239◇安寧は求むるべくもなく
そして、ついにその日が来た。
「お初にお目に掛かる、ナノランスロット卿。わたしはジャンヌ。ジャンヌ=インヴァウス。気軽にジャンヌちゃんと呼んでくれても構わないよ。ちなみに目を閉じているのは糸目の表現などではなく、盲目だからさ。だからそう、お目にかかるなんて表現はわたしには似つかわしくないのかもね。どう思う?」
高くも低くもない身長。血色のいい肌に、肉付きのいい身体。灰をまぶしたような銀の髪を肩口で切りそろえている。染められた横髪を結っていた。彼女から見て右の一房は黒。左の三房は紅、蒼、翠。
言葉通り目を閉じている。
瞳は無くとも、その美しさは充分以上に見る者を惹き付けるだろう。
絶世の美女なんて言葉が誇張にならぬ美貌。
芸術作品のような美。良い意味でも、悪い意味でも。
道化のように笑う女性だった。
楽しそうなのに、悲しげで。
戯けているのに、泣いているみたいだ。
コートを軍服の上から肩に掛けている。肩章がついており、そこにはアークレア文字で『1』と刻まれていた。
アークスバオナ帝国の発展・拡大に大きく寄与した七人の将に与えられる称号――七征。
その七人もまた数字によって格付けされる。
拝数と呼ばれる数字は、数が少ない程に高位。
ジャンヌ=インヴァウスはその中で一を冠する将軍だった。
以前連合を苦しめた英雄旅団、その長であるグレアさえ七だった。
戦闘能力順で与えられる格ではないとはいえ、『暗の英雄』を超える者なのだ。
「捕虜の姿が見えないが?」
彼女の挨拶に、幸助は硬い声を返す。
ロエルビナフ首都の要塞内。
青空を望める室外に、長卓と席が設けられていた。
互いに随行は制限し、ロエルビナフ中央評議会議長代理・ルキフェル=グロウバグ及びルシフェラーゼ=グロウバグを伴っている。
兄であるルキフェルはアークスバオナ側、妹のルシフェは連合側についてる。
双子故に互いが前議長の後継を名乗り、それぞれを支持する者によってロエルビナフは割れた。
「捕虜」
ジャンヌはわざとらしくとぼけたような顔をしてから、これまたわざとらしく手を叩いた。
「あぁ、捕虜、捕虜か。確かにそういう話だったね、交換するとかなんとか。うんうんそうとも預かっているよ。きみの愛猫と、あと最近入った……えぇと――マステマくん、あの子の名前はなんだったかな?」
銀の毛髪をオールバックにした青年が、欠伸混じりに応える。
「パルフェンディだ」
『斫断の英雄』パルフェを投入した要塞の防衛は失敗に終わり、彼女を欠くこととなった。
生き残りの報告によると、彼女は銀灰色の魔法を使う青年に敗北したのだという。
この青年がそうなのか。
確かに魔力反応は英雄規格相当。
そして報告が確かであれば、色彩属性保持者。
彼女の生存を聞き、幸助は内心で安堵する。
「そうそう、そんな名前の可愛らしい妖精みたいな子だった」
「何処にいる」
「クロノ。あぁ、わたしのグレアに倣ってそう呼ばせてもらうけれどいいかな? というわけでだ、クロノ。確かにわたし達が和平会議を持ちかけ、きみ達は応じた。だからまあ客人と言えなくもないわけだけれど、そうは言ってもそれなりの態度というものがあるだろう? こちらのもてなしに不満があるというのなら、会議は無しにしたっていい。捕虜は殺すし、血みどろの戦いが始まることになるがね。どうだい? 『黒の英雄』さまはそれがお望みなのかな?」
「インヴァウス将軍。捕虜は何処か」
「うんうん。やっぱり仮初とは言え敬意はいい。人間関係を円滑に進める要だとは思わないかな? わたしは思うよ。笑顔と柔らかい物腰、これがあるとないとでは受ける印象がまったく違う。出来ればクロノ、きみも笑うといい。そう睨むように見ないで、はにかむくらいが一番似合うよきっと。表情筋、動かそうぜ? なんてね」
「インヴァウス将軍」
「そう急くなよ。女性の相手は初めてかい? 手っ取り早い方がいいという子もそりゃあいるだろうけど、わたしは違うんだな。物事には順序ってものがある。そうだろう? 無視もいいけど、今日は則ろう。だからうん、まずは条件を提示しようかな」
「和平のか」
想像出来たことだ。
そもそも和平会議からして幸助を呼び寄せる罠。
まだ襲われていないことが不思議なくらいなのだ。
「話が早くていいね。大抵のことは早い方がいい。大抵のことは、ね。この条件を呑んでくれるなら、連合諸国の民を奴隷に落とすことはしない。ちゃあんと帝国の民として平等に扱おうじゃないか」
「異界の民は?」
アークスバオナは世界征服を真剣に目指し、それを果たすだけの武力も有している。
それだけではなく、異界侵攻も視野に入れていた。
異界の死者を召喚するシステムの実在から、世界間の移動自体は可能だと分かる。
それを利用する術を見つけることが出来れば、理屈の上ではこちらから異界へと行くことも出来るだろう。
「勘弁してくれよクロノ。飢えて死にかけているアークスバオナの民は見捨てられるのに、見ず知らずの世界すら超えたどこかの誰かは大事とでも? いや違うかな? あぁ、あぁ分かったよ。全員分なんてとても無理だけれど、英雄規格の者達の分くらいはどうにかなる。きみや彼らの出身世界には手を出さないと誓おう。ってこれはグレアも言っていたかな?」
そういう問題ではないが、彼女は紛れもなく英雄規格。
意志や意見が変わることもあるだろうが、歪みは治らない。
異界侵攻を罪とも思わない精神構造は変わらない。
ならば説得など試みるだけ無意味。
「条件について話して頂こう、インヴァウス将軍」
「国家という枠組みの放棄と、政府に相当する機関の解体及び一部構成員の処刑だ」
「――――」
「この大陸をしてアークスバオナとすることこそが、平和への近道にして正答なんだよ。なんて、陛下の受け売りだけれどね。ちなみに一部構成員というのはダルトラで言うと貴族や王族のような特権階級のことさ。統一した後で復権とか、考えられたら面倒だろう? 必要なことだと分かってくれるよね? さぁ、握手を交わそうじゃあないか。最小の被害で最善の安寧を!」
ルシフェが「正気じゃない……」と小さく呟く。
ジャンヌの側に座っているルキフェラーゼ――どことなく幸助に似ていなくもない少年――は無言。
これはやはり形だけの和平会議なのだ。
こんな条件、呑めるわけがない。
だから突っぱねる他無い。
しかし、それによって形式上は『アークスバオナの歩み寄りを連合が拒否した』ことになる。
最早形式などにこだわる必要も無いだろうが、彼らはそれを理由に侵攻の再開を正当化するだろう。
「おやぁ? わたしの手は握れないかい? 肌のケアには気を遣っているから、きっとすべすべしてると思うんだけどな? いやはや驚いた。よもやここまで愚かとはね」
冗談でも言うように笑いながら、彼女は嬉しそうに手を合わせる。
「一応、聞こうかな。返事は?」
他の者の意見を聞くまでもない。
「断る」
ニタァ、と。
ジャンヌは歓喜に顔を歪める。
「じゃあ、戦争といこうか。どうかわたしの想像を超えておくれ」
瞬間、双方にとって予想外のことが起きた。
アークスバオナ側にとっての予想外は、要塞が崩れ落ちたこと。
これによって要塞の取り合いは起きようがなくなった。
ルシフェの許可を得て、事前に決めていたことだ。
そして連合側――特に幸助――にとっての予想外は。
「コウちゃん」「コウちゃん」
同じ声が、同時に向けられた。
トワが二人いた。
ルシフェとの見間違いなどではない。
妹が二人、幸助の側に立っていたのだ。
「クロノ、きみにはどこまで視えているのかな」
戦いが始まる。
更新遅くなってしまい大変申し訳ありません……!
ぽつぽつと投稿していければと思います。
遅くなりましたが、今年も御鷹穂積をよろしくお願いいたしますm(_ _)m




