224◇魂に巻き付く鎖
夜から貸し切りということで、酒場にはまだ客がちらほらといた。
「ほほう、此処が主の思ひ人であるシロ様が働かれているという酒場ですか。我が国のそれとは、やはり違いますね」
「ヘケロメタンだと、居酒屋みたいな感じか?」
「主の言う居酒屋と同じかは判断がつきかねますが、えぇ、居酒を嗜むという食事処です」
馴染みの客がクウィンとトウマを見て冷やかしの言葉を投げかけてくる。
幸助が来店時毎度誰かしら女性を伴っているので、そういったやり取りに毎度のことになっていた。
寡黙な亭主と目が合う。彼はシロの親代わりでもあった。なんとなく気まずい。
軽く会釈。
クウィンがクイッとテーブル席の方へ幸助を引っ張っていく。
そして、いつもこのあたりで機嫌を悪くしたシロがやってきて、クウィンに文句を言う。クウィンは気にしないので、暖簾に腕押し。
だが今日は、それより前に異変が起きた。
酒場入り口の木製スイングドアが開く。
少し前から気づいてはいたが、改めて確認すると、やはりおかしい。
英雄規格相当の見知らぬ魔力反応。
そこまではいいとしよう。
だが、反応からするに、少なくとも幸助の魔力感知圏内に入ってから此処に来るまでの間、絶えず魔法を展開している。
入ってきた人物を見て、酒場の客がぎょっとする。
長身の女性だ。濡れ羽色の長髪は後ろだけでなく前も長く、寝癖が残っている。
退屈そうな瞳も同色。細身だが、肌の色は健康的。胸部は身につけている布から溢れんばかりに豊満。
そう、今にも溢れそうだと、見た者の誰もが思う恰好をしている。
冷たい雰囲気のある美女は、まるで寝起きに寝室から出てきたかのような――ネグリジェ姿だった。
シースルーというのだったか、透け感のある生地の所為で、色々と見えている。
一番特異なのは、彼女の魔法の『色』だ。
薄紅色の粒子が、彼女の周囲に舞っている。
部屋履きと思われるスリッパをペタペタ鳴らしながら、幸助の前まで来た。
ふぁ、と小さく欠伸。
「あなたが『クロ』ね」
逢う約束などしていないが、幸助はすぐに相手が誰だか分かった。
「あなたは……クラウディアさんですね」
「よしてよ。今をときめく『黒の英雄』様が、田舎の引きこもりに畏まる必要なんてないわ」
クラウディア・フラウ=ラングパルツィファル。
ダルトラの英雄規格だ。銘無しだが、彼女の場合は経緯が他と異なる。
英雄の役目を辞退し、表舞台に出ない代わりに国の仕事を請け負うのが銘無しと呼ばれる英雄だ。
しかしクラウディアはかつて一度、英雄だったことがある。
六年前まで、彼女はこう呼ばれていた。
『擯斥の英雄』と。
幸助とグレイ、『神速の英雄』フィオなどの協同で創られた魔法具によって、『蒼』の能力を再現し、悪領を封じるという計画は実行に移された。
それによって、各国各地の超難度迷宮が一時的に封印され、その攻略にかかりきりだった銘無しの英雄の手が空いた。
元々が英雄を辞退した者達だ、協力を拒む者もいたそうだが、それでもこれまでよりも多くの英雄が戦いに参加出来るようになったのだ。
これによってアークスバオナとの英雄総数の差を大きく縮めることが叶う。
クラウディアは、参加を承諾した側の銘無し。
「それじゃあ、クラウディア。逢えて嬉しいよ」
「へぇ、わたしは正直、あまり嬉しくないけどね」
……それもそうだろう。望んで戦いから離れたのに、また召集されたのだ。
関心の薄い瞳が幸助を眺める。視線が横にずれる。
幸助の腕に自身の両腕を絡めていたクウィンを見て、彼女は無理にそうするように、微苦笑した。
「……セレスティス、だったわね。見ない内に、随分と乙女らしくなっちゃって」
ビクリ、とクウィンの身体が跳ね上がる。
よく見れば、彼女の身体は微かに震えていた。
視線は下を向き、顔を青くして息を殺している。
「……知り合いか?」
セレスティスというのは、クウィンのミドルネームだ。だが、その呼ばれ方をクウィンが喜んでいるようには見えなかった。
「難しい質問ね」彼女は不明瞭な答えを返し、しばらく後に続けた。「セラ、レイ、ストーン、テレサ、イクサ、ステラなら、知り合いだけれど」
名前の一つ一つを聞く度に、クウィンはまるで罪を糾弾されるように苦しげに表情を歪める。
「あなたに逢ったら二つ言いたいことがあったのよね。一つ目は、どうして彼らの名前を自分に刻んだのか」
――――。
クラウディアが英雄を辞したのは六年前。
六年前と言えば、悪領から多くの魔物が地上に這い出るという事件が起き、それによって六人の英雄が命を落とし、その六人の魂をもとに――クウィンが生み出された年だ。
「死者への敬意? いえ違うわね。自分の中身だと、刻む為?」
「ご、ごめんっ……なさい」
クウィンの怯えようを理解する。
クラウディアは六年前の生き残りなのだ。
クウィンは、彼女の戦友の魂を使って創られた。
クウィンの命に罪は無いが、同様に罪なき六つの魂は、どうしようもなく損なわれてしまったのだ。
だからクウィンは、謝っている。
自分が生まれる為に、貴方の仲間六人が輪廻から外れてしまった。ごめんなさい。
『非業の死、確定』のように実行力は無いが、これも立派な呪いだ。
幸助を復讐に駆り立てたのと同じ。人生を歪める――後悔という呪い。
幸助は立ち上がり、クラウディアとクウィンの間へ割って入る。彼女の視線を遮るように。
「何か言いたいことがあるの?」
「いいや、無い」
「…………へぇ」
彼女の瞳に、僅かだが興味の色が交じる。
警戒心を露わにするトウマを手で制するところまで見届けて、彼女は小さく顎を引いた。
「エルフィの言っていた通りね」
エルフィはダルトラの英雄では古株だ。交流があってもおかしくはない。
「エルフィが? 何を」
「秘密。でも、あなたが優しいのは分かったわ。怯えるセレスティスだけじゃあなくて、仲間を失った哀れな女も気遣ってくれたのよね? まだ若いから、安易な正義感でわたしを睨みつけるくらい、してくると思ったのに」
「クウィンティだ」
「ん?」
少し瞼を上げたクラウディアだったが、すぐに納得したように微笑した。
「あぁ、そうね。そうだった。クウィンティ、早とちりしないで。あなたに言いたいことは、まだ残っている。恨み言なんかじゃあないから、震えないで頂戴。いじめているみたいで、なんだか居心地が悪いわ」
それからクラウディアが再び幸助を見る。
悪意が無いことを確認して、幸助は退いた。
彼女がクウィンの側に屈み込む。
「セラは意地の悪い女で、レイはお人好し、ストーンは頭が固くて、テレサは世話焼き、イクサは馬鹿で、ステラは無駄に明るかったわ。そして、全員、冗談みたいに英雄だった。だから、よく聞きなさい、クウィンティ」
クウィンは、どうにかといった具合に顔を上げる。
「あいつらは、自分達の魂ぐらい無くしたところで、怒りはしないわ」
「…………え」
「だから、あなたも気にするのはやめなさい。あいつらの魂を少しでも有効に活用してやって頂戴。折角生まれたのだから、自分が幸せになることだけ考えればいいのよ」
それだけ言うと、彼女は眠気を覚ますように背伸びする。
「ふぁ。それじゃあクロ、本題だけど」
「ま、待ってっ!」
クウィンが立ち上がり、彼女に手を伸ばす。
だがその手が届くことは無かった。
「やめておきなさい」
彼女の忠告は、だが遅かった。
クラウディアの腕に伸ばした少女の手は、寸前で薄紅の粒子に触れると、弾かれた。
彼女の防衛反応ではないことは、本人の反応から明らかだった。
「ごめんなさいね。でも、誰もわたしには触れられないの」
そう言って、元英雄は自嘲するように唇を歪めた。
よく見れば、身につけているものも彼女の肌に直接触れてはいない。
ほんの僅かに浮いて――いや、弾かれているのか。
『薄紅』の粒子は、彼女の意志と関係なく、何者も彼女と接触させぬようにと絶えず彼女の周囲を漂っていた。
「あなた達も気をつけなさい。これが末路よ。自分には誰かを助けられるのだと驕った、色彩属性保持者のね」




