242◇不屈のみならず
『透徹の英雄』メタが持つ色彩属性『透徹』は、『存在』を司る。
その透明の魔力に触れたものの存在情報を解析し、自身はそれに同期することが可能なのだ。
相手の全情報を、自身に入力出来る。
だからクロノと同期した時、メタは真実『黒の英雄』となった。
意識はメタ自身のままだが、彼の全記憶や能力・魔法を扱えるようになった。
確かにそれは『扱えるようになった』というだけのことで、意識がメタのままである以上、クロノ自身として動くことは出来ない。
クロノという存在に、メタが入り込んだようなものと考えればいいだろうか。
操縦するには、理解や慣れが必要ということ。
メタはまず記憶などよりも先に、戦術に関する知識や能力を引き出した。
即座に『空間』を発動し距離をとる。『空間』属性は移動距離に応じて発動不可時間が課せられる。
ゲームのクールタイムのようだ、というクロノの認識が付随。メタにはよく分からない。
とにかく、長い距離を飛べば、その分次の発動までの時間が長くなってしまうということ。『空間』という概念属性を人間に許可するには、丁度いいバランスの枷かもしれない。
そういう理由で即座に空間移動を発動出来なかったメタは『風』魔法で戦線離脱を図った。
クロノの攻撃圏外に逃れ、アークスバオナに有益な情報を抜き出してジャンヌなどに送信した後、改めてクロノの能力を戦場で振るうつもりだった。
だが。
――え。
彼から遠く離れたメタは。
彼に斬り裂かれていた。
彼自身がぴたりとついてきたわけではない。
ジャンヌと対峙している彼が剣を振るっただけ。
そして自分と彼の体に斬撃が刻まれ、魔力器官が傷ついた為に同期が解除されてしまう。
彼自身は当然攻撃を知っていたわけだから、即座に傷を再生していた。
おかしい。
有り得ない。
起こるわけがないのだ。
メタの同期は完璧。
彼の持つあらゆる攻撃に対応する自信がメタにはあった。それが可能な力がメタにはあった。なにせメタはクロノ自身なのだ。
精神がメタというだけで、同質の存在……まさか。
メタは思い至る。
『透徹』によって発動者の個が失われないようになのか、意識は混濁しない。クロノの精神とメタの精神が混ざる、ということはないわけだ。
メタは完全に自己を保ったまま、他者の存在を被ることが出来る。
だが、逆に言えば。
同じ存在でも、操る精神が異なるということ。
そして同期はあくまで『その時点での対象』でしかない。
あまりに荒唐無稽だが、もし。
もしクロノが、『存在を同期された次の瞬間』に進化していたとしたら。
メタにはそれが分からない。
だが、そうとしか考えられなかった。
墜落する中で、メタは理解していた。
彼が放ったのは『黒』を飛ばす【黒喰】。
そしてそれに合わせた魔法は、『空間』だ。
ただし、【黒喰】を瞬間的に長距離移動させたわけではない。
メタは最初の『空間移動』を限界距離まで行い、そこから更に『風』で距離をとった。
後から剣を振った彼の【黒喰】は、たとえ『空間移動』を纏わせてもメタまでは届かない。
限界ギリギリまで飛ばされた【黒喰】であれば、自身にあたるより前に対処出来る。
では何故こんな結果になったのか。
答えは、ある意味単純。
『空間』は移動距離に応じてクールタイムなるものが伸びる属性だ。
言い換えれば、移動距離が短ければ短い程、クールタイムも短くなる。
例えば眼前であれば、ほとんどゼロに近い。半歩分以下なら、ゼロだ。
つまり、文字通り目と鼻の先に空間移動すれば、即座に空間移動を発動することが出来る。
人間に対して使えば、まるで無駄。概念属性の桁外れな消費魔力を考えればなおさら。魔法を組み上げている間にその程度の距離は進めるのだから、まったく無意味。
魔法に纏わせる際も同様だ。風刃を飛ばす方がまだ速いというもの。
だが、魔法に数百数千、重ねがけすれば?
類稀なる思考力によって超高速で魔法を練り上げ、一瞬の内に『空間』を【黒喰】に重ねがけした。
そうして放たれた『黒』き刃は、僅か前方に出現し消え僅か前方に出現し消え僅か前方に出現し消えを無数に繰り返す。クールタイムはゼロ。それは人間の知覚を越える速度で繰り返し行われ、放たれたと同時に敵に到着する。
普通であれば効果に見合わない、あまりに膨大な魔力の空費とさえ言える魔法だ。
だが、メタには効いた。
何故なら、クロノはそんな魔法、知らなかったから。考えたことも無かったから。
だからクロノになったメタでも、対応出来なかった。
既存の魔法では対応されてしまうと、クロノは考えたのだ。
そして、そこから僅か一瞬で。
まったく新しい魔法を編み出した。
そんなこと、出来るのだろうか。
やってみせたのだ、クロノは。
これではただ『透徹』を奪われただけだ。
ジャンヌはこちらを振り返りもしない。
メタは自分の上官である『暗の英雄』グレアを想う。
彼が言っていたことがある。
クロノの強さは不屈にあると。勝つまで諦めないから、勝つ。成し遂げるまで諦めないから、成し遂げる。
そうかもしれないが、正確ではないかもしれない。
彼は諦めないのではなく、諦めるつもりがないのだ。その選択肢を潰しているから、どんな状況にも揺らがない。僅かに揺らいでも、次の瞬間には対応している。
そういう、折れない芯を持っている。
メタにはそういうものがない。どれだけの者が芯なんて持ち合わせているのだろうか。
地面が近くなってきた。
メタは焼け石に水と知りながらも傷口に手を当て、体内に残る僅かな魔力を振り絞る。
地面に激突する寸前に『風』属性魔法で衝撃の緩和を試みる。
全てとはいかないが、小さな建造物の屋根から落ちた程度で済む。
それでもクロノから受けた攻撃が致命傷であることは変わらない。
英雄と言えど魔力器官が破壊されては得意の魔法も使えない。
体内魔力は落下速度を落とすことに費やしてしまったし、後は死を待つばかり。
空は青い。
影が自分を覆う。
頭上を竜が飛んでいた。
何者かが飛び降りる。
点は次第に人と分かるまでに大きくなり、その人物は音もなくメタの足元に降り立った。
「こんなところで奇遇ですねメタ。天使ことサファイアちゃんが舞い降りたからには安心ですよ」
深い青色の少女だ。幼さの残る顔には、悪戯っぽく可憐な笑み。小柄な体躯で大仰な動作。今も大きく胸を張り、片手を広げていた。
『蒼の英雄』サファイアホロー=アビサルダウン。
「……あの女、うちのメタをぞんざいに扱うだなんて許せませんね」
彼女は『蒼』によって出血を『途絶』させながら、メタの『治癒』にあたった。
メタと同じくグレアの部下で、旅団の仲間。
旅団はアークスバオナの中でも、特に仲間意識の強い集団だ。
メタはサファイアに何かしたわけではない。それでも彼女はメタを顧みないジャンヌに憤り、自分を全力で治療してくれる。
それはメタにとって、嬉しいと同時に恐ろしいものだった。
当たり前のように与えられるものが、次も貰えるとは限らない。
向けられた優しさに、次があるとは限らない。
だから、怖い。
「ほら、済みましたよ」
にっこりと、サファイアが微笑む。
こくりと頷き、メタは身を起こした。
「相変わらず無口な子ですねぇ。まぁいいですケド、ほら、行きますよ。ボクに手を差し伸べられる名誉にむせび泣きながら起き上がるといいです」
メタの被る漆黒の布袋には目の部分と口の部分に白い染みがある。
メタはそれを動かし感情を伝えていた。
サファイアの言葉に応じ、目の部分から涙のような染みを生じさせながら、彼女の手をとって起き上がる。
「うむうむ。メタは素直ですねぇ。みんなこうだといいんですけど、特にあのギザ歯とか」
ギザ歯というのは、『紅の英雄』シヴァローグ=グラファイレングスのことだ。彼とサファイアは仲が悪い。
くい、とメタが腕を引くと、サファイアはぱちくりと瞼を開閉してから、頷いた。
「そうですね。話は後にしましょう」
クロノの対応力は衝撃的だったが、自分はこうして死なずに済んだ。
仲間が駆けつけてくれたとはいえ、傍観など出来ない。
戦線に復帰せねば。
ジャンヌとクロノ。
始まったばかりだというのに、両者の思惑は絡み合い、噛み合いながら戦いを激化させていた。




