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216◇万に一つさえも

 



 マステマは地を蹴る。

 両手はいまだ衣嚢(ポケット)に入れたまま。

 いつしか、枷を嵌めなければ戦いが成立しなくなった。

 それほどまでに、一対一でのマステマの戦闘能力は冠絶していた。

 ちり、と脳裏に焦げ付くような痛み。

 黒の長髪。旅団などという仲良しこよしの莫迦共を率いる男。グレア。『黒』。

 あれにだけは、勝てなかった。だというのに。

 あれは、クロノという男に負けた。あれは頑なに自分との再戦を受け付けない。

 だから、『教導の英雄』ジャンヌの許へきた。下らない争いの果てに、クロノとの戦いを望んで。

 自分を負かした唯一の男よりも、クロノは強いのだという。

 ならば、奴を倒せばいい。

 そうすれば、自分の中に今も残る、この不愉快な感情を。

 敗北感という疵を、消し去ることが出来る筈だ。

 その前哨戦でアタリを引けるとは、幸運と言えるだろう。

 眠気覚ましには、丁度いい。

「これで終わりとか言うなよ、なぁ!」

 マステマは気怠げに駆けているだけ。

 戦場ではいい的。

 それでもやはり、あらゆる攻撃は彼にかすり傷一つ刻めない。

 パルフェンディが自身の背後に『斫断』を展開。

 それがマステマに向かって――くることは無かった。

 『斫断』はまるで反抗するように、パルフェンディの背中へと吸い込まれるように直撃。

「――――」

 血煙が舞う。

「敵を斬れずに何が『斫断』だ。名折れにも程があんだろ」

 彼女の前に到達する。

 左足を軸に、右足を跳ね上げる。

 風刃を纏った右足は、断頭の軌道で彼女へ伸びる。

 勝利の実感は、感触として得たい。

 これで終わりか、とは思わない。これで終わるならそれまでだ。

 だが、そうはならなかった。

 マステマの右足に無数の裂傷が生じる。

 咄嗟に両腕を顔の前で(、、、、、、、)交差させる(、、、、、)

 『銀灰』を展開したおかげで、上半身がバラバラになることはなかった。

 『風』魔法で自身を彼女から遠ざけようとして、異常。

「ハッ、いいな。撤回するぜ。テメェは最高だよ」

「あなたも、中々悪くなくてよ」

 余裕が戻ったわけではないだろう。

 在りたい自分で在ることを、彼女が望んでいるというだけ。

 此処までの力を発揮出来るなら、もはや口調など問うまい。

「【劫風麾下(ごうふうきか)】」

 地獄に吹く業風さえ、支配下に置く。

 彼女の今の姿を見れば、その魔法名が比喩ではあっても誇張ではないことなど瞭然だろう。

 まるで、鈍色の竜巻が、人の形を得たような。

「わたくし、反省は次に活かすことにしてますの。そうでなければ人間、成長出来ないというものでしょう。おにいさまに接近戦で敗北を喫したわたくしは考え、結論を出した。近づけさせなければいいのではないか、という答えを」

 それを実現出来る実力が無ければ無意味。だが、彼女には在ったのだ。

 天災をその身に纏いながら、自分を傷つけることなく衣服のように維持し、望むもののみを撹拌し斫断する。

 自分は今、意志を持った嵐と戦っている。

 一対一で。

 先程自分は、嵐に突っ込んだが故に右足をズタズタにされ、その暴威に身体を引き裂かれるところだった。

「『銀灰』の種も明けましたわ。攻撃が『外れる』、魔法が『弾ける』『曲がる』。前者だけなら分からなかった。けれど後者、わたくしの魔法に干渉したのは失敗ね。魔法式の不備で魔法が崩壊や暴発することは初心者にありがちだけれど、英雄に至っては万に一つですわ。つまり『銀灰』の能力は――万に一つの可能性さえ実現するもの」

 強いだけでなく、頭も回る。いよいよもって大当たりだ。

 色彩属性持ちに怯えない相手である以上、否定は必要ない。

「可能性ってのは幅だろ。一秒後に死ぬ確率もゼロじゃねぇ。だがオレもテメェも今、生きてるな。生き続ける可能性を勝ち取ってる。『銀灰』はな、揺れ幅の中の、好きな値を選び取れる。攻撃があたる確率をゼロに引き下げ、魔法が崩壊する確率を百に引き上げる」

「嘘ですわね」

「あ?」

「正確には、百とゼロ以外の好きな値をとれる、ではなくて? あるいは、百とゼロは崩せない」

「どうだかな。数字が目に映るわけじゃねぇ」

 だが確かに、ゼロや百を覆せたことは無い。

 もしそれが可能なら、例えば存在しないものが存在するという確率を、ゼロから百に変えることでなんでも生み出せてしまう。今まさに死ぬ行く者の死ぬ確率を百から下げ、延命出来てしまう。

 なるほど確かに、それが『銀灰』――『振幅(しんぷく)』の介入限界というわけか。

「他に訊きてぇことがあるなら今にしろ。悔いが残らねぇようにな」

「お優しいこと」

 短い会話の内に、互いに損傷は『治癒』させていた。

「つまらねぇことでテメェの刃が鈍ったら困んだろうが」

 『銀灰』は魔力を触れさせることで、触れたものに関する可能性を操作することが出来る。

 それを悟ったパルフェンディの選択は、賞賛に値する。観客がいたなら喝采に値する。

 彼女は身に纏う嵐の一層一層を、個別の魔法式で組んでいる。

 つまり、マステマが『銀灰』をぶつけて魔法を自壊に追い込んでも、薄皮が一枚剥がれるだけ。

 一瞬でそこまで考え実行するとは、さすがは英雄。天才の名に相応しき、戦いのエキスパート。

 枷をまた一つ、外してもよさそうだ。

「【嵐纏(らんてん)】」

 パルフェンディとマステマの戦闘スタイルは酷似している。

 故に、その行き着く先もまた、似通うことがあろう。

 マステマもまた、嵐を身に纏うことが出来る魔法使いだった。

「あなたの風で、わたくしが飛ばせるかしら」

「さぁな。だが逆だけはねぇ。万に一つもな」

 自分は可能性を操る。

 万に一つも無い。

 その言葉は、自分が言えば真実そうなるのだ。

 だというのに。

 童女にしか見えない戦妖精は、牙を剥くように笑った。

「そう。ならば叶うまで、何度だろうと刃を揮うまで」

「あぁ、そうしろ」

 嵐と嵐が、激突する。




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