212◇千年前の面影
馬車の停止した場所はロエルビナフ首都では無かった。
街の外れ。
戦闘音が微かに届いてくる。
そこで戦う鈍色の髪をした英雄のことを想い、ルキウスは駆け出しそうになるのを堪える。
あの時、王都防衛に参加していなかった『斫断の英雄』は、離反に勧誘することさえ出来なかった。
グレアからの話が通っていれば、アークスバオナ軍が交渉を行うとのことだったが……。
「貴様はどちらの勝利を望むのだ?」
セツナの皮肉に、ルキウスは答えられない。
かつては常に湛えていた微笑も今は無く、ただ悔悟の念に歪むのみ。
程なくして、迎えの馬車がやってくる。
降りてきた者を見て、ルキウスは最初、強烈な違和感を覚えた。
その違和感を、脳が瞬間的に処理。より詳細に、既視感だと判断。
つまり、何処かで見たことがあるようだと感じたわけだ。
だがそれが有り得ないことだから咄嗟に受け入れられず、違和感として入力された。
「グラムリュネート様ですね。ロエルビナフ中央評議会議長代理・ルキフェル=グロウバグと申します。このような場所での出迎えとなってしまい、申し訳ございません」
少年だ。白銀の髪をしている。黒い瞳。砦で迎えることが出来ない現状を不甲斐なく思っているのか、恐縮した様子。代理とはいえ、人の上に立つにはまだ早いという印象を受ける。
酷似しているわけではない。瓜二つなどでは決してない。見紛う程ではないのだ。
だが、どうしても重なる。
言うなれば面影を感じる。
「……あの、グラムリュネート様、いかがなされましたか?」
「貴方、は」
少年はルキウスの戸惑いを、何か別の受け取り方をしたようだった。
「あぁ、戦場の指揮は貴国のダムリング大佐にお任せしています。恥ずかしながら、我が国の者は戦には疎いもので」
こちらの機嫌を窺うような態度も、意識して浮かべている微笑も似つかない。
ルキウスはハッとして、隣を見た。
そうだ。セツナであれば、ルキウスが抱いたこの違和感に理解を示してくれる筈。
「………………莫迦な。偶然か、いや、だが、まさか……こんなことが、本当に……?」
猫科の耳を持つ獣人は、ルキウスよりも余程深いところで事態を受け止めているようだった。
まるで、目の前の存在に説明がつけられるかのような反応。
「セツナさん?」
「おい、グラムリュネート」
貴様、ではなく。裏切りの貴公子でも、英雄としてでもなく。
この時セツナが自分を敵ではなく、ルキウス個人として呼んだのだと、ルキウスはすぐに分かった。
「なんでしょう」
「もし、今でもマスターを、黒野幸助を、友だと思っているなら」
「当たり前です」
「ならば、頼む」
自分などとは本来、口も利きたくないだろうに。彼女はそんな相手を頼った。
頼むの一言の重さが、いやでも圧し掛かる。
「この少年と、そのきょうだいを、どうか死なせないでくれ」
「それは、どういう」
「どうか頼めないだろうか。この通りだ」
頭さえ下げて、セツナは懇願した。強さに形を与えたような女性が、弱さを露わにして。
何がどうなっているというのか。
ルキウス同様、ルキフェルも戸惑っている。
どういうことだ。
この少年が、クロと一体どういう関係だと言うのだ。
何者だというのだ。
この、クロの面影を感じる少年は。
いつまで待っても、答えだけは得られなかった。
◇
「お待ちしておりました。ロエルビナフ中央評議会議長代理・ルシフェラーゼ=グロウバグと申します。お初にお目にかかります、ナノランスロット卿。以後、どうぞお見知りおきの程を」
ロエルビナフには二人の議長代理がいる。これは前議長の死に際して、その忘れ形見である双子が政治的に利用された所為だ。前議長のカリスマで人々を誘導しようとした。
片方は連合と組んでアークスバオナに抗おうとする勢力。
片方はアークスバオナと組んで連合を打倒しようとする勢力。
王城に戻った幸助を待っていたのは、前者の少女。
白銀の髪に、黒い瞳。気弱そうな目許、だが瞳には信念の光が強く輝いている。華奢な身体を小さく震わせながら、それでも必死に国家の代表であろうとする姿からも分かる。彼女は傀儡になっているのではない。真に国を思うが故に、祭り上げられることをよしとした。自分で、そう選んだ。
そんな相手を侮ろうとは思わない。
だが、それとは別の理由で幸助は口をあんぐりと開けてしまう。
「わ、わたしは確かにまだ十四の若輩ですが、国を思う気持ちに年の端は関係ないものと考えます! 此度は我が国の窮状を訴えると共に、ご助力願いたく参りました!」
有り得ない、という言葉を幸助は呑み込んだ。
有り得る。
この少女にトワの面影を感じる理由には、説明がつく。
「えぇと、グロウバグ議長代理?」
「あ、はいっ。いえ、それだと兄と紛らわしいので、どうかルシフェと。あ、ですが他の方もいらっしゃる場では、あの、先程のように」
「あぁ、じゃあ、ルシフェ」
「はい、ナノランスロット卿!」
素直だ。妹とは似ても似つかない。
「兄貴がいるって?」
彼女はあからさまに、しょぼんと肩を落とした。それから奮起するように顔を上げる。
「はい。愚兄の件でもご相談があり……。兄さ……あれも悪人ではないのですが、致命的な意見の相違がありまして、その」
「俺の顔見て、何か思わないか?」
「へ? あ、えぇと? か、かっこいい、です、よ?」
視線が斜め上を向いている上に、額に汗を浮かべている。
「……いや、褒めろってことじゃなくて。誰かに似てないか?」
言われて、ルシフェは不思議そうに首を傾げる。
十秒、じーっと幸助の顔を見つめる。
「……………………っ。兄さん? あ、えっ、すみません! 突然失礼なことを! 髪の色も歳も背も全然違うのに、何故かそう感じてしまって……どうしてでしょう」
ルシフェは恥ずかしそうに両頬を手で挟んでいる。
「そっくりではないけど、なんとなく面影は感じる?」
「あ、まさにそのような感覚でして……。あれ、でもナノランスロット卿、どうして……」
幸助は目許を隠すように手を当て、僅かに俯いた。
そうでもしなければ、こみ上げてくる涙を抑えきれそうになかった。
代わりに笑い声を漏らす。
「ナノランスロット卿?」
「あはは。悪い、でも、くくっ。こんなことってあるんだな」
ヘケロメタンでの会話を思い出す。
『黒の英雄』エルマーには恋人がいたらしいが、仲間の誰もその正体を掴めなかった。
そして彼は幸助よりも五年程長く生きている。閉じ込められた悠久を除けば、だが。
二十三。そういうことがあっても、おかしくはない歳。
これが他人の空似でないのなら。
絶えず、その血は此処まで繋がれてきたのだ。
神代の時代、久遠より、縷縷として。




