230◇英雄の所有者様
酒宴だった。
旅団迎撃戦の前に行ったものと同じ。戦いを前にして、好きなだけ飲み食いするというあれ。
「いいのでしょうか。民はいまだ不安の只中にいるというのに、わたしだけこのような場にいても……」
遠慮がちに言うルシフェを、トワとトウマが説得し、料理を勧めている。
そんなトワを少し離れたところから見ていた『魔弾の英雄』ストックは、眼鏡を中指で押し上げて目を細める。
「むっ……グロウバグ議長代理だが……やはりどことなくシンセンテンスドアーサー殿に似てはいまいか? どう思う、ルージュリア」
「もぐもぐ」
「ルージュリア、聞いているかルージュリア」
「この肉料理は非常に美味。料理人は一流」
「そうか……」
『編纂の英雄』プラナは敢えてなのか、料理に夢中。
「よぉう! また逢ったなぁ。おれを覚えてるかい、魔術師の旦那」
『干戈の英雄』キースが猫背の魔術師に声を掛ける。
グレイだ。彼の隣には弟子であるマキナもいる。
「こほっ……フルブラッド氏だな。一度逢っただけのわたしを覚えているとは、貴殿は余程記憶力が優れているらしい」
「いんや、おれぁどうでもいいことはすぐ忘れるタチでね。お前さんと逢った時のことは随分と衝撃的だったってわけなんだが……わざわざ言うもんでもねぇやな。んなことより飲もうぜ! 英雄の酌を断りはしねぇだろう?」
「……ふっ、そうだな。頂こう」
「ちょっとちょっと師匠! フルブラッド特一級と知り合いだったなんで聞いてないよ!」
「以前街で話をしただけだ。お前に伝える程のことじゃあない」
「ぶぅーぶぅー。そんなつれないことを言う師匠なんて嫌いだなぁ」
「師は導く者だ。弟子に好かれる必要はない」
「そんなこと言って嫌われたら寂しいにくせに。分かってるんだからなー」
「お前さんの弟子かい? こんなとこに連れてくるんだ、余程自慢の弟子なんだろうなぁ」
「おー、フルブラッド特一級はいいこと言うね! あ、そういえばさ、逢う機会があったら聞いてみたかったことがあるんだけど――」
英雄規格だらけの中、物怖じせずにいるマキナは将来有望だな、とそんなことを考える。
ゲドゥンドラの修道騎士達はまだ現れていない。
そして、それ以外の者だが……。
ドンッ! と木樽ジョッキが乱暴に叩きつけられた。卓上、幸助の目の前だ。
「どうぞ、ナノランスロット卿」
「……ありがとう、シロ」
「あぁ、でもナノランスロット卿は今両手が塞がっていてとてもお忙しいみたいだから、エークルなんて飲めないですね?」
左腕にはクウィンが、右腕にはイヴが絡みついてる。膝の上では『黒白』保有者であるライムが食事を楽しんでいた。
さっきまで卓にいたシオンは用が済むとすぐ店を出ていった為、現在円卓には女性ばかりが座っていることになる。
幸助以外は、だが。
「シロぽんはおこりんぼさんだねー」
『神速の英雄』フィオが明るく笑いながら言う。
「あの、ランナーズさん?」
「フィオはフィオって呼んでほしーな。シロぽんもシロぽんって呼ぶから」
「はぁ……、じゃあフィオさん。あのですね、よかったらクロの頭の上に載せてるそれ、退けてもらってもいいですか?」
そう。フィオは幸助の頭に胸を載せ、ぐでーんと体重を掛けていた。
「えー? でもみんなくっつきっこしてるしなぁ」
「えぇ、だから出来れば全員に離れてほしいんですけど」
表面上は笑顔を取り繕っているが、機嫌が悪いのは明白だった。
子供であるライムは別として――自分に怒りが向けられているなら、表層に浮かんだ感情を読み取れるライムは反応するだろう――自分の恋人に異性が群がるというのは、気分がよくないだろうことは幸助にも分かる。
「おにいさん、イヴ怖いです。さっきから、睨まれて……」
「シロは、けち」
「ケチじゃないです。ただ、これはあたしのなので、お客さんでも貸したりは出来ません。だから、離れて」
英雄を前に一歩も引かない彼女の姿勢に、幸助は己を恥じる。
クウィンはまだ顔馴染みだが、他の二人は他国の英雄だ。勇気も要っただろうに、幸助が情けないばかりに彼女に言わせてしまった。
「そう、だな。そういうことだから、悪いけど離れてくれるか。持ち主が怒ってる」
フィオは残念そうに、二人は渋々聞き入れてくれた。
ただ、側からは離れない。触れない程度の距離を保っただけ。
「すごいよリアっち。今の見た? どう見積もっても中級程度なのに、あの子英雄三人に文句付けて、しかもクロくんを自分のもの宣言っ! 強いなぁ」
「『黒の英雄』ともあろう者が尻に敷かれてヘラヘラ笑ってるなんて、民衆には見せられないわね」
「リアっち。混ざりたいならそう言えばいいのっ――わかったから首絞めないでよぉ!」
ミアとオーレリアも同じ卓に腰掛けている。
「罪作りな男ね。リガルのジジイと同じで、英雄を纏める器の宿命かしら」
クラウディアも同じ卓についている。
座面も彼女を反発するので重心をとるのが難しそうに思えるが、彼女にふらついている様子は無い。
「リガルとは違うよ。何人も妻をとろうなんて思わない」
「あら、どうして? 過去生での価値観だとしら、それは後生大事に抱えるようなものなのかもう一度考えてみたら?」
そう言われればそうなのかもしれないが、変えようとは思えなかった。
過去生の価値観を引き摺っているというより、幸助は憧れているのだ。
口に出しはしないが、幸助は父も母も妹も大事だ。あの家庭は、たとえば父に複数の妻がいては成立しなかっただろう。一人定めた女性を愛し、子を為し、健やかに育てる。
幸助は、途中で足を踏み外してしまったけれど。父も母も何も間違えてはいない。
間違っていないどころか正しくて、素晴らしい。
不肖の息子として、せめてその部分だけは両親の正しさを辿りたいのかもしれない。
そんなことをわざわざ口にしようとは思えなくて、幸助は頬を膨らませながら席を離れかけていたシロの腕をとり、引っ張る。
「わっ、なにすんのさっ」
先程のフィオのように、シロの豊満な胸が幸助の頭頂部に柔らかい感触を与える。
「いいんだよ。この看板娘兼案内人さまが持ち主ってことに、不満は無い」
「~~~~っ。急に恥ずかしいこと言わないで!」
トレイでぽんっと頭を叩かれる。
シロの顔は真っ赤に染まっていた。
「……お父さん、今いろんな人が機嫌を悪くしましたよ。急降下です。崖から落ちるが如しですね」
「あー……」
あちらを立てればこちらが立たず。
どうしたものかと考える幸助だったが、シロに先を越された。
幸助の頭を抱える。
「あたしのです」
クウィンが、ぷくりと片頬を膨らませる。初めてみる表情だ。
イヴは空ろな目でぼそぼそと囁き声にもならない声を出している。怖い。
「シロぽんもくっつきっこしたかったんだねぇ」
フィオはよくわかっていない様子だ。
オーレリアが舌打ちし、ミアが「修羅場? 修羅場来ちゃうの?」と目を輝かせている。
クラウディアは大人の余裕で微笑んでいた。