222◇聖女の落ちる音
英雄国家ダルトラは、転生者を厚遇する。案内人がつき、常識を教え、金も無利子で貸してくれる。
商業国家ファルドは違う。
案内人に類する存在はいるが、有料だ。
転生して右も左も分からない内から、どんどん借金が嵩み、更に高利子。
状況を理解した後は、ひたすらに働くしかない。
都合の悪いことに、ファルドの国土は飛び石的に存在する。
安全な通商路の中継地として点在する都市の周囲は、『安全』というだけあって悪領が無い。
つまり、ファルドの転生者は魔物の討伐で一攫千金! というのも困難なのだ。
それをするには統合組合に所属し、任務の受注という形をとる必要がある。
遠征になるから準備に金が掛かるし、行き帰りに金が掛かる。
そして、任務の達成で発生した成果の数割は、組合に持っていかれる。
転生者のスペックならなんとかやっていける、そんな絶妙な加減の搾取。
大抵の者は諦めて、何十年も利子の返済を義務と受け入れる。
だが、自由を求める者もいる。
借金を返せば、それは叶う。
オーレリアとシオンはそれを望み、交換条件として連合に派遣された。
旅団迎撃戦にて、過去生での自分を知る元聖女『恭敬の英雄』フェイスと戦い、勝利した。
かつての自分を崇拝していた信者を、主張の違いによる争いの果てに殺めたのだ。
魔物の討伐や、野盗の撃退とはわけが違う。
精神への影響は自分で考えているよりも大きく、オーレリアの心は疲弊していた。
帰還後、そんなオーレリアを待っていた言葉は「ご苦労」と「君が無事でなによりだ」という二つのセリフだけ。
報告を終えたオーレリアの目も見ずに、感情の込められていない労いだけ。
あくまで契約で繋がっているだけの相手なのだ。仕方がない。
だが、これでは何が違うのだろう。
真実を知らされず、聖女として利用された過去と。
道具扱いされていることを自覚しながら、利用される今と。
……変わらない。
そんな時に、クロとばったり出くわした。
オーレリアは思わず表情が歪むのを堪えられなかった。
だって、彼は自分とは違う。
クウィンティが裏切った。でも諦めず手を差し伸べ、救って取り戻した。
同国所属の英雄が二人も裏切り、更に連合から一人の裏切り者と死者が出た。
銘を与えられた英雄がごっそりと消えた中、彼に課せられる重圧は計り知れない。
フィオレンツァーリとプラタナスカイも『蒼』にやられて動けなくなった。
なのに彼は、その時も笑っていた。
周囲を元気づけるような、そんな笑みだ。
「おつかれさま、オーレリア」
「……えぇ」
「後でみんなに話があるから、時間を明けておいてくれ」
その後、彼は逆転についての策を発表し、『蒼』を呪縛を解くなどするのだが、その時は知る由もなく。
「余裕そうね」
つい、悪態が漏れてしまった。
模擬戦で敗北した際に、協調することを受け入れたのに。
いや、知りたかったのだ。
どうすれば、自分よりなお苦しい心境で、笑ったまま全力を尽くせるのか。
意外にも、それはすぐに判明する。
「英雄にそう見えてるなら、よかった」
くしゃりと。
その笑顔が、笑っているのに、潰れているように見えた。
あぁ、そうかと唐突に理解する。
英雄は象徴だ。
そんな英雄が、苦しそうに俯いているのを周囲が見たらどう思う。
途端に不安が伝播し、士気は落ちるだろう。
オーレリアが言ったように、彼は余裕そうなのであって、余裕なわけではないのだ。
自分の心の内よりも、自分の表面的な姿勢が周囲に与える影響を優先しているというだけ。
でも、じゃあ、どうするのだ。
自分の感情を表現しないでどうする。思っていることを口にしないでどうする。
胸の内から湧いてくる苦しみを、どう処理するというのだ。
「アンタ、言ったわよね。アタシが自分の為に動くなら、それは誰かの為になるって」
「……あぁ、言ったな」
「本当にそうかしら? アタシは、自分が自由になる為に、邪魔なヤツを殺しただけ。ねぇ、これ、誰かの為になってる?」
クロは、すぐには答えなかった。
それでも、やがて口を開く。
「なってるよ」
「どういう風に?」
瑕疵虫や魔物を討伐するのとは違う。
自分の幸福の為に、他者を殺める精神的苦痛。
結局自分は正義に酔っていた頃の感覚を引きずっている。
無意識に人は護るべきものだと考えているから、それに反する行いに嫌悪感が拭えない。
「逆だったら、って考えるんだ」
「逆?」
「グラスで報告書受け取ったよ。過去生の知り合いで、過去生に出てきた化物の姿をしてたんだろ?」
「……それがなんだって言うのよ」
フェイスはどのような攻撃の前にも死ななかった。
己の身体を瑕疵虫のそれに組み換えていたのだ。
だから、殺す方法は一つだけ。核を破壊する。
「あの戦いでオーレリアが負けてたら、倒し方の分からない化物が他の仲間を襲ってた。死者が出てたかも」
「…………アタシが、勝ったから。勝ったから、他のやつらに危険が及ばなかった?」
「少なくとも、仲間の為にはなってるよ」
それは、そうなのかもしれない。
だが、どうにもスッキリしなかった。
「それで納得出来ないなら、きっとオーレリアは正しいかどうかを知りたいわけじゃないんだろうな」
「どういうことよ」
彼は一瞬躊躇うような仕草を見せたあと、口を開いた。
「自分は相手の命を奪ってまで生きる価値があるのか、分からないんじゃないのか」
「――――」
そうか。
そうだ。その通りだ。フェイスが正しかったとは思わない。自分が間違っていたとも思わない。
それでも苦しくて堪らないのは、そもそも善悪の問題ではなかったのだ。
自分が求める幸福とやらは、他人の死を経てまで迎える価値があるのか。
あぁ、それを疑問に思ってしまったのだろう。
気持ちを新たに異世界での人生をスタートしたのに、その目的を疑問視してしまったが故に、根幹がぐらついて気持ち悪かったのだ。
でも、分かったところでどうしようもない。
だって、答えが分からない。
「俺はお前じゃないから、価値があるとかないとか、決められないけど。それでも言えることがあるよ」
彼の顔を見る。
言葉を待つ。
くしゃりと。
先程とは違う。
潰れるようなものではなく、思わず漏れたといった具合に、彼は笑った。
「何があったんだとしても、お前が生きててよかったと、本当にそう思うんだ」
それが、本当に嬉しそうで。
周囲の誰かの為ではなく、彼が彼の思うままにした表情だと分かって。
オーレリアが特別ということではなく、他の生きていた仲間全員に向けられる感情だと理解出来ていながら。
貫かれてしまったのだ。
どこかが、なにかに。
落ちてしまったのだ。
果ての見えない、どこかへ。
いつもお読み下さりありがとうございます、御鷹です。
戦いが始まる前に描写しておきたいことがまだまだあるので、
しばらくお付き合いくだされば幸いです。
毎日更新&複数更新で、なんとか一気に進められればなと思います。
ではでは、また次話でお逢い出来ましたら。




