228◇ナンバーワン☆
オーレリアは生命の雫亭の前にいた。
深呼吸し、ここまで風で僅かに乱れた髪を手で整える。
こちらを冷めた目で見ているシオンは無視。
無視していたら、シオンが自分を置いて店内へ入っていってしまう。
「あ、待ちなさいよ!」
慌てて追い縋る。
店内にはまだ普通の客も残っていた。勘定を済ませる者達や、帰り支度を始めている者もいる。客達は気軽にクロと幾つか言葉を交わし、笑いながら店を後にする。
クロの周囲には、いつもまとわりついてるクウィンティと、給仕をしながら睨みを効かせるシロ、先日実妹だと知らされたトワイライツに、ギボルネの童女、ヘケロメタンの領主代理、ロエルビナフの議長代理に、ゲドゥンドラ所属の狐っ娘イヴ、クロを父親と呼ぶ新英雄、そして周囲に『薄紅』の粒子が舞っている下着姿の女。
って――。
「多過ぎでしょ……」
入り込む隙間が無い。
――隙間なんて、探してないケド!
「おっ、シオンとオーレリアも来たか。おつかれさん」
名前を呼ばれた。
最初の頃は――そもそもオーレリアが嫌味な態度をとったからだが――顔を合わせてもシオンだけにしか声を掛けなかったのだ。
「……おい、その程度で頬を緩めるな、気持ち悪ィ」
「うっさいシオン! 緩めてないし!」
「なぁこれ、そっちの知り合いか?」
クロの魔力感知が誰かを捉えたらしい。
確かに真っ直ぐこちらに向かう魔力反応。
「げっ」
「……あぁ、面倒くせぇ。よりにもよってアイツとはな」
「アンタに任せたわ」
「馬鹿言え。お前の担当だろ、アレは」
「知らないわよ! 勝手に付き纏ってくるだけだし!」
「お前の性根がひん曲がってた時から慕ってる唯一の人間だろ。大事にしてやったらどうだ」
「アンタ、他人事だと思って……」
そうこうしていうる内に、スイングドアが勢いよく開かれる。
「リアっち~!」
わざとらしく足を跳ねながら腕を広げこちらへ向かってくる。
「ふぐっ」
クモの巣状に展開した『糸』にぶつかり、その人物は絡め取られた。
「なんでっ!? ミアとの感動の再会なのに!?」
白いブラウスの上から、ノースリーブワンピースを着ている。どこか教育機関の制服のようにも見えるが、彼女は入界以来傭兵家業だ。
サイドテールに結われた白い長髪には、赤茶のメッシュが入っていた。ピアスも開けていれば、ヘアピンも付けている。
オーレリアを意識しているのが丸わかりで、見ているだけで恥ずかしい。
「あ、わかった。リアっち、照れてんだぁ? かーわいーなー」
十三、四の少女だ。まだ幼さの残る顔には不思議な愛嬌がある。
商業国家ファルド所属・『穿孔の英雄』ミア。
彼女はオーレリアと同じヴァルシリウス傭兵団に所属する傭兵で、英雄規格。彼女が入ったばかりの頃少しばかり面倒をみることになって以来、懐かれている。
どれだけ邪険に扱ってもものともしないという意味では、クロに似ていた。
オーレリアと違い、ミアは傭兵団のメンバー達からも客からも人気だった。
元気いっぱいで人の話を聞かないが、どこか憎めないところがある。
オーレリアは苦手なのだが。
「なんでアンタなのよ。他にマシなのいなかったの?」
「え~、ひっどいなぁ! ミアってば人気ナンバーワンの超一流☆傭兵なのにー!」
指を広げた右手を口の前に添えて、大袈裟に驚く仕草も可愛らしいが、同時に癪に障る。
「リアっちがストーカー女に悩まされてるっていうから仕事の予定全部みんなに代わってもらって駆けつけたのになぁ。褒めてくれてもいいと思うんだけどなぁ?」
ストーカー女とは『恭敬の英雄』フェイスのことだろう。同世界出身の彼女はオーレリアを慕い、仲間に引き込まんとしていた。
それを拒否し、殺したのはオーレリアだ。
「……ストーカーっていうなら、アンタもでしょ」
「あははっ。リアちゃんの冗談って相変わらずウケんね」
こっちがどれだけ冷たく接しても、これだ。
「あ、シオンくんもお久だね」
「そうでもねぇだろう」
「かな? かも? ってゆーかリアっち。この糸、そろそろ消してよ~。ハグ出来ないし」
「リアっちって呼び方はやめろって何度も言ったし、ハグなんてするつもりないし、そもそもアタシはアンタが嫌いだし!」
「ミアの世界ではリアっちみたいな子はツンデレっていうんだぁ。大丈夫、理解あるから!」
「アンタはなんも、わかってないっつの!」
嫌味の通じない相手程面倒なものはない。
「仲、いいみたいだな」
クロが立ち上がって近くまで来ていた。
「……そんなんじゃない。コイツがつけあがるから、変なこと言わないで」
「な――」
愕然とした表情で口をあんぐり開けたのは――ミア。
愛嬌のある顔を、驚愕と嫌悪に歪める。
「な、な、な、なにそれ! リアっちどういうこと!? なんでそいつと普通に話してるの!? リアっち言ってたじゃん! 『正義の味方面する馬鹿も、馬鹿を持ち上げて利用するクズも皆嫌い』って、言ってたじゃん! この戦争に参加するのはビジネスなんでしょ!? 頼れるのも信じられるのも自分の力だけなんでしょ!? なのになんで、そいつに話しかけられたくらいで嬉しそうな顔をしてるの? そんなのリアっちらしく無いし!」
ミアは強さの信奉者だ。噂に聞く『斫断の英雄』とは違い、戦闘狂ではない。
自立とでも言えばいいか。人と関わることこそすれ、人に頼ることは無い。誰かに縋らなければ自分の望む結果に手を伸ばせないような弱さを、ミアは呪っている。
彼女がやっているのは、利用だ。愛嬌と実力によって築いた人脈を駆使して、望みを叶える。
でも、それは彼女が真に望む強さに届いていない。
ミアはそれを自覚していて、だからオーレリアに強く憧れた。
過去生に絶望していた少女は、誰も信じずに己の力だけを頼りにして生きていたから。
愛想笑いもご機嫌取りも不要。
実力だけで仕事が舞い込み、実力だけで副兵長に上り詰めた。
だからミアにとってオーレリアは、己の目指す理想そのものなのだ。
そのオーレリアが男に靡く姿など――靡いてなどいないのだが! ――見たくはないのだろう。
「……嬉しそうな顔なんて、してない」
「あー、本人はこう言ってるが?」
「黒い髪に冴えない顔の英雄規格……きみがナノランスロット卿?」
「それ、君なりの解釈なのか? それともそのまま報告書とかに書かれてる?」
気を悪くした様子もなく、クロは口許に笑みを浮かべている。
「リアっちに何したわけ?」
「……おい、ミア」
「シオンくんは黙ってて」
シオンは一瞬オーレリアを睨んだ。世話係と同じで、こちらもクロに噛み付いているぞ、と。
バキバキバキと床板が剥がれ、オーレリアの糸を巻き取っていく。
これで彼女が通るスペースが空いた。
そしてミアは下がる。
『土』属性魔法で槍を作ると、右手で柄の後ろ側を持ち、左手を穂先の手前の位置に添えて構えた。
「リアっちに何したの、ナノランスロット卿」
「何もしてない……よな?」
不安そうにこちらを見ないでほしい。
ふいっとオーレリアが視線を漏らしたことで、リアから殺気が迸る。
後ろの席の方からも、なにやら圧力が増した気がした。
「有り得ないし! リアっちの一番嫌いなタイプなのに!」
それはもう、まったくその通りだ。だが彼女の持つ情報は少し古い。
「……まぁ、いいか。床、後で直してくれよ」
「こんだけ英雄がいるんだから、即死さえさせなければ問題無し、だよね」
オーレリアはミアを止めようとしたが、クロに手で制される。
「新しい仲間の力を見る、良い機会だ」
……そういえば、こっちはこっちで、こういう奴だったかとオーレリアは思い出す。
かつてクロは、模擬戦を通して連合英雄の力を手に入れたのだ。
どちらにしろミアは人の話を聞かないので、こうなっては一度黙らせる他無かった。
それが自分かクロかの違い。そう思うことにして、距離をとる。
模擬戦とさえ言えないだろう。
勝負は一瞬でついた。