24◇英雄、沈着ス
それから式典までの間、幸助は迷宮攻略へ赴くことは無かった。
理由は幾つかあるが、主な要因は二つ。
一つ、そろそろ本格的に世界情報の蓄積に努めるべきだと考えていたこと。
一つ、実質これこそが理由の大部分を占めることになったのだが――シロとエコナに止められたこと。
幸助は覚えていないのだが、【黒迯夜】を発動した直後、幸助は自我境界が揺らいでいたという。
タイガの証言と、【状態】『精神汚染』のステータスを見ることでそれを事実と判断した二人は、詳しいことが分かるまで迷宮に行くべきではないと言った。
シロは、叱るように。
エコナは、涙目で。
幸助は、何か言い訳をしようとして、結局やめた。
理屈をどうとでもしてしまえるような強い感情を前に、抵抗する気が湧かなかったのだ。
心配されているのだから、心配ないと言えるようなことをしたいと思った。
その後一週間、幸助が何をしていたか。
主な出来事を抜粋する。
まず、ソグルスの件の顛末。
タイガは仲間三人の身体の一部を取り戻すことが出来たが、仲間は彼を含めて五人だ。
彼の他に生きている者――生命の雫亭で働いていて、クララという名だと以前聞いた――にも、報告するのが筋だろう。
生命の雫亭は、マスターを除いた店員が全て女性らしい。
来訪者がアークレア人に比べて強いとは言っても、女性が女性で無くなるわけではない。
戦いを好まない者、戦いから身を引いた者、戦いとは別の道を選んだ者など、争いごとから距離を置きたい来訪者の受け入れ口なのだ、マスターは。
ちなみに生命の雫亭、よくある用心棒的存在はいない。
不埒な行為を働く愚か者が現れたら、他の客達が率先して退治するからだ。
なんともアットホームな酒場である。
てっきりタイガと同じ二十代かと思ったが、クララは十代の少女だった。
黒髪をサイドテールに結っている。
吊り目がちな目元の所為か、勝ち気そうな印象を受けた。
元いた世界にあった便利な形容を適用するなら、ツンデレだった。
「何勝手にソグルスに挑んでんの? アタシ聞いてないんだけど? アンタ言った? 言ってないわよね? で? それでもしアンタが死んだらどうしろっての? ねぇ、そこらへん考えてたわけ? 図体の割に打たれ弱いアンタが、ソグルスに勝てると少しでも思ったわけ? ばっかじゃないの?」
と、言葉そのものはキツイが、そこに思い遣りが込められていることは明白。
タイガはひたすらタジタジで、幸助は笑った。
「は? 何笑ってんのアンタ? 来訪二日目で守護者に挑むって、ちょっと頭沸いてるんじゃないの? 平気? 良い精神調律魔法医知ってるから教えてあげましょうか? アンタの所為でシロとエコナが泣いたんだけど? 男っていいわよね、好き勝手やって――」
幸助は耳が痛いので、塞いだ。
その後、結局散々幸助とタイガをなじってから、クララは墓参りに行くと言った。
タイガがそれに伴い、店を出て行く。
ソグルスの傀儡の内、タイガの仲間のものが三体。
全二十三体だったので、名前も分からないものが二十体。
酒場の人間に協力してもらった結果、すぐに全員の身元が判明した。
それぞれの墓に、頭部を埋葬する。
賑わう、なんて言葉は不適切だろうが、墓地には一時多くの人間が集まった。
来訪者だけでなく、死した者と交流のあったアークレア人も沢山祈りを捧げに来た。
いつか自分が死んだ時も此処に埋められるのだろうかと、ぼんやりそんなことを考えもした。
ともあれ、死者に関する話はここまで。
次に考えねばならなかったのは、ソグルスの報奨金と魔法具。
報奨金はタイガが「受け取ることは出来ない」とうるさいので、仕方なく幸助が全額頂いた。
クレセンメメオスの三倍程の額になった。
魔法具に関してはタイガの同意を得て、奉上した。
面倒くさいので式典二回にしないで一回に纏めてくださいと幸助が言うと、判断屋の女性は困ったような顔をした。
そんなこと言った人間は、幸助が初めてだそうだ。
それでもダルトラは仕事が速いので、どうにかなるだろう。
それ以降は、やりたいことをした。
無論迷宮攻略以外で、だ。
ダルトラは、アークレア大陸の中央に位置する広大な平地に開かれた国家だ。
気候が安定しており、緑豊かな土地柄もあって、放牧地や農地を多く持つ。
だからこそ飢饉とは無縁で、その点に関して民衆から不満の声が上がることも無い。
王都ギルティアスは建国時の出発点なのだという。
中心の、更に中心。
五重の城壁とはつまり、人口増大に対する街の拡張の歴史でもあるのだ。
王城があり、そこと区別するために一つ目の城壁が出来た。
その外に臣民が住み、臣民を外敵から護る為の壁も作った。
あまりに環境に恵まれ、かつ多くの英雄を抱えたダルトラは繁栄の一途を辿る。
いつしか英雄は貴族と名を変え、壁が増えるにつれて貴族街が出来上がっていった。
当たり前だが、外敵が攻めてきた時、より内部にいる方が安全である。
なので土地代も、より内地に近づく程高くなる。
いくら金があろうと、貴族の邸宅が並ぶ第一外周や貴族街と呼ばれる第二外周へは住めない。
とはいえ、これらの区別も貴族がしっかりと責任を果たしているが故に、不満というレベルには達していない。
なにせ、ギルティアスが攻められたことはここ百年以上、無いのだ。
平地故に攻められれば弱いと考える者もいるだろうが、この世界には魔法がある。
来訪者がいる。
そうやって守られ、長い時を掛けて膨大な正規軍を整備したダルトラは、列強国だった。
現在、北のギボルネと戦争中ではあるが、優勢だという。
内陸国家の為、あまり魚を食べる文化は見られない。
あっても、川魚を高級料理として供する料理店があるくらいだと聞いた。
ただ、探せば『氷』魔法によって冷凍された輸入品の魚が見つかる。
しかし、高い。
ちなみに街道もしっかりと整備されているので、陸路での交易は盛んだ。
これは聞いて複雑な気持ちになったのだが、この世界の人類が争う理由は、主に二つ。
神域・悪領の確保。
そして、神殿の確保だ。
自国の民をより満たす為、他国から魔法具のある迷宮と、英雄を運ぶ神殿を奪い取る。
そういう争いを、人間はしている。
どの国家も、心のどこかでは神に選ばれたのは自分達だ、とでも考えているのかもしれない。
特にダルトラは自前の、つまり来訪者でない攻略者に、『白の英雄』クウィンティを抱えているし、王国の繁栄を支えたのも現在貴族となっている者の祖先達、つまり来訪者だ。
自負があるのかもしれない。
自分達は紛れも無く、優秀だという自負が。
豊かで、多くの者が優しいという一面。
それでありながら、奴隷制度や戦争などは受け入れている、勝者としての一面。
あまり歓迎出来ない二面性だ。
しかし国家というのは、そもそもがそういうものなのかもしれない。
少なくとも、悩んだところで幸助にどうこうすることは出来ない。
どうこうすることが出来るかもしれないことを悩んだ方が、幾分生産的だ。
例えば、『黒』とか。
幸助は様々な人を尋ねた。
教会。
司祭様に話を聞いたが、眠くなっただけだった。
『黒』については、ギルが教えてくれた以上のことは判明しなかった。
歴史家。
頭が痛くなるような専門用語のオンパレードだったが、根気良く付き合っていると幾つかの新情報があった。
かつて、英雄と呼ばれる者は二十七名いた。
中でも、七英雄と呼ばれる者達は記述も多く、有名だという。
『黒の英雄』、
『白の英雄』、
『紅の英雄』、
『蒼の英雄』、
『翠の英雄』、
『燿の英雄』、
『暗の英雄』、
この内『黒の英雄』と『暗の英雄』は、歴史家によって同一視されることがあるのだという。
元いた世界でもそういった論争はよく見かけたので、珍しくはない。
では何故、別々の英雄とする者がいるのか。
『黒の英雄』は当初、正義を信奉する若者であったという。
民の為に魔族を打ち払い、悪神の一部すら喰らった。
が、ある時から“正義を信奉する若者”の記述が無くなる。
そこから、まるで入れ替わるように“情け容赦なき若者”が登場する。
『黒』は、捕食した者の特性や魔法を獲得出来る。
それはつまり、どんどん戦術の幅が広がっていくということ。
それこそ、無限に。
悪神の一部を捕食した『黒の英雄』は、おそらくそれが強大過ぎて、それに頼るようになった。
そして、悪神を喰らったのはおそらく、【黒迯夜】だ。
その精神汚染から、彼は抜け出せなかったのだろう。
悪神の力を使って敵を殺し続けた彼は、まったく別の『暗の英雄』として捉えられるようになった。
そしてその『暗の英雄』、どこで没したかを記す書物が無いのだと。
背筋が凍るような感覚を、幸助は味わった。
タイガは結果論と言ったが、なによりもその結果こそが幸助にとっての幸運だったのだ。
彼がたまたまシロとエコナの名前を出さなければ、自分は今頃消えていたかもしれない。
幸助は歴史家の老人に感謝を告げ、その場を後にした。
後日向かったのは、クララが言っていた“良い精神調律魔法医”の所だ。
彼女は冗談で言ったのだろうが、幸助にとっては精神汚染を解決する糸口になるかもしれない場所だった。
魔法医というのは、魔法によって患者を治療する医者のこと。
エリフィナーフェという女医で、やけにグラマラスな女だった。
露出度の高い衣装の上から、白衣を着ている。
エルフィと呼んでいいらしいので、そう呼ぶことにする。
幸助は自分の知る限りの情報を提出。
エルフィは眼鏡越しに目を細め、ペンを色っぽい唇に当てながら、唸る。
「うぅん……。似ているのだと『混乱』とか『錯乱』があるんだけど、これは性質が違うものよねぇ」
「性質が、違う?」
エルフィは紙を取り出し、ペンとは別に鉛筆もペン入れから出した。
製紙技術は不明だが、造りに粗いところは見られないので魔法でどうにかしているのかもしれない。
「例えばよ? 『混乱』『錯乱』は、こういうこと」
エルフィは紙に二人の棒人間を書き、片方の頭部に鉛筆で、片方の頭部にペンで、妙なマークを書いた。
「見た目は、同じよね? あ、ちなみに片方が『混乱』あるいは『錯乱』患者で、片方は『精神汚染』って設定よ?」
「あぁ」
「で、この二人に、調律魔法を掛けて、治療するとするでしょ?」
そう言って、エルフィは消しゴムだろうか、砂の塊みたいなものを、紙に当ててこすった。
鉛筆で書いた方のマークだけが、消える。
「こうなっちゃう。どちらが『精神汚染』かは、わかる?」
「…………わかるよ。表面的な症状が同じでも、根源的な原因が異なる為、同一の方法での治療は見込めないってことだろ」
「よく出来ました」
子供でも褒めるように、彼女は微笑んだ。
続けて言う。
器用なことに、物憂げな表情を一瞬で浮かべて。
「でも、まったく別の治療法はある筈だわ。だって、女の子との触れ合いで改善されたんでしょう?」
「その表現には、語弊がある」
エルフィは立ち上がって、幸助の首に腕を回した。
大人の色香とでも言おうか、おそらく香水だろう、興奮を誘うような匂いが強くなる。
「ねぇ、どう?」
「あんたは充分以上に魅力的だが、さっき言ったように、重要なのは女との接触じゃない」
「あら残念」
と、本当に少し残念そうな顔でエルフィは退く。
「幸福、だったかしら」
「あぁ」
「一応、あるわよ? なんだかとっても幸せな気持ちになれるよう、脳を調律する魔法」
おそらく多幸感をもたらす神経伝達物質をドバドバ放出させるような魔法だろう。
「いや、どうだろう。そういうのでもアリ、なのか?」
「どうせなら、脳が幸せな状態で、体が幸せになる遊びに興じましょ? 試してみる? 丁度此処に女もいるし、ベッドもある」
ちらりと、エルフィはベッドへ視線を向けた。
「……あんたとは初対面だが」
「興味あるの。普通の来訪者は経験あるけど、英雄は無いから」
と、唇を舐めた。
「…………知的好奇心が、旺盛なんだな」
「あら、じゃあ、あなたは興味無いの?」
「自分のことに? それとも、あんたのことに?」
「どっ、ちもっ」
エルフィが、診察室の鍵を掛けた。
「どうする? 英雄さま?」
………………。
とまぁ、色々と情報収集したが、数値的な成果や明確な改善点は得られなかった。
それを嘲笑うように、新たに出来た友との交流やシロやエコナとの触れ合いの中で、精神汚染は0.358まで下がった。
つまり無理の無い範囲でなら、『黒』もまったく使えないということではない、ということになるか。
あるいは、問題なのは【黒迯夜】とスキル『セミサイコパス』の発動だけなのかもしれない。
もちろん油断は禁物だが、幸助としてはしばらくしたらまた迷宮攻略をしたいという思いがあった。
許してもらえるだろうか。
どうだろうか。
そんなこんなで過ごしている内に。
式典当日は訪れた。