233◇心が欠けている
アリスグライス・テンナイト=グラカラドックの半生について。
彼女は貴族の父と、ある来訪者との間に生まれた。
英雄規格程ではないにしてもそれなりに優秀な攻略者だった母の子供は、概ね優秀な子に生まれた。
アリス以外は。
父からすればアリスは失敗作以外の何者でもなく、父の言いなりだった母も娘をそのように扱った。
必然、他のきょうだいも。
よく言われたのは、人の価値について。
例えば、花ならば美しく咲くことで価値が高まるだろう。良い香りがし、棘が無く、すぐに枯れることがなければ価値は更に高まるだろう。
戦士なら? 求められるのが強さなら、美しさにも、匂いにも価値は無い。
貴族に必要なのは、貴族で居続ける為の優秀さだった。
自分達は優秀で、いまだ英雄の血を色濃く継いでいるのだと周囲に思わせる為のステータス。
アリスには無かった。だから、何の期待もされず、愛されず、見向きもされなかった。
それはアリスにとって当然のことで、両親に愛される他のきょうだいを見ては、自分が無能であるのが問題なのだと考えるようになった。実際、グラカラドック家に関してそれは真実だった。
ある時、リガルが家に来た。心優しい英雄の前だからか、その時ばかりは両親が自分を他の子と同じように愛するフリをしてくれるので、アリスはリガルが来るのが好きだった。
彼が来なければ、自分は父と母に優しくしてもらう機会に恵まれることもなかっただろう。
七歳の時だったか、彼は娘の一人を連れてきた。それがマキナだ。
「きみのかみ、キレーだね!」
それはアリスのコンプレックスでもあった。
『紅の継承者』は真紅の髪をするものだ。
父も他のきょうだいもそうなのに、アリスだけは母の髪色と混ざってしまって真紅にならなかった。
自分と同じく無能である筈の『燿の継承者』ガンオルゲリューズの娘でさえ、輝かしい金の毛髪を持って生まれたのに。
アリスは見た目の段階で、継承者たる資格を持てなかった。
なのに、マキナはその髪を美しいと言った。
そうか。美しいのか。でも、自分は花ではないから。それは、自分の価値を上げてはくれない。
マキナは自分を気に入ったらしく、父からも遊び相手をするようにと言われたので、それから関わる機会がいくらか増えた。
父の友人の娘御に失礼が無いようにと接した。英雄の娘だけあって彼女は幼いながらにして聡明で、話についていくのも難しかったが、次に逢う時までに猛勉強することでなんとかついていった。
ある日、いつものようにマキナの相手をしているとリガルが部屋に入ってきた。
マキナは当たり前のようにリガルに抱きつき、リガルは当たり前のように彼女を抱き上げた。
アリスは分からなかった。
彼女はリガルの役に立つようなことを何かしただろうか? そうでもなければ、どうして父に優しくしてもらえるのだろう。
分からなくて、なんだかモヤモヤして、アリスは理由を求めた。
そうだ。マキナは優秀だ。価値の高い娘だから、普段から丁寧に扱ってもらえるのだろう。
考え込むアリスは、不意にリガルに抱き上げられる。
アリスは分からなかった。
自分はリガルの役に立つようなことはしていない。では何故、彼は自分に微笑みかけ、抱き上げてくれる? 同じく抱き上げられているマキナと目が合う。楽しそうに笑っている。微笑み返した。
何故? どうして? どういうこと? どうすれば――。
そうだ。マキナは価値の高い娘で、アリスはその友人だ。だからだろう。考えてみれば筋が通る。両親だってリガルが来た時は優しくしてくれる。価値の高い何かによって、一時的にアリスの価値が引き上げられているのだ。
少ししてから、父がこう溢していたのを耳にする。
「アレを学院に入れる」
アレ、というのはアリス以外にいない。厄介払いなのだろうとすぐに分かった。
母は「はい」とだけ答えた。
「仮にもグラカラドックの娘だ。魔術師・魔女の資格でも取得すれば、貰い手も現れるだろう」
また、価値の問題だ。あからさまな失敗作を嫁に出すのは難しい。だがあくまで他の分野で活躍する人材だということにすれば、言い訳も立つ。
アリスはいい加減気づいていた。
自分はグラカラドックの娘としては無価値だ。
でも、女としてなら?
魔術師の卵としてなら?
価値が、出るかもしれない。
アリスはただそうして、誰かに価値を――。
「お前に任せたいことがある」
「……わたしに、ですか。お父様が、わたしに?」
父に唐突に呼び出され、わけもわからず本家に戻ると開口一番そう言われた。
有り得ないことだった。
「他の者には任せられない。我が娘、アリス。お前にしか出来ないことだ」
グラカラドックの娘として、父は自分に何かを求めている。
婿候補でも見つかったのかと思った。
そしてそれはある意味で間違ってなかった。
他ならぬ、無能なアリスだからこそ成立する作戦だった。
だって、誰もアリスなんて疑わない。
グラカラドック家の無能が『霹靂の英雄』を殺せるだなんて思えない。
でも、だからこそなのだろう。
トワイライツが陥れられたのも偶然ではない。
首謀者である『紅の継承者』は偽英雄が自らの祖の銘を騙ることが許せなかったのだ。
英雄のまとめ役たるリガルを葬り、トワイライツを処刑させ、英雄の中心に据えられた『黒の英雄』の子を産む。
成功すれば、アリスの価値は跳ね上がる。
その後の人生で、二度と虚しい気持ちにならずに済む。
「やります。お父様。わたしに任せてください」
期待されているのだと勘違いした。
面会にきたクロの話で、自分は元々捨て駒なのだと悟った。
呪いの話なんて聞かされていなかった。
自分はなるほど、無価値では無かったのだ。使い捨てるだけの価値を見出されたのだ。
悲しいとは思わない。自分だって万が一の時の為に準備をしていたのだから。
処刑を免れる為に家族や協力者を売ったのだから。
でも、どうしてだろう。
空虚だ。
分からない。分からない。分からない。分からないことだらけだ。
今の自分は英雄に匹敵するステータスを誇っている。
利用価値が、ある。なのにクロは、どうして自分に優しくしてくれないのだろう。使い捨てるにしても、使い捨てるならばなおさら、それまで気分良く能力を発揮出来るようにと優しくするべきではないだろうか?
分からない。不満なのに、どこか安堵している自分が分からない。これでクロが自分に優しくしてくれたら、自分はきっと父に裏切られた時よりも大きな空虚に襲われていただろう。
トワが泣いたからと言って、彼は自分を打ち負かした。
トワイライツは彼の実の妹だという。まったく自分達は馬鹿なことをしたものだ。英雄規格の妹なんて価値が高いものに手を出した。彼が怒るのも無理は無い。
……あれ、でも過去生では無能力の少女だった筈。それなのに彼は彼女の為に復讐に奔走したと『神癒の英雄』が言っていたような。命を掛ける程に容姿が優れているわけでも賢いわけでもないのに、クロさんは一体シンセンテンスドアーサー卿の何処に価値を見出したのでしょう?
分からない。
マキナにとって、英雄規格である父の喪失は大きい筈だ。
それを殺めたアリスを憎むというというのも、共感は出来ないが理解は出来る。
なのに、なんだあれは。なんだ、さっきの態度は。レベル6の旧友に、無能な幼馴染に向けるべきものではないように思う。アリスが父に従わされた可能性を信じる、愚かな友人。
髪が綺麗だと言ってくれた。瞳が綺麗だと。肌が綺麗で、優しくて、気遣い上手で、努力家だと。
その程度の価値では、リガルのそれに遠く及ばない筈なのに。
分からない。分からないことだらけだ。
分からないのは、自分が無能で無価値だからだろうか。
それさえも、アリスには分からない。
「アリスさん!」
声が聞こえた。
幼さの残る声。聞いたことのある声。
酒場から出て、クロに与えられた仮初の宿に戻ろうとしたところで、誰かが追いかけてきたのだ。
振り返る。笑う。
「はて、誰のことでしょう? わたしは謎の仮面少女ですが?」
複雑そうな表情をして自分に近づいてくるのは、蒼氷の童女。
前に学院を案内したことがある。クロが任務へ向かった後は二人きりでしばらく行動した。
エコナだ。
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