227◇舌先で温もりを
幸助の手とクラウディアの手。
それぞれ『黒』と『薄紅』を纏った手。
クウィンの時のように、幸助の手が弾かれるということは無かった。
だが触れることもない。
『併呑』した先から『反発』の粒子が生成され続けるからだ。
魔力自体は世界から引き出される為、このままではキリがない。
だが生成が無限でも、生成スピードには限界がある。
魔法は脳で組むもの。そして幸助は思考力に関する補正が他の者より強く掛かっている。
「……ん、」
結果。
『黒』の手袋越しに、彼女の手を握ることに成功する。
そうしている間にも、絶えず『薄紅』を『併呑』していた。
グレイの弟子でありリガルの娘でもある魔術師見習い・マキナも言っていたように、黒は自由な形をとることが出来る。固くも柔らかくも。当然、厚くも薄くも。
更に言えば、伝熱性も自在。
だから今、彼女は『黒』越しではあるものの、幸助の体温を確かに感じている筈だった。
「…………ふふっ」
クラウディアが、溢れるように笑う。
「あぁ……もう。ダメね……六年の孤独は、人をここまで脆くする。手を……手を握っただけで。他人が温かいって、それだけで、涙が出るなんて。アイツに見られたら、きっと笑われるわ」
「エルフィは、笑わないよ。苦しんでた患者が泣いても、あいつは笑わない」
「えぇ、最初はね。でも、あとになってからかわれるんだわ」
「……それは、有り得るな」
辛い出来事が、後になって笑い話に変わることはある。笑い話に変えられることはある。
エルフィはそのタイミングがくれば、迷わずいじるだろう。
どうやら同時にその姿が思い浮かんだらしい、クラウディアと幸助は同時に笑う。
「そろそろ離してくれる? わたしが、この温もりに溺れる前に」
抗いがたい誘惑を断ち切るように、クラウディアが幸助の手を振りほどいた。
彼女の手の周囲に、すかさず『薄紅』の粒子がまとわりつく。
「溺れる必要は、ないかもしれない」
訝しげに目を眇めたクラウディアだが、すぐに幸助の言わんとしていることを理解したらしい。
首を横に振る。拒否の意思表示。
「……よして。義理が無いでしょう」
予想がついたのか、クウィンもぴくりと肩を揺らす。
「クラウディアは、エルフィを助けようとしてくれてるだろ」
裏切り者に対する風当たりは強い。
戻ってきたクウィンも、連合や軍部の人間からは白い目で見られている。
それは仕方のないことだ。いかなる理由があろうと、護るべき国に敵対したのだから。
正直、エルフィとルキウスを『可能ならば引き戻したい』と考える者はとても少ない。
彼女がその一人という事実は、幸助にとってとても助けになる。
「えぇ、でもそれはわたしの都合」
「充分だよ」
「クロ。あなたはとても善人なのだと思う。いいえ、違うわね。思い遣りがある。けれどね、救済を安売りするものではないわ。それはとても特別なものなの。人の心や人生を、変える程にね。わたしの人生を、変える覚悟がある?」
クラウディアの言っていることも分かる。
分かる、が。
「あぁ、だからクラウディアが決めればいい。差し迫った命の危機じゃあないんだ。俺だって本人の意志を尊重するよ」
彼女は美宇を歪め、それから自分の身体を見下ろした。
「わたしの覚悟を問うわけね……ふふ、なるほど。変わりたいなら、救けてくださいとあなたに縋ればいいというわけ」
エルフィにも治せなかったなら、彼女の『接触不能』を維持している原因は脳に無いということになる。
幸助の『精神汚染』もそうだった。
脳に干渉しているのに、『神癒の英雄』を以ってしても治せない。
まるで呪いだ。
本当にそうだとしたら?
神化の防遏は、ある意味で呪いと同種の現象なのだとしたら?
魂が侵されているのだとしたら?
幸助は、それに干渉することが出来る。
「縋りつかなくても、口で言うだけで救けるよ」
おどけるように笑う幸助を見て、クラウディアは真意を計るように目を細めた。
「わかってるの? 確実に呪われるわよ?」
報告書にはクウィンが呪われていたこと、幸助がそれを解いたことは書いた。
クウィンの裏切りの理由をまず明確にしなければ、彼女を再び迎え入れるよう協力を仰ぐのも難しかったからだ。
だが、幸助が呪われている事実は伏せた。
分かったのは、同じ色彩属性保持者だからだろう。
神がそれをすると、分かっている者だからだろう。
「クロ……?」
クウィンがぎゅっと幸助の腕に入れる力を強める。
彼女は自分の所為で幸助が呪われたのだと強く心を痛めていた。クラウディアを救うためとは言え、幸助が更に呪われる可能性を看過出来ないのだろう。
「大丈夫だよ。神にも都合がある。これ以上酷くはならないさ」
一年の刻限と、悪神を討滅せよという目標設定。
呪いの形をとっているが、これは神の望みだ。
ここで幸助がクラウディアの『接触不能』を治したところで、自身の望みを託した幸助に不利な呪いは発現しないだろう。
「これ以上ってことは、あなたは自分の魂には干渉出来ないのね。まぁ、出来たところで意味ないのかもしれないけれど」
仮に魂に干渉して自分の呪いを消せても、それを罪と判じた神に再度呪われれば意味が無い。
「俺のことはいいよ。それより、クラウディアの答えを聞かせてくれ」
彼女が言葉を発するまで、しばらく掛かった。
「あなたは、わたしを救けてくれるというのね? わたしと世界に、もう一度接点を作ってくれるというのね?」
「あぁ、望むなら」
「そう、なら言うわ。わたしは救いを望まない」
「それ、は」
「今はね」
「? ……っ。なるほど、それもそうか」
考えてみればそうだ。
先程幸助が言ったように、『接触不能』は命を危険に陥れるようなものではない。
感情面を除けば、急ぐ理由が無いのだ。
そして彼女の感情は、エルフィを救うことを望んでいる。
半ば呪いに近いとはいえ、ある意味で『反発』の鎧を魔力消費と思考領域の使用無しで常時展開出来る祝福でもある。
こと戦いに限れば、極めて有用。
「だからね、クロ。お願いよ。あのヤブ医者を取り戻した後で、きっとわたしを救けてね」
やっぱり、渋々英雄になったというのは嘘だ。
どこまでも、誰かを救うことが先。自分をおいて、人のことを考えられる精神性。
彼女は真性の英雄だ。
「それはそれとして、さっきくれた温もりのお礼をしなければいけないわね?」
「え?」
彼女の行動は迅速だった。
『接触不能』は、食事が可能なことからも体内には作用していない。
だが彼女はこちらの声が聞こえているし、呼吸もしている。
音や酸素を『反発』しないのではなく、限られた幾つかの入り口は開放されていると考えるべきか。
そうなると必然、口腔内も自由ということになる。
その内、口の中から外へ出られるものが一つだけある。
舌だ。
だから彼女は『接触不能』の中でも、舐めるという形でだけ世界に触れることが出来る。
「今は、これで我慢しなさい」
ぺろりと。
彼女は一瞬で幸助に顔を寄せ、その唇を舐めていった。
不思議と、彼女からは匂いがしなかった。彼女から発せられるそれを、『反発』が留めているのだろうか。
「どう? あったかいでしょう?」
「……!」
クウィンが目を見開く。
「主!?」
トウマが立ち上がる。
ガッシャーン、と何かが落ちる音。
幸助達の邪魔をしないように仕事していたエコナが、載っていたものごとトレイを落としたようだ。
ショックを受けた顔をしている。
そして、その近くには――シロもいた。
「……参考までに訊きたいんだけど、さ。きみ、あと何人口説き落とす気なわけ?」
「俺の所為なのか……!?」
「あら、お嬢さんクロの恋人? 安心して、ダルトラは一夫多妻制よ」
「そういう問題ではないです」
「そうなの? それって、男の側が決めることではなくて? だってほら、クウィンティのことも振り払っていないし、満更でもない様子だけど?」
「クウィンさんは言っても言っても聞かないだけでっ」
「わたしも、聞かないかも」
「…………クロ。きみの出番だよ」
シロの凍てつく視線に貫かれ、幸助は慌ててクウィンに離れてもらうよう頼む。
……が。
「近くにいたい、だけ。それも、だめ……?」
以前よりも感情が顔になるようになった分、悲しげな彼女の表情は心にグサグサ刺さる。
「言ったでしょう。救うということは、心や人生を変えるということ。救われる覚悟を決めたものを救うなら、あなたは救われた者が自分に対して抱く感情に責任をとらなくてはいけない。受け入れるにしても、拒むにしてもね」
何も言い返せない幸助だった。