25◇奴隷、誓言ス
生命の雫亭、二階部分は、六部屋ある。
店員で住んでいるのはシロだけで、他は一泊の客や、来たばかりの来訪者――今はクロだ――などに貸し出すのだという。
部屋は控えめに言っても狭い。
三帖程しかなく、くたびれたベッドと、小さな机が置かれ、後はもう立つ場所くらいだ。
そこに、クロとエコナは泊まっている。
宿を探しても良かったのだが、エコナの希望と、幸助自身、酒場の騒がしさを気に入っていたこともあって留まった。
部屋が同じなのは、エコナの希望だ。
かつては寒さを凌ぐため、奴隷同士で集まって寝ていて、それ以前は両親と一緒に寝ていたので、一人で寝るのは寂しい、もちろんご迷惑なようでしたら一人でも、全然……とか言われてしまっては、断れない。
朝食を済ませ、最早習慣と化したミルクを一杯飲み、部屋へ戻る。
昨日、荷物が届いていたのだ。
礼装、というらしい。
貴族達が着るようなスーツやドレスではなく、戦う職業に就く者が式典に参加する際、着用するものだ。
別段スーツでも構わないらしいのだが、今日は幸助が主役ということで、ダルトラ側が用意してくれたのだ。
黒い軍服風の衣装に、やたら高級そうな漆黒のマントだった。
幸助が『黒』を使うから、だろう。
安直なセンスに、苦笑してしまう。
わかりやすいと、褒めるべきか。
しかし、随分と上質な生地が使われている。
軍服のボタンは純銀だし、マントに施された紅い刺繍(これは『火』迷宮攻略者だからに違いない)の意匠も凝っている。
礼服に過ぎないというのに、『黒き月光』と呼ばれる最高級対魔法素材が編み込まれていたりして、とにかく金を掛けようという姿勢が窺えた。
元いた世界の価値に変換するなら、高級車や、ある程度の一戸建てくらいなら購入出来るのではないか。
式典は多くの貴族や有力者が集まる場なので、そこで幸助が浮かないようにという配慮なのかもしれない。
部屋で着替えを終えると、エコナがやってきた。
幸助を見ると「……ふわぁ」と、お菓子の家を見つけた子供みたいな顔をする。
くすぐったいその視線を直視出来ず、目を逸らしつつ、尋ねる。
「……変じゃないか? こういうの着るの、初めてでさ」
杞憂だとばかりに、エコナが首をぶんぶんと振る。
それに伴って、彼女の毛髪が揺れ動いた。
「とても、お似合いです……!」
「ありがとう、エコナがそう言ってくれるなら、自信湧いてきたよ」
言って、頭を撫でる。
彼女は大人しく、というよりも進んでそれを受け入れ、頬を緩めた。
「そういえば、何をしに部屋に?」
「あ、ご主人様とお話しさせていただきたくて、マスターに休憩を頂いたのですが」
エコナは働き者で、マスターは良い人なので、それくらいはどうとでもなるのだろう。
エコナが窺うように上目遣いでこちらを見るので、幸助は頷いて応じる。
「あぁ、いいぞ」
エコナは言った。
今の生活はとても安定していて、それを与えてくれた幸助に感謝している。
このままいけば、確かにお金を貯めて、いつか何か、出来るかもしれない。
「そ、それでも、……その、もし、わたしが、……ご、ご主人様と……い、一緒にいたいと思うのは、ダメ、でしょうか?」
エコナは不安なのだ。
仲間になるとは言ったものの、共に過ごしてはいるものの、自分は幸助に何も与えられていないと。
だから、もしかしたら、金が貯まった頃になって、責任は果たしたとばかりに幸助に別れを告げられるのではないか、と。
「俺は、いつか、エコナをギボルネに送り届けたいと思ってる。この国では奴隷のままだから、そんな待遇より、祖国の方がいいと思うからだ。少なくとも、教育にはそっちの方がいい」
幸助は、子供だ。
エコナも子供である。
彼女を正しく育てることが出来るか、幸助にはわからない。
ただ尽くさせる為に、彼女を所有しようとも、思わない。
だから、彼女の幸せを考えて、そう結論した。
エコナは、涙を浮かべ、給仕服をぎゅっと握りながら、それを堪えた。
「そ、そう、ですよね、わ、わたしなんか、全然、お役に立てても、いないし……」
「いや待て、話は終わってない」
幸助は彼女の前に屈みこんだ。
マントに埃が付くが、どうでもいい。
「さっきのは、あくまでそうするのが最善と思っていたって話だ。エコナ、俺はお前の親にはなれないんだ。この国を選ぶってことは、学校にも行けない、仕事も選べない、結婚相手も見つからないってことだ。お前を都合の良い奴隷として扱えるなら、そんなこと考えないさ。仲間って言っただろ。だから、幸せを考えてる。お前の未来を、考えたんだ」
エコナは幸助の話を、じっと聞いてる。
「祖国へ返すこと、それがお前の幸せのためだと、思ってたよ。今でも、どちらかというと、そう思ってる。自信が無いんだな。お前の人生を背負うのが、怖いんだ。命は、とても大切なものだから。俺にとって、お前の命は、大切だから」
彼女を目を見据えて、言葉に嘘がないと、伝わるように。
「でもお前が、主人としてじゃなくて仲間として、これからも俺と苦楽を共にする覚悟があるって言うなら、手を貸そう」
ぽろぽろと、彼女の瞳から涙が零れ落ちる。
喉をしゃくり上げながら、彼女はそれでも、笑おうとした。
「手を、貸していただいでも、いいですか」
「あぁ、いくらでも」
「あ……そうではなく、本当の、手を」
幸助は赤面した。
誤魔化すように咳払いして、右手を差し出す。
エコナはそれを持ち上げ、手の甲に、口づけする。
「我、エコナ・ノイズィ=ウィルエレインは、やがて母なる大地に包まれ、天庭へと誘われたその先まで、共に在ることを、全存在を懸け、誓います」
それは、宣言だ。
まるで、婚礼の儀のような、台詞だった。
「ギボルネでは、忠誠や愛を誓う儀式で、これを言う仕来りなんです」
「……ちなみに、今のはどっちなの?」
「両方……です」
エコナは、顔を真っ赤にして、言う。
「そうか……」
――【状態】が『精神汚染0.273』となりました。
幸助は、我ながら単純だなと、笑ってしまう。
結局、彼女が自分の近くにいてくれることが、嬉しいのではないか。
そっと、エコナの右手を取る。
「……っ」
戸惑う彼女を、真っ向から見つめ、手の甲に接吻。
「我、黒野幸助は、やがて母なる大地に包まれ、天庭へと誘われたその先まで、共に在ることを、全存在を懸け、誓う」
顔だけでなく、唇が触れた先から熱が広がるがごとく、彼女の全身が赤くなった。
「………………い、今のは、どちらの、いいいい、意味、で、なのでしょう」
「愛かなぁ。恋愛では、ないけど」
その返答に、エコナは複雑そうな顔をしたが、結局微笑んだ。
「クロ! 迎え来てるよ!」
と、階下からシロの声が聴こえる。
「じゃあ、行ってくる」
立ち上がり、マントを払う。
「あ、あの!」
「うん」
「く、くろの、こうすけ? というのが、ご主人様の、本当のお名前なのでしょうか?」
「そう。あぁ、一回呼んでみてくれないか。幸助って」
「え、で、ですが」
「この部屋には、俺とお前しかいない」
彼女は、意を決したように唾を呑み込んでから、深呼吸し、その名を口にした。
「こ、こうすけ、さま」
「さまは要らないよ」
「こうすけ……さん」
「まぁ、いいか。やっぱり、ご主人様よりしっくり来るよ。本名だから、当たり前なんだけど」
「で、では……! あ、あの、もし、よろしければなのですが……」
言いたいことを察して、幸助は頷いた。
「あぁ、これからも、二人の時は名前で頼む。もし、お前がよければだけど」
エコナは、宝物でも貰ったような顔をして、頷いた。
「はい。行ってらっしゃいませ、……こうすけさん」
「行ってくるよ」
自分の帰りを待っていてくれる者がいるというのは、とても幸福なことだ。
幸助は、それを深く実感した。




