイを任せてほしいの」
クラウディアからすれば、リガルはかつて共に戦った仲間の一人。
連合の英雄が大勢いるとはいえ、同胞の亡骸を他人任せには出来ないのだろう。
「あぁ、任せた」
「……そういうことをしてしまうんだね、クロノ。他人の心は利用するべきで、信用すべきじゃあない。そんなことで判断を曇らせてはいけない。きみは心を汲むのではなく、相性を読んで仲間を用いるべきなのに」
ジャンヌががっかりしたように言う。
「まぁいいか。ほらわたしを殺すんだろう? 来るといい。特別に、此処で待っていてあげるからさ。ここまでおいで」
彼女は愛しい者を迎えるように、手を広げた。
◇
セツナは昏い昂揚に襲われていた。
幸助とシュカの制止の声さえ、振り切る程に。
『蒼の英雄』クローズを筆頭とした、『白の英雄』スノー『紅の英雄』ハート『翠の英雄』ジョイドらは、セツナとエルマーを封印した張本人だ。
エルマーは彼らを恨んでいないようだったが、セツナはそこまで人間が出来ていない。壊れ行く主を千年に亘って傍らで見てきた従者にとって、彼らは憎しみの対象でしかない。いや、憎悪なんて言葉では軽過ぎる。セツナの感情を正しく表せる語など無いだろう。百年も生きられない人間達の為の言葉では、その十倍を優に超える期間絶えず増幅し続けた負の感情など表現出来まい。
そんなセツナが突撃を仕掛けたにもかかわらず、幸助達がジャンヌとの会話を続けた理由は、何も六体目の亡骸だけが理由ではなかった。
「グッ……邪魔をするな、サイゾー!」
白虎と化したセツナが、動けずにいる。彼女をその場に留めるのは、体中に巻き付く――縄だ。
縄の先を握るのは、無精髭を生やした蓬髪の男だ。およそやる気というものが感じられない瞳、猫背、態度全てが胡散臭さを助長させている。
「邪魔ってねお前さん……。仮にも自分を救い出してくれた仲間にそりゃあないんじゃないの」
そう。牢屋に閉じ込められていたセツナを助けに来たのは彼だった。
サイゾー。彼もまた千年前の戦友。シュカの存在に驚きこそすれ混乱せずに済んだのは、先んじてかつての仲間に逢っていたからというもの大きい。
「貴様、分かっているのか、彼奴が、あの男が――!」
ギロリと睨みつけた先で、サイゾーの表情がぞっとするほど冷めていることに気づく。
「わぁってる。奴さんが何をしたか、きっとお前さんよりもな。なにせ当事者だ」
急いでいたこともあり、何故現代にかつての仲間達が生きているのかセツナは聞かなかった。違う。聞いたがサイゾーにはぐらかされた。
だが、彼のその態度と改めて目にした『蒼の英雄』によって、ある可能性に至る。
――『途絶』されたのか、クローズに。
そして、それが千年近く経って解けた?
「だがまぁ、苦しみで言えばセツナ、お前さんのが上だろうよ。だから止めはしねぇ。だが落ち着け。くだらん他人の都合で同胞が散る姿なんぞ、二度も見たかねぇからよ」
「……汚い縄を解け」
「おいおい」
「貴様の話は分かった。マスターや他の者と合わせる」
バラバラに突っ込んでいって勝てる相手ではない。仲間がいるのだ。足並みを揃え、息を合わせ、連携して動く。これが最上。
「早くしろ、噛み千切るぞ」
「別嬪さんの歯型が付くってんなら、歓迎だがね」
肩を竦めながら戯ける彼だったが、縄は力が抜けたようにしゅるしゅると拘束力を弱めていく。
「……そういう奴だったな、貴様は」
「お前さんも変わらずで安心したぜ。十士五劔『庚』のサイゾー、微力ながらお供しよう」
「なんだ貴様、その大層な名乗りは。怠け者の分際で要職に就いたとでも?」
「へっへ、まぁその話も後にしようや」
幸助達が動くのと、二人が飛び出したのは同時だった。




