226◇擯斥さえ侵して
「納得……って」
「シンセンテンスドアーサー卿の報告書には目を通したわ。あの女が国を許せないって言ってた? そりゃそうね。わたしもリガルのジジイの件は腹に据えかねるもの。でも、それだけな筈が無いわ」
「俺も、ルキウスとエルフィがただ裏切ったとは思いたくないよ」
「そういうことじゃなくて。いえ、そういうことで合ってるか。そう、『ただ』裏切ったわけじゃないと思うのよ。だってそうでしょ? 仲間を想っての離反? じゃあどうして、あいつは昔馴染みの銘無しを誰も誘わなかったわけ?」
「――――っ」
失念していた。いや、違う。
彼女はトワを勧誘していたから、考えが及ばなかったのだ。
エルフィの英雄歴はダルトラではリガルに次ぐ長さだ。
幸助自身世話になったし、トワも大いに救われた。
それは他の仲間も同じ。だから、連合が負けることを前提に国を出るなら、他の仲間も勧誘しなければおかしい。
トワは誘ったのに、クラウディアは誘わなかった?
妙だ。
そうなると、トワを勧誘し、連れ去ろうとしたことそのものがパフォーマンスだった可能性が出て来る。
だとしたら。
エルフィは何をする為にアークスバオナ側に渡った?
「わたしは想像つくわよ? クウィンティ、あなたも想像出来るんじゃない?」
「……わたし、が?」
「あなたもあいつの患者だったでしょ? あなたは邪険にしていたけど、あいつの方はあなたのこと大好きだったわ。わからない? じゃあ、クロもいるし特別ヒントを出しましょうか」
彼女が指を立てた。
幸助の木樽ジョッキから中身の酒が巻き上がり、彼女の眼前で球体となる。そこから千切るようにして小さな球体が分かれると、彼女の口の中へと消える。
喉が渇いていたらしい。
そして、全てを『反発』してしまう彼女がいかに飮食をこなすかを目の当たりにする。
全てを弾くとは言っても、自分にまとわりつく『反発』は自分の魔法式を通った魔力だ。
そして、『反発』は体内には作用していない。
自分の魔法だけは、弾かれないのだろう。あるいはそれは自殺を許す抜け道なのかもしれないが、同時に魔法によって飲食物を口へ運べば、飲み食い出来るということでもある。
喉を充分に潤してから、彼女はヒントとやらを告げた。
「第二世代人造英雄創造計画の主導者が、クウィンティを創ったのと同じ人間だったら?」
「――――」
幸助とクウィンの驚愕が重なる。
「いや、待て。それなら調べた。そいつは獄中で自殺した筈だろ」
「わたし、エルフィがそいつを尋問した時に居合わせてたけど、自殺するような人間じゃなかったわ。自分に都合の悪いことは全て他人の所為にして、都合のいいことは自分の功績にする。そんな人間が、自ら命を断つ? 考えられないわ」
エルフィの裏切りを知って以来、クラウディアは自分なりにその裏に秘められた理由は何かと考え続けたという。
その過程で研究者が獄中死していることになっていることを知り、閃いた。
「……じゃあ、エルフィはそいつを」
「死ぬより苦しい目に遭わせるつもりでしょうね。もう実行したかも」
「そんなこと、したら……」
一度旅団にいたことがあるからか、クウィンはエルフィの身に起こるだろうこと想像がついたらしい。
「ただじゃ済まない? でも、殺されるってことはないと思うのよね」
「エルフィがその研究者を殺してないなら、『神癒』で元に戻せるかもしれない。だからアークスバオナとしては捕らえて従わせようとする」
「あら、よく出来ました」
つまり。
「クラウディアはエルフィを助ける為に英雄に戻るんだな」
一度は退いたというのに、友人が囚われているかもしれないというだけで再び戦うことを決意した。
「……………………よして。そういう『実は良い人なんだな』みたい目、昔から嫌いなの」
「実はも何も、最初から悪人だなんて思ってない」
「…………あなた、苦手だわ」
「でも、協力はしてくれるんだろ?」
クラウディアはわざと睨むような視線で幸助を射抜く。
「わたしはただ、患者を途中で投げ出すヤブ医者に文句を言いに行くだけ」
言ってから、クラウディアは「しまった」という顔をした。
「あなたの所為で、余計なことを言ったわ。忘れて」
「患者?」
「忘れてって言ったわよ?」
「記憶力がよくて」
じろり、と今度は鬱陶しげに睨まれる。
「……多分、それを、治そうとした」
クウィンが指差したのは、クラウディア自身。
つまり――。
「色彩属性の代償を、治療しようとしたのか?」
「エルフィは……医者だから。わたしの呪いも、最初は治そうとしてた」
バレた後でまで黙っているのも馬鹿らしいと思ったのか、ため息一つの後に、クラウディアが話に加わる。
「あなたのことを諦めたわけじゃないわ。彼女の領分でなかったというだけ。その点、わたしはまだどうにかなると思ったんでしょうね」
「魔法式は、脳で組み上げるものだから」
「えぇ、強制発動をどうにか止められると思ったみたい。いつか治すと豪語してたわ。そういえば……いえ、なんでもない。普段人と喋らないから、どうにも余計なことを言ってしまうわね」
彼女の言いかけていたことを、幸助は考えてみる。
エルフィが『接触不能』の治療を約束したという話の後に、何かを思い出したという反応だった。
おそらく、エルフィが言っていた何かなのだろう。
『接触不能』。治す。エルフィ。そういえば。
そして、これまでの彼女の発言から分かった為人。
「試してみるか?」
「……いきなり、なぁに?」
幸助は右手を彼女に差し出す。
その手は『黒』に染まっていた。
「エルフィは言ったんだろう? それが魔法なら、『黒』で併呑出来るんじゃないか。『併呑』しつ続けることで、治療は無理でも触るくらいなら出来るんじゃないかって」
誰にも触れない。何にも触れない。触ってもらえない。
彼女が薄着なのは、全てが弾かれて煩わしいからだろう。不快感を最小限に抑えようとしているのだ。
六年間、彼女は何にも触れられない生活を送ってきた。
「……ほんとう、あなたのことが苦手だわ」
興味深そうに幸助の顔を見つめながら、クラウディアは微笑む。
「『黒の英雄』様は自信家ね。自分の手なら、どんな女でも握りたい筈だと思っているのかしら」
からかいの言葉にも、幸助は手を戻さない。
「折角来たんだ。ものは試しでどうだ?」
彼女は戸惑うような表情でしばらく黙っていた。希望と、絶望するかもしれない可能性がせめぎあっている。期待し、それが外れるのは誰だって嫌なものだ。英雄も例外ではない。
それでも、彼女は期待する方を選んだ。
「失敗しても、あいつへの文句が増えるだけだしね」
こちらに伸ばした手は、僅かに震えていた。