218◇大罪人との契約
疑問だった。
幸助はエルマーの黒いゴーストシミターと、黒い剣の宝具を両方使って戦ったことがある。
どちらも『不壊』の性質を持った剣だ。
つまり宝具。
宝具は使用者次第だが、破格の効果を発揮する。なにせ、法則を無視出来るのだから。
必滅という概念を歪めて、不壊を成立させる程に強力な力。
では何故、そんな強力なものが、一人に一つなのか。
魔術師であるグレイや脅威的な知識量を誇る『編纂の英雄』プラナなどに相談したところ、こんな所見を述べられた。
宝具の重ねがけは、高確率で神に罪と判ぜられる。
だが、過去に宝具の授与を英雄が代行した時、その英雄が呪われたという記録は無い。
つまり、宝具の重ねがけは、神に『所有』と判断される期間か行動を以って罪となる。
そうなると、幸助が呪われていないのはおかしい。
しかしそもそも、エルマーとクロは共に『黒野幸助』だ。
もし世界がクロとエルマーを同一視しているなら、クロの呪われるタイミングは不壊の宝剣を使い出したあたりで無ければおかしい。
同一視していないにしても、やはりグレア戦などを経て呪われていないのはおかしい。
そこで仮説。
宝具は一人に一つ。
それを一人の人間が行使していい御業は一種きり、と解釈すればどうか。
つまり、どちらにしろ『黒野幸助』は『不壊』しか与えられていないから、呪われない。
その仮説を裏付ける為に、アリスを確認したかった。
能力の異なる複数の宝具を使用した、英雄殺しの魂は呪われているかどうか。
「関わった人間全員裏切って死刑を免れたのに、残念だな。でもお互い様か、向こうは先にお前を裏切ってた。最初から、捨て駒にするつもりだったんだから」
「あはは、道理で……」
アリスは乾いた笑い声を上げ、一瞬だけ唇を歪めた。
「今までで私に関心を示さなかったお父様が、どうして私をお使いになられたのか、ようやく理解出来ましたよー。期待していたのではなく、失っても構わないとのご判断でしたか、なるほどー」
実の父に駒として扱われたことは哀れだが、同情はしない。彼女は自分の意志でリガルを殺めたのだから。
「ですが、クロさん」
微細な反応はあったものの、それだけ。彼女は絶望することも怒りを露わにすることもなく、笑顔を取り戻した。
「貴方はご多忙の身。この程度のことを知らせる為だけにわざわざ足を運ぶような方ではないでしょう? もちろん、私と愛を語らいたいというのであれば喜んで応じますが、どうやら違うご様子ですしねー」
この程度のこと。
彼女にとっては家族や貴族の裏切りも、自身が呪われたことも些事だというのか。
……いや。
英雄の性質を継いだ彼女は、目的の為ならば自分の身を利用することを躊躇わない。だがそれは目的があってこそだ。獄中で果てる未来の確定が、彼女の心を揺らさないなんてことは有り得ない。
「この程度のこと、ね。そういう認識なら、この先の話は無意味だな。帰るよ」
幸助が腰を浮かしかけると同時、アリスは立ち上がった。
仕切りにぶつかりかねない勢いで顔を近づける。
「待っ! ……て、下さい。まだ、来たばかりじゃないですかー」
誤魔化すように座り直すも、虚勢であったことは明白。
「神の呪いは消せません。加護も呪いも存在情報に上書きされるもの。更新されたというだけで、それはもう自分自身の一部なのです。腕ならば切り落とせるでしょうが、魂に干渉する術を人は持たない。神域の攻略失敗などで付される一時的なものは、一定期間を置いて再更新されることで消えますが、禁忌に触れたことによる罪は消せない。神自ら赦しでも与えない限りは」
神域の攻略失敗にはペナルティがある。ステータス低下効果のある呪いが掛けられるのだ。しかしそれには期間が設けられており、それを過ぎては自然に消える。
「魂に干渉する術があれば、呪いを剥がせるんじゃないか?」
幸助の言葉に、アリスの端正な顔が歪む。荒唐無稽な妄言を垂れ流す愚か者を見る目つき。
しかしそれも一瞬のこと。彼女はすぐに考え込むように目を伏せた。
「そうですね……。たとえば聖典にも、悪神の呪いを神が解いたとされる記述があります。クロさんの世界にもあるんじゃないですか? 悪しき呪いを、聖なるものが解除するというお話が」
「あぁ。純粋な祈りや愛が呪いを解くなんてパターンも含め、色々あった」
「聖なる者に寄った記述によって焦点がぼやけていますが、これは神の権能を神の権能によって上書きしただけと受け取れます。子供が砂の上に描いた模様は、別の子供でも消せるでしょう? 同じことに過ぎないのに、規模と伝え方の所為で神の素晴らしさを説いてるように錯覚してしまう」
アリスは先程までの焦りが嘘のように嬉々として唇を動かす。
「貴方なら。『黒』を持つ貴方なら、他の色彩属性や概念属性の獲得によって神の呪いさえ解けるかもしれない! あぁ、でも概念属性は『黒の英雄』エルマーの遺体や悪神の一部、もしくは神の一部でも『併呑』しない限りは……。ゲドゥンドラの『神の寝台』に神の身体が収まっているというのならあるいは……いえ、肉体の形で眠っているとは限りませんね……上位存在からすれば、人の身など理由でもない限り使用する必要が……となると、各地の伝説・伝承を調べあげ……ですがそれは先人が試した筈……」
「アリス」
「なんでしょう」
幸助の呼びかけ一つで、彼女は思考を切り上げ微笑む。
そして、幸助の顔を見て、全てを理解したように――笑った。
「既に方法を見つけているのですね」
「そう思うか?」
「今わかりました。話を聞きにきた者と、話をしにきた者の違いです。貴方は可能性を挙げる私を遮った。それが知りたいわけじゃあないなら、既に知っているそれを使って私に何かをさせたいと考えましたー。間違っていたらお仕置きしてください、旦那様?」
アリスは狂人だが、愚者ではない。心が交わることはないが、会話は成立する。
「残念だな、仕置きとやらはなしだ」
「あはっ。チャンスをくださるんですね? えぇ、えぇ、これから先も貴方を想って生きていくことが出来るのなら、私はどんなことでもしますとも。命じて下さい、私は何をすればいいですか?」
優先順位が明確だから、突然の話にも迷わない。
目的の為に英雄を殺し、英雄に罪を着せ、英雄を我が物にしようと目論み、保身の為に共謀者を売ったように。彼女は何をするにも躊躇というものがない。
幸助は違う。リガルを殺し、妹を陥れた人間に協力など仰ぎたくない。
その抵抗感は、果たして正常の証明なのか、思考を遅延させる不純物でしかないのか。
どちらにしろ、幸助はそれを殺す術を身に着けている。
妹の復讐を果たす為に、妹を死に至らしめた連中と同類に擬態し、数年を過ごした。
「協力してもらう。もしお前が役目を果たして、その時まだ生きていたら、呪いを解いてやるよ」
「後払いなのですねー」
「お前が従う理由がなくなるだろ」
「ただ一言そうしろと命じてくだされば、なんでもしますよ。どんなことでも、躊躇わず」
「信じない」
「悲しいです。泣いちゃいそう」
「協力するのか、しないのか」
答えは出ているだろうに、アリスは「んー」と悩ましげな声を上げる。
まるで、幸助との会話を少しでも引き延ばそうとしているようだった。
「特赦はいただけないんですか?」
「リガル殺しと、トワを冤罪に陥れた罪を赦せって?」
「はい。だめですか?」
「俺を想って生きていくことが望みなら、牢屋でも叶うだろ」
彼女は調子を取り戻したようで、初めて逢った時の妖しげな笑みを浮かべる。
「意地悪なお方。でもでも、私を囲っておきたいのだと考えれば、むしろ受け入れるしかないという感じですね」
「勝手に考えてろ。それで、協力するのか? これ以上無駄話に付き合う気はないぞ」
「あら残念。では答えを。もちろんイエスですよー。貴方の為なら、神だって殺しますとも」
蕩けるような、熱視線。
「……忘れたか? 言葉も視線も謀略も武力も、俺には通じなかったってことを」
「通じなかった過去がどれだけあろうと、以後も通じないことにはなりません」
『紅の継承者』は、そう言って婉麗に見える微笑を浮かべた。




