221◇大聖女様の懊悩
『統御の英雄』オーレリアは大いに悩んでいた。
過去生では瑕疵虫という巨大な化物と日夜戦い、大聖女と呼ばれた程の実力者。
アークレアにきてからは商業国家一の実績を誇るヴァルシリウス傭兵団にて副兵長を務める英雄規格の魔法使い。
その卓越した魔力操作技術は『黒の英雄』にさえ再現不能なレベルで完成し、彼女の創り出す極細の糸は細胞の隙間にさえ通すことが出来ると言われる。
威圧的な態度、攻撃的なまでに扇情的な恰好、圧倒的な力。
『統御の英雄』の周囲には常に近づきがたい雰囲気が漂い、周囲の者を緊張させる。
それが商業国家ファルドにいた頃の、オーレリアに対する評価だった。
そんな英雄が、うんうんと悩んでいる。
王城の客室。
姿見の前。
一人、髪型をいじりながら。
前髪を留める二本のヘアピンを外したり付け直したり、ツーサイドアップにした髪の結び目が気に入らなくて結び直したり、ピアスをどうしようとか、いつもと違う服を着てみようとか、普段なら悩まないようなことを悩んでいる。
先程オーレリアは、クロの魔力反応を感知した。
生命の雫亭にいるらしい。今日の夜は、以前もやったようにあそこで集まると聞いた。
今は夕方。時間的に少し早いが、あの少年は既にいる。
爪はどうしよう。今更かもしれないが、臍のピアスや左脇腹の刺青はどう思われているだろう。
それらが隠れるような服を着た方がいいだろうか。
いや、急に他人の視線を気にしたような服を着たら、逆に注意を引いてしまうかもしれない。
とはいえ、何も言われないよりは注意を引いた方がまだいいのか。
いやいやいや、そもそも自分はあんなやつのことなど――。
「オイ、どれだけ待たせるつもりだ」
扉から、ではない。
開けていた窓の枠に、銀髪赤眼の美少年が座っていた。
『血盟の英雄』シオンだ。
「ちょっとっ! シオン! 女の部屋に窓から侵入しないで! それとも吸血鬼的には普通のことなわけ? だとしてもアタシ、人間だから。人間のルールに則って、アンタを不法侵入の罪で引き裂くわ」
「お前が酒場に行くからついて来いっつったんだろうが。クロノにはオレも用があんだよ。ちんたらしてんなら置いてくぞ」
「女は準備に時間が掛かるのよ。それが待てないとか大丈夫? 義妹達に嫌われてない?」
シオンは過去生で多くの孤児達と共に殺された。
共に転生した十数名の食い扶持を稼ぐ為に傭兵をやっている。
「時間掛けて準備するほどものが無いんでね、うちの奴らはパッと着てパッと出られんだ」
「甲斐性なしね」
「血が高ぇんだよ。オレだって……いや、んなことはいい。髪は下ろした方がいいんじゃねぇか。確かクロノの女はそうしてた。……給仕中は結んでるんだったか?」
ボッ、と顔が赤くなる。
「は、はぁ? 意味わからないんですけど? どうしてそこでアイツの名前が出てくるわけ? 脈絡が無いにも程があるでしょ。バッカじゃない?」
内心でも毒づく。
これで髪を下ろしたりしたら、意識していると言っているようなものではないか。
「お前、入界したばかりの時は、色白でまともそうな恰好してたらしいじゃねぇか。そっちの方が、多分アイツの好みには近いだろ。これを機に馬鹿丸出しの恰好はやめろ」
「アンタ失礼過ぎるでしょ! 好きでこうしてんの! 放っておけってのっ!」
ファルドでは、転生を入界と呼ぶ。
そして確かに、オーレリアは過去生と現在で見た目を大きく変えている。
みんなに慕われていた、正義の使徒である大聖女。
最後は忌み嫌う瑕疵虫になり果て、救けていた人間達に処理された。聖女の魔法の源は、そもそも瑕疵虫の核だったのだ。
そんな死から、オーレリアはかつての自分を徹底的に否定しなければ前に進めなかった。
何が聖女だ。何が正義だ。
そういった、過去への嫌悪が見た目に影響を及ぼした結果が、今のオーレリアだ。
シオンの言う馬鹿丸出しという言葉は、それを良いと思って着ているのではなく、あくまで過去の否定として昔の自分と縁遠いものを選択しているオーレリアの心に向けてのものだろう。
「…………で、ホントなわけ」
「あ? なにがだ」
「だ、だから! ……ホントに下ろした方が、アイツの好みなわけ?」
恥を忍んで尋ねてみたというのに、答えは冷たいものだった。
「いや、知らねぇな」
「~~~~ッ。こんのクソ吸血鬼! 心臓に銀の杭打ち込んでやるから!」
「そんなんで死ぬか」
「上等よ! むしろそんな簡単に死なれちゃ困るわ! アタシに恥掻かせた罪、一度や二度の死で償えると思わないことね!」
「キーキーうるせぇ。先行くぞ」
「ダメよ! アンタについていくって建前がなきゃ、時間より早く行けないじゃない」
「その理屈がまず理解出来ねぇ」
「だからアンタは女っ気がないのよ。まぁコブつきまくりってのもあるんだろうけど……ハッ、そういえばアンタ、アイツに血貰ってるのよね……? まさか、そっちの気があるんじゃ」
「血の味に性別は関係ねぇからな。まぁ、肥満体のドロドロした血よりは、健康体のがサラサラしてて喉越しはいい。好みの問題だが。吸血に性的な意味はねぇよ。人間側にそう思わせる効果はあるがな」
「は? じゃあ何? アンタに血吸われると興奮するわけ?」
「牙を立てりゃあな。アイツにはやってねぇぞ」
確かに、シオンは特殊な容器に血を入れたものを持ち歩いている。
彼の経済状況は逼迫しており、自分の分の血もろくに購入出来ずにいるのだった。
以前、血の不足で戦力外になってもらっては困ると金を渡そうとしたら、断られた。
施しは受けないとか、そんなクソ生意気な理由だと思ったのだが、違った。
仲間から金は借りない。
今にも倒れそうな顔色で、それでもシオンはそう言った。
だからかもしれない。
誰も彼も信用できない中で、シオンの話には渋々ながら耳を傾けることがあるのは。
それはそれとしてだ。
「アンタ、ちょっとアイツにグラスで連絡とりなさいよ。『どんな奴が好きなんだ?』とかさ」
「ふざけんな。誤解されんだろうが」
「いいじゃない。アイツお人好しだから、アンタが男を好きだろうと態度を変えたりしないわよ」
「そういう問題じゃねぇ……ったく、お前と話してる頭が痛くなってくる」
「あぁそう貧血じゃない? ……なるほど、このオーレリア様の血が欲しいってわけ? まったく気持ち悪い吸血鬼ね……いいわ、一滴あげる。だから――」
「じゃあな」
「ちょっとシオン!?」
飛び立とうとする彼の襟首を糸で引っ掛ける。
「お前……こんなくだらないことで『糸』を使うんじゃねぇよ」
言いつつ、シオンは窓際に座りなおす。
「最初はあんだけ毛嫌いしてたってのにな。人間どう変わるかわからねぇもんだ」
引っ掛けた際に首が圧迫されたのか、シオンがさすりながら呟く。
「う、うっさいわね」
確かに最初は嫌いだった。大を付けてもいい。
矛を交えて、かつての自分のように正義に酔っているわけではないとは分かった。
それでも好きとまではいかない。
では何があったのか。
あれは、旅団迎撃戦のすぐ後のこと――。




