231◇慈愛の修道騎士
イヴ以外の修道騎士は少し遅れてから到着した。
だが様子が変だった。
常に軽薄な笑みを湛えている『神罰の英雄』アルが、まるで幽鬼のような足取りで入店したかと思えば、生気の感じられない顔で「みんな……逃げるんだ」と言ったきりバタリと倒れてしまう。
幸助の隣にいたイヴが、何かを悟ったような顔をする。
危険が迫っていることを察知したような、それでいて嫌悪よりは尊敬が勝るような、微妙な表情だ。
「……あの、おにいさんは、逃げてください。ここはイヴが、食い止めてみせます、からっ」
桃色の髪をした狐耳の少女は、ぐっと両拳を胸の前で握り、勢いよく立ち上がった。
「何が来るっていうんだ」
幸助の戸惑いを置いて、アルと同じくヘトヘトになった様子の『剣戟の修道騎士』アリエルと『祓魔の修道騎士』サラが現れる。
「アリエル様。申し訳ごさいません。貴女様をお守りすることが出来ず……」
「いいのですよ、サラ。あの方を前に抵抗など、叶うわけもないのですから」
二人は支え合うようにしながらも、ずるずると倒れていく。
いよいよもって謎だ。実力者三人が手も足も出ず、イヴが警戒しているが敵ではなさそうな存在。
「アリエルさん! 大丈夫ですか!?」
トワが駆け寄る。
「いけません、シンセンテンスドアーサー卿……! 一刻も早くこの場を離れ――」
何かが店に入ってくる。
そしてトワに飛びかかった。
「――――」
幸助は瞬時に『空間』移動し、闖入者の背後へ現れざま、剣を相手の首元へ――向ける前に止まる。
闖入者が修道騎士の衣装に身を包んでいたからだ。
褐色の肌をしたグラマラスな美女だ。翠玉の瞳に、問答無用で警戒心を解かれるような笑顔。
トワは襲われているわけではなく、ただ抱きつかれていた。
「ひょわあっ」
最初は驚いて抵抗しようとするトワだったが、それも一瞬のこと。
「あなたがトワイライツさんですね。まだお若いのに立派に英雄の役割を果たし、国の過ちに晒されてなお正義を見失わなかった。偉いですね。お母さんはあなたを誇りに思いますよ」
トワの表情が和らいでいく。
「よしよし、いい子いい子」
近くにいる幸助まで、なんだか嬉しく、幸せな気分に――。
「おにいさんっ」
イヴが幸助の服を引っ張ったことで、女性と距離をとることが出来た。
そんな簡単なことさえ、意識出来なかった。
先程までの妙な感覚が消える。
「おい、あれはなんだ。っていうか、トワはあのままでいいのか。何か危ないものなら――」
やはり剣が必要かと考える幸助の手を、イヴが控えめに掴んで止める。
「いえ、テレサさまの行いに、危険は伴いません。ただ……」
「ただ……?」
イヴが口ごもる。
「そこから先は俺ちゃんが説明しよう」
よろよろと立ち上がったアルが、力無げにウィンクした。先程よりは余裕を取り戻したらしい。
「修道騎士ってのはさ、かつて聖者と呼ばれた者達と同質の存在なんだよね。けど、聖者を名乗るのはあまりに恐れ多いからってことで修道騎士って呼んでるのよ。でも同じなわけ。じゃあ聖者はどんな存在だい?」
「英雄規格ってことだろ? 神話の時代の」
「そう。つまり神と共に戦い、神の為すべきことを人の身で為す者だ。使徒であるし、代行者とも言える。修道騎士も同じ。神様が眠っている今、代わりに正しいことをする者ってこと」
「あぁ。それがどうしてアレに繋がる」
トワの状態は目も当てられないものだった。
「お母さん!」
とかなんとか言いながらテレサと抱き合っているのだ。
当然、テレサは兄妹の母ではない。
よしよしとテレサに頭を撫でられる度に嬉しそうに笑っている。
幼児期くらいまで退行しているかのような、にっこりとした笑顔だ。
英雄ばかりが集まっている酒場で、妹が醜態を晒しているのは居心地がよくない。
「テレサ……サンはさ、神の愛の代行者なんだよね。母なる大地って言うじゃん? 母は子を愛するものじゃん? でも神の愛は英雄規格でも一部の人間にしか注がれない。不平等じゃん? ってことから、彼女は『全人類の母』を自称してるんだ……」
「……それは、また」
英雄の狂気は実に多種多様だが、親の愛という特別なものを全人類に向けるなんて類いのものまであるとは驚きだった。
「で、テレサさんは子を褒めて伸ばすタイプなんだよね。安心させて、優しくして、健やかに育つよう祈る」
「あの魔法はじゃあ、それをする為の?」
「まぁ、そう言えるかもね。ほら、クロちゃんのとこにいたおっぱい女医サンいるっしょ? あの人の魔法に似てっかも」
エルフィのことだろう。確かにこれは『神癒』の内、彼女が得意とした調律魔法をあるベクトルに特化させたものと言えるのかもしれない。
近づく者に安心感を与え、自分の言葉を心に染み込ませる。
対象はテレサに母性を感じ、半ば強制的に甘やかされてしまうのか。
魔法が脳で組まれる以上、その脳に干渉し抵抗感を奪うというのは戦法として有用だろう。
超近距離まで近づく必要があるとのことで実戦で役立つかは微妙なところだが、敵ではなく味方という立場でこそ恐ろしい相手だ。
「じゃあ……お前らも」
くっ、とアルが表情を歪めた。
「あぁ、そうさ……! わかるかいクロちゃん。テレササンの前ではみんな子供に戻されちゃうんだぜ? そこに修道騎士も枢機卿も一般人も関係無いんだ!」
悍ましい光景が脳裏に浮かぶ。
公共の場であろうと抱きついてくるテレサ。
周囲の目があるにも関わらずそれに抵抗できず笑顔になってしまう自分。
精神がすり減ったようなアル達も頷ける。
逃げろという言葉も理解出来た。
「よしよし。トワちゃんは頑張り屋さんですね。お兄さんもちゃあんとそのことを分かってくれていますよ」
「そうかなぁ。コウちゃんは分からず屋だからなぁ」
「まぁ。ではお母さんがお話してきますからね?」
「ほんと?」
「えぇ」
「やばいクロちゃん逃げろ! っていうか皆逃げるんだ! 甘やかされたくないならね!」
言った瞬間、アルが抱きしめられた。
「ぐはっ…………うへへ」
「もう、アルったら。さっきまであんなに甘えていたというのに、まだ足りないようですね」
一瞬で陥落したアルだった。
イヴが震える身体で幸助の前に立つ。
「行ってください、おにいさん。ここはイヴが――ひゃうん!」
「あらイヴちゃん。素敵な目をするようになりましたね。いい出会いに恵まれたようで、お母さんはとても嬉しいですよ」
「……イヴも逢えて嬉しいです」
両腕に抱かれたアルとイブの表情が蕩ける。
――な、なんて強力な魔法なんだ!
距離をとったことで正気を取り戻したらしいトワが、声を上げて蹲る。羞恥心に襲われているらしい。アリエルとトウマが駆けつけていたので、ひとまず任せることにした。
「あぁ、よろしくテレサさん。あの、出来ればその魔法は解いてもらえるか?」
「愛は止められません」
「そういうことではなく」
「いいえ、そういうことですよクロさん。愛に限度はありません」
「節度は求められると思うんですけど」
魔力にも限度がある筈だが、英雄規格なのだ。魔力切れは望めまい。
「母が子を抱きしめる行いは、常軌を逸していますか?」
会話は成立するが話は通じないタイプの人間だ。
だがこのまま甘やかされるわけにはいかない。
その後、多くの英雄にトラウマを植え付けることとなる鬼ごっこが始まり。
誰もがその日のことは口外しないことを約束することとなった。
テレサ以外は、だが。
いつもお読みくださりありがとうございます、御鷹です。
本日17時頃に新作を投稿します。
不遇の兄妹が幸せを掴む為に戦いに身を投じるファンタジーアクションです。
復讐完遂者の読者様であればご満足いただける作風・内容になっているかと思います。
幼女と合わせて、しばらく三作品が毎日更新されますので、応援していただければ幸いです。
今日は完遂者ももう一話更新出来ればと思います。
では、またお逢い出来ましたらm(_ _)m