240◇真贋を見極めるは
目の前に妹が二人いる。
言うまでもなくルシフェと見間違えているわけでもなければ、別の世界のトワがこのタイミングで出現したわけでもない。
わけあって軍服ではなく紅の礼装に身を包んだ黒野永遠が、二人いるのだ。
明らかに、どちらかが偽物。
だが、見れば見る程にどちらも本物だった。
形態変化の領域ではない。次元が違う。
存在の模倣という言葉さえ弱い。
これはまるで、存在の複製だ。真似ではなく、量産。
紛れもなくこの瞬間、黒野永遠は二人存在するのだ。
魔力反応だけではない、観測出来る範囲のあらゆる情報が同一。
「えっ」「えっ」
片方は偽物であるだろうに、困惑する感情まで本物。
「【黒縄】」
幸助は迷わなかった。
漆黒の縄を出現させ、片方のトワを捕縛せんと巻き付かせる。
「んっ、コウちゃん……!?」
苦しげな声。
周囲からはまだ当惑が消えない。
「くだらない芝居はやめろ」
幸助が偽りのトワを傷つけず拘束しているのは、魔法の効果を懸念してだ。
ここまで対象と存在を同じくする魔法ならば、傷つけることで本物に被害が及ばないとも限らない。
「おやおやおやぁ? どうしてそちらが偽物だなんて思うんだい? このわたしの慧眼を以ってしても、二人になったシンセンテンスドアーサー卿の真贋を見分けることなど出来ないというのに」
興味津々といった様子でジャンヌが宣う。
幸助は冷たく返した。
「ならお前の目は節穴なんだろ」
それを、ジャンヌは嬉しそうに受け止める。
「あはは、手厳しいねぇ。確かに瞼を持ち上げれば伽藍堂ではあるけれどね? 穴をお望みなら見せようか? 好きなだけ笑うといいよ」
「一人で笑ってろ」
縄は『黒』で出来ている。
いかに存在を同質にしようと、魔法で『成っている』以上は『併呑』で崩れる筈。
事実、縄で締め付けられいる箇所から徐々に、それは起こった。
まるで映像に走るノイズのように、存在が揺らぐ。
透明のずれ、荒れ、歪みは光の屈折が見せる陽炎のようにも見えた。
「おや……本当に当てて見せたのか。凄いな、いや世辞などではなく、素直に驚嘆しているよ。僅かな魔法発動中の挙動かい? それとも発動の瞬間を捉えていた? あるいは他に何か判断する術やこちらのミスがあったのかな?」
ジャンヌの想像があまりにも的外れで、幸助は呆れて果てた。
縄から滲み出した『黒』が偽物を覆い、妹の皮を剥がす。
現れたのは、黒い布を頭から被った人間。体つきから、女性か。
幸助は手に入れた属性を見て、胸中で驚く。
――『透徹』、ね。
色彩属性と呼んでいいのかどうか、ついに透明の魔法属性まで出てきた。
司るは『存在』。それによって妹と同じ存在になっていたのだろう。
「本当に分からないのか? それでよく慧眼を自称出来るもんだな」
「きみが怒っているのは分かるとも。最愛の妹の似姿で遊ばれたとあっては、妹思いの英雄様は我慢ならないだろうね。ただ、どう見抜いたかが気になるんだ。教えてくれたまえよ。いいだろう? 別に減るものでもないのだし」
まるで子供だ。
不思議なことが目の前で起こったから、その理由を周囲の大人に訊く。なんで? どうして? と納得出来る説明を欲する。
敵に教えてやる義理も義務も無い。
だが幸助は言った。
当たり前のこと一つ分からない『教導の英雄』に、言う。
「兄貴が妹を見間違えるわけがねぇだろう」
両目が収まっていたなら、ジャンヌはきっとそれを丸くしていただろう。
それくらい、呆気に取られているのがわかった。
五年越しの、常識からすればありえない死を超えた再会ですら、すぐにそれが妹だと理解出来た。
存在を同じにした程度のことで、家族を見間違えるものか。
ジャンヌの言ったような理由を、無意識に取り上げていたというのもあるかもしれない。
だが、理屈ではないのだ。
言葉でベラベラと説明するようなものではないのだ。
分かって当たり前。分からないわけがない。
見れば分かる。
そういうことがこの世界にはあって、幸助はただ、当然のことを当然のようにしただけ。
「ふっ……あっはは! 冗談なら最高だし、本気でも同様に最高だ! だってきみの返答はどちらにしろ、わたしの想像を超えているからね! まさかこのような場で、そこまで理屈の通らないことを堂々と言い放つとは!」
色彩属性保持者である部下が捕まってなお、愉快げな笑みを浮かべるジャンヌ。
アークスバオナ側の兵士や、ルキフェルさえ困惑しているようだった。
「もう一つ訊きたいのだけれど、構わないかな。あと一つだけ。千年前の『黒の英雄』はきみだったりするのかい?」
「――――」
一瞬。
ほんの一瞬。正確にはそれよりも僅かな時間。
幸助の思考に空白が生まれた。
幸助と同質の存在。
千年前のアークレア大陸に召喚され、妹との再会も叶わぬままにある悪領に閉じ込められた英雄。
もう一人の黒野幸助。
幸助自身が殺め、その力を糧とした『黒の英雄』。
そんなエルマーのことを、知っている筈が無い。
ジャンヌが知る筈が無いのだ。
幸助はそれが成立する可能性を考えた。
間者か、裏切り者か、それ以外での情報の漏洩か。
正確な答えなど期待出来ないのに、彼のことを暴かれたことに動揺してしまった。
刹那よりも短い迷いは、だが英雄規格からすれば突くに充分な隙き。
「メタ」
ジャンヌの声。
「【黒纏】」
幸助の声。
だが幸助ではない。
一瞬前までトワに同期していた女が、幸助に同期したのだ。
『黒』を喰らえるのは『黒』だけ。
ならば幸助に成れば、幸助による『黒』の拘束を脱することが出来る。
滅茶苦茶だが、『存在』を保有する女だからこそ可能な脱出法。
これは記憶まで同期する。
だが、あくまでそれは記憶を同期するというだけのこと。
例えば、他人の端末から情報をコピーしても、それだけで何か出来るわけではない。利用するにも、必要な情報にアクセスする必要があるだろう。持っている『だけ』では用をなさない。
だからメタが幸助の記憶にアクセスし、有用な情報を抽出し、それをジャンヌや他の仲間に送信するより先に同期を解けばいい。
「ふふふ、どうするクロノ。きみはきみを殺せるのかもしれないけれど、今回のきみは真実きみ自身だったりしちゃうんだよ?」
トワが紅蓮の炎をジャンヌに向かわせるが、何故かそれは掻き消えた。
銀灰の粒子が、見えた気がした。
「もう構わねぇよな。コイツはオレが頂くぞ」
銀髪をオールバックにした少年だ。
「我慢が出来るほど、きみは躾がなっていないじゃないかマステマ」
呆れるようなジャンヌの声は無視。
先程までの眠たげな目を嗜虐的に見開き、幸助に向かってくる。
――『銀灰』か。
「主、あの者はわたしにお任せを」
返事をまたず、飛び出す者がいた。
黒髪の剣士にして、ヤクモの従者を名乗る少女。
ヘケロメタンが十士五劔、『風』のトウマ。
本来ならば、任せるべき相手ではない。
だが、トウマはそんなこと承知だろう。
ならば――。
「任せる」
その一言で、トウマから闘気が漲るのが分かった。
「必ずや勝利を捧げます」
マステマと呼ばれた青年が煩わしげに眉を寄せる。
「邪魔だ女」
「戦場で性別が意味を持つとでも?」
「どうでもいい」
銀の粒子が舞い、トウマの刃が閃いた。
マステマから、血しぶきが上がる。
「あ?」
そう。
『銀灰』は確かに破格の能力だ。
可能性を操ると予想されるその魔術属性は、色彩属性を冠するに相応しい強力なもの。
だが、幸助は知っている。
師であるアキハから、トウマが伝授された絶技。
一刀の結果を可能性の数だけ実現する、神に許された理外の技。
マステマが、斬撃が己を斬る可能性を断ったところで、それはあくまで一つの可能性だ。
彼に見えていた、一閃の成功確率を下げただけのことだ。
トウマが放った斬撃は、一つにして一つに非ず。
ただ一つの可能性を潰しただけでは、彼女の剣技は防げない。
「邪魔ならば、退けてみろ」
マステマの視線が、幸助からトウマへと向く。
「前菜にゃあなりそうだ」
「ほざけ」
また一方では、ルシフェが兄に向かって叫んでいた。
「これが兄さんの望んでいたことですか! 我が国で、我が国の民同士を争わせることが!」
「こちらの台詞だ! お前が偽善者共に唆されたりしなければ、このようなことにならずに済んだ!」
「わたしはただ、正しい道をとっ」
「どちらか一方が正しい戦争などあるものか……ッ! いい加減、現実を見ろ……!」
ルキフェラーゼの言には一理ある。
幸助とて、こちらが全面的に絶対的に正しいなどと言うつもりはない。
だが決めたのだ。こちら側で戦うと。
善悪は最早問題ではない。
立場を決めた者同士の争いが起これば、必要なのは結果だ。
トワがルシフェを下がらせる。
ルキフェラーゼも、表情を歪めながら後退した。
幸助の姿となったメタは、『空間』移動で距離をとった。
直後に彼女は『風』魔法で飛行開始。
ひとまず幸助の攻撃範囲外へ逃れるつもりなのだろう。
即座に【黒纏】を使ったことも踏まえるに、真っ先に戦術に関する情報を抜き出して利用している。
既存の魔法や戦術は通じない。
使うにしても、今までにないプラスアルファが必要になるだろう。
幸助は、不壊の宝剣を抜き放ちざまに斬り上げるようにして一閃させた。
傍目には、それだけ。
それだけのことだというのに。
剣閃は虚空ではなく、遠く距離を隔たった己の似姿、その半身を斬り裂いた。
メタは反応さえ出来なかった。
同様のダメージを幸助も受けたが、事前に覚悟しているかどうかで対応が変わる。
即座に魔力再生を施した幸助と違い、メタは同期が解けて墜落してしまう。
つまり、こういうことだ。
幸助は自分の存在を模された時点から、たったの一瞬で、『一瞬前までの自分』の中には存在しなかった新たな魔法を組んだ。
「……想像以上だ、クロノ。もしかしてきみなら、わたしと遊べるのかもしれないね」
「これが遊びか?」
「世界は遊び場だよ。やることなすこと、遊び以外の何でもないのさ。ただ、レベルの違うもの同士では楽しめないというだけで」
「だとしたら、俺とお前もレベルが違うってことになるな」
幸助は、楽しくもなんともない。
「なら、楽しみ方がまだ分からないだけか、きみのレベルがわたし以下かだよ」
「もう一つあるだろう」
「わたしがきみ以下? さぁて、どうかなぁ。もしそうなら、それはとても……いや、よそう。有り得ないことに期待するなんて馬鹿らしい」
砦を破壊したことで、この地における防衛拠点は失われた。
どちらかが降伏、撤退、全滅するまで、互いに隠れる場所もなく戦い続けることになる。
「次はどうするんだい、クロノ。きみに限って泥臭い乱戦なんて望まないだろう?」
無用な殺し合いを回避する方法を、確かに考えていた。
得られたのは、戦意を喪失させればいいという、単純な解答。
コンタクト型の万能機器・グラスによる通信機能で、ある少女に連絡する。
――『ライム』
それだけで充分だった。
丘陵都市、連合側の待機していたあらゆる場所から、それは巨大化した。
『黒白』の『浄化』能力によって悪神の支配から逃れた、多種多様な魔獣。
形態変化によって小さくなっていたそれらが、合図で元のサイズに戻ったのだ。
魔獣の恐怖なら、戦ったことのある者は実感として知っているだろう。無いものは知らないからこそ恐ろしくて堪らないだろう。
どちらにしろ、一部の者を除き、足が竦む。
魔獣とは、それほどの存在だ。
「…………あぁ、すごいなクロノ」
「また想像以上か?」
「いや、安易にその言葉を口に出すのはよそう。ここから先は、真に想定外だった時のみ言うことにするよ」
まるで、これまでのはそうではないとでも言うような口ぶり。
「きみの方はどうかな、驚いてくれるかい?」
驚かなかったと言えば、嘘になる。
なにせ、同じだった。
執った戦術が。
魔獣が、アークスバオナ側の待機箇所からも、湧き出てきたのだ。
「伊達に『教導の英雄』を名乗ってはいないよ。わたしの場合は、本当にただ調教しただけだけれどね。何年も掛けて、さ。きみの方は、どんな方法で?」
色彩属性保持者であるライムの力を借りて、魔獣を浄化した。
だがジャンヌは、悪神の支配下にある魔獣を、そのまま躾けて己の配下としたのか。
過程と準備時間に違いはあれど、起きた結果は同じ。
これが遊びかはさておき。
目の前の狂人が、一瞬も気を抜けない相手であることだけは確かだった。
一月は一回しか更新出来ず申し訳ありません。
なんとか週一回ペースに出来ればなと考えております。
その分、一話の文字数を3000前後から5000以上に変えようかなと。
ひとまず来週も更新出来るよう頑張ります。
お付き合いいただければ幸いですm(_ _)m




