214◇黒瞳が絞る紅涙
結論から言えば、杞憂だった。
幸助とトワは黒野兄妹とエルマーに関する事実を伝えた。
それを聞いたルシフェが素直に納得してくれるとは思えなかったが――した。
驚く程すんなりと、いっそ心配になるほど呑み込みが早かった。
突拍子もない、それこそ『自分がきみの先祖だ』と言い始めるのと同じ奇行を、ルシフェは笑わなかった。
だからといって彼女が人を疑うことを知らないわけではないだろう。そんな人間が人の上に立てば待つのは破滅だけだ。彼女はきっと、何かしらの思いがあって幸助達の言葉を信じてくれた。
「うっ、えぐ……っ、うぅ……」
そして兄妹の顛末か先祖の結末か、あるいは両方か。彼女はそれに涙した。
まるっとした瞳から滂沱と涙を流し、洟も垂らしている。幸助が何か拭くものを探すより先に、トワがハンカチを差し出す。
「ありがとうございます、シンセンテンスドアーサー卿……うぅ」
「ううん。それと、トワでいいよ。ルシフェちゃん」
ルシフェの背中を撫でるトワも声が上擦っていた。もらい泣きをなんとか堪えている様子。
しばらくして、ルシフェがぽつぽつと語った内容に、幸助は疑問が氷解。
彼女の生家であるグロウバグ家は、遡れるだけ遡っても来訪者と血が混じった記録が無い。
エルマーが周囲に恋人のことを隠していたのだ、相手側も同様にそれを秘していたのだろう。
それによって、記録には無いが来訪者の血が混じってしまう。
単なる来訪者ではなく『黒の英雄』だ。
かつて『紅の継承者』アリスを実行犯とした英雄殺しがあったが、それも幸助を強化しその子供を生む為だ。再び自らの家に英雄が生まれることを望んだ故の狂行。
英雄の力はある程度遺伝するというのは、英雄国家と呼ばれるダルトラの歴史が証明している。
貴族家の優秀さは、かつての英雄の血に依るところが大きい。
グロウバグ家は、エルマーのことが伏せられたが故に、現地人にして強い力を持つ者となった。
この時代で言えばクウィンが近いか。現地人にして、強力な魔法使い。
グロウバグの者は人望を集め、中心人物となった。
やがてロエルビナフと呼ばれる地域をまとめるように。
そして今、黒野兄妹の面影を継ぐ英雄の血脈は、双子同士で争うこととなった。
奇跡のグロウバグと呼ばれていた彼女の家系があり、兄と自分が英雄兄妹に似ているという事実が重なり、その他様々な理由もあって、彼女は納得してくれたのだろう。
「大英雄エルマーは、聖典にて最初期は『探す者』と記されていました。きっと、トワ様を探しておられたのですね」
…………。
なるほど、彼女はアークレア神教の信徒らしい。
幸助から語られる真実と、聖典に記されたエルマーに関する記述に矛盾が無いことも、彼女が信じてくれる理由の一端を担っているのかもしれない。
「ですが、ナノランスロット卿もトワ様も、何故それをわたしに?」
「俺達はきっと、お前達に肩入れしてしまうから。説明しとかないと、変なやつだろ?」
「さっきの説明の方が、普通に考えて変な奴だけどね」
「茶々を入れるな。目付きの悪い方」
「最低。むしろルシフェちゃんがトワに似てることに感謝してほしいくらいなんですけど? コウちゃんに似てるらしいお兄さん側が可哀想」
「あ、あの! トワ様。確かにわたしの兄の顔の造形は優れているとは言い難いのですが、だからといって、その、悪しざまに言われるのは、その……控えていただけると」
「うっ。そうだよね、ごめんなさい」
「兄貴の為に怒れるなんて、ルシフェは良い妹だな。率先して兄を貶すような奴もいるってのに」
「な……! 先に言ったのはコウちゃんでしょ!」
そんな二人の会話を聞いていたルシフェが、ふっと微笑する。
「お二人は、とても仲が良いんですね。互いに信頼し合っているのがわかります」
純心な笑顔でそう言われてしまうと、否定の言葉も口に出来ない。
「まぁ、十八にもなってシスコンこじらせてる兄が可哀想だから、構ってあげてるってゆうか」
「そんな風に言うものではありませんよ、トワ様。世界を越えてなお、家族を救わんと奔走する兄君を持ったことを、誇りに思うべきです。わたしなら、そうします」
「うっ……」
トワがたじろいでいる。
面白い。
「すごいな。まるで金のトワだ」
「ちょっと。人を泉に落とした斧みたいに言わないで」
「どうした、ただのトワ」
「トワが正真正銘本物のトワですけどっ!?」
「だから、そう言ってるだろ」
「悪意がある言い方だっ!」
「『泉の精霊』の寓話ですね。とはいえ、ナノランスロット卿。命を掛けて救われた妹君なのですから、日頃より態度で示されては? 要らぬ諍いも、少しは減るかと。あっ、余計なお世話でしたら、申し訳ございません。敢えてやっているようにも、喧嘩のようにも見えたものですから。喧嘩するほど仲が……とも言いますし、わたしなどに言われるまでもないですよね、すみません……」
「ううん、ルシフェちゃんは良いことを言ったよ。どうせシスコンなのはバレバレなんだから、くだらない意地悪はいい加減卒業したら?」
「あーはいはい」
「聞けよっ」
それからしばらく、三人は当たり障りのない会話を続けた。
それが落ち着いた頃になって、ルシフェが改まって言う。
「兄もわたしも、お飾りの象徴として担ぎ上げられているに過ぎません。アークスバオナと、連合。どちらにつくべきか。分かれた意見の両側が、わたし達とその派閥の人々です。ですが、どちらもロエルビナフの民には変わりない。彼らはただ、これ以上脅かされない日々を求めているだけ」
「あぁ。でも、一般人はともかく、戦場に出てくるなら敵は敵だ」
「はい。わたしには、責任があります。担ぎ上げられているのだと知ってなお、それを選んだわたしには、せめてついてきてくれた者達に未来を与える責任が、あると考えます」
彼女が言っているのは、兄の勢力に手心を加えてくれということではなく。
「共に勝利を掴む為、我々に出来ることがあれば仰ってください」
担ぎ上げられている?
とんでもない。
彼女は派閥を代表する者として、己自身の頭で考え、決断を下している。
「そうだな、そうさせてもらうよ」
「はい! どのようなことでも構いません!」
言ってから、ルシフェは顔を赤くした。
「あ、そ、そうは言っても、その……み、淫らな行為などは、た、対象外……です、よ?」
「……気をつけるよ」
「ふふ、ごめんなさい、冗談です。あまり場が沈まないように、と思いまして」
「よかった。本当に」
どことなく妹の面影を感じる少女に言われると、心臓に悪い。
「またコウちゃんの美少女デレデレ病が発症しちゃったか」
ルシフェは美少女だが、やはりトワと重なる部分もあるわけで。それを承知しているトワはもしかすると、暗に自分が美少女であると言ったのか。
「そもそも罹ってねぇよ」
兄の寛大さで、触れないでおく。
「あ、そうだ。ルシフェ」
「はい、ナノランスロット卿」
「早速お願いなんだが」
「は、はい!」
「俺のこと、クロでいいぞ」
妹だけ愛称というのも変かと思い言ってみただけなのだが、ルシフェはきょとんとしていた。
大事な話だと思って緊張していたらしい。やがて、嬉しそうに笑う。
「はい、クロ様」




