210◇翳る蒼天
中立国家ロエルビナフ。
過去アークスバオナの領土であり、その後ダルトラの援助を受けて独立を果たした国。
だがこの中立という呼び名は、現在では正確とはいえない。
アークスバオナの侵攻ルート上に存在するロエルビナフは選択を迫られた。
再度の服従か、反発か。
彼らが頼れるのは連合諸国で、主に独立に協力したダルトラだった。
当然、ダルトラは派兵。同盟国というだけでなく、ロエルビナフが落ちれば次はダルトラだからだ。
ロエルビナフはダルトラの軍事支援によってなんとか凌いでいる状況。
だが、悪化し続ける国情の中で国家が割れ、ついにアークスバオナ側に恭順を示す一派が現れた。
それを率いるのが前国家元首の息子であり現国家元首代理であることから、アークスバオナはロエルビナフを既に自国領土と主張。抵抗を続ける勢力を暴徒とし、これを鎮圧する為に軍事行動を行うとしている。
それによれば、ダルトラは暴徒に手を貸す悪の支援者という位置づけ。
既に落ちた国にダルトラの方が手を出している、という風に言えるのだ。
その主張の正当性がどうあれ、連合諸国に放置は出来ないだろう。
かつて不遇を嘆き独立を果たしたロエルビナフだが、華やかな未来は待ち受けていなかった。
属州へ戻ることは、本来ならば絶対に回避せねばならぬ事態。
だが以前と現在では状況が違う。
そう、帝国の頂きに立つ者が変わり、国の姿勢が変わり、国の目指すべきものが変わった。
服従を選択した一派は、ロエルビナフの未来を真に考えてそうしたのかもしれない。
アークスバオナが全てを手中に収めるのであれば、ロエルビナフのみに過剰な搾取が行われることはなくなるだろう。
であれば、これ以上ダルトラとの戦場にされるよりも、素直に下についた方がいい。
そう考えても何もおかしくはない。
自国の民をこれ以上損ないたくないという思いを、一体誰が否定出来ようか。
問題は、現国家元首代理があくまで『代理』であること。
前国家元首の後継者は二人いること。
もう片方が、ダルトラを盟主とした連合と協力体制を取っていること。
国の代表の後継二名が真逆の方針の許に動き、それこそ国を二分しているのだ。
「考えごとか、裏切りの貴公子」
馬車の中だ。
現在、ルキウスは捕虜の移送任務に従事していた。
黒混じりの白髪、猫を思わせる金の瞳と耳。
揺るがぬ忠義を持つ怜悧な亜人・セツナ。
拘束衣と魔封石の手枷さえ、彼女の心を縛るには足りぬらしい。
「可能なら、その呼び方はよして頂けますか」
「ふん。なら何と呼べばいい。『蒼の英雄』殿とでも? 生憎と、口にするのも嫌な色だ」
『教導の英雄』ジャンヌを将として、ロエルビナフ首都で捕虜交換と和平会議が執り行われる。
しかしこれはクロを誘い出す餌だ。
実際、連れ出した捕虜はセツナ一名のみ。彼に対して有効な手札と成り得ると判断されたからこその移送であり、セツナに求められるのは人質としての役割のみ。
まったく、嫌になる。
最早口にするのも烏滸がましいが、ルキウスはクロを友だと思っている。
だからこそ、泥沼の戦争を回避する道を共に歩んでほしかった。
この世界に召喚されて間もない一人の少年が、戦争の矢面に立たされる異常。
それでも彼はやるだろう。やると決めれば、やり遂げるだろう。
だとしても、自分は――。
「……今の僕は『蒼天の英雄』ですよ」
自らの思考を止めるように、セツナの言葉に応える。
ルキウスは色彩属性『蒼』保持者ではない。正統な『蒼』保持者を帝国は抱えている。
故に、偽英雄を偽英雄たらしめる銘は剥奪され、新たな銘を与えられた。
「烏滸がましさが増したな。裏切り者が蒼き天を名乗るとは」
「自分でもそのように思います」
ガタンガタンと、馬車の荷台で二人が揺れる。
彼女の皮肉も怒りも、ルキウスは甘んじて受け入れる。
それに何を思ったのか、セツナは皮肉の矛を収めて言う。
「貴様と、エリフィナーフェといったか、あの白衣の女について、疑問に思っていることがある」
「……なんでしょう」
セツナは、決してルキウスに気を許してはいない。
だが、敵対視はすれぞ憎悪はしていないように思う。それは彼女の主を思っての背信行為であったからか、あるいは何かしらの違和感を感じ取ってはいるからか。
「貴様らの言を虚偽とは思わぬ。だが得心も行かぬのだ」
「得心が行かない、とは?」
「貴様らはトワ様の身柄を狙った際、吐かしたな。ダルトラには付き合いきれぬのだと。さりとてマスターやトワ様を捨て置くのは忍びないのだと」
「そのようなことを口にした覚えはあります。貴女の言うように、虚偽は含んでいません」
正確な言い回しは違うが、大意は捉えている。
「あぁ、だが離反に及んだ理由全てを口にしたわけではない」
「――――」
図星を突かれ、咄嗟に反応出来ない。それがどうしようもなく、肯定の反応になってしまうと知りながら。
「やはりな」
「……女性が持つ、第六感のようなものですか」
驚きを押さえつつ、なんとか口を開く。
「? あぁ、女の勘というやつか。いいや、わたしにそんな女らしいものは搭載されていないさ」
セツナが牙を剥くように笑う。何かを強調するように。
「これは言うなれば――獣の勘だ」
亜人の多くは、自身が亜人であることにコンプレックスを抱いている。元々がどうであれアークレアに転生するような過去生を持つ者は、過去生の悲劇を経てそれが劣等感に変わってしまう。
アークレア由来の亜人の例をルキウスは知らないが、彼女の場合はどうなのだろう。
少なくとも、獣という語に卑下するような色は含まれていない。
だとすれば彼女は劣等感を持っていないか、とうに克服したのだろう。
どちらにしろ、改めてセツナという女性の心の強さを突きつけられたような気分になる。
「恐ろしいですね」
「そうでもない。鋭かろうと、勘の域は出ないのだから。貴様らが何を抱えているかなど見当もつかぬし、どのような理由があろうとやはり、許せぬ」
「僕も同じ想いです」
「なんだと?」
怪訝そうな顔をするセツナ。
思わず本音が漏れてしまったことを、ルキウスは悔いる。
許せぬ。許せない。あぁ、分かる。自分も自分が、許せない。
あの日から、ずっと。
「おい、貴様」
馬車が減速するのが分かった。
「そろそろ着くようですね」
柔らかく、対話を拒絶する。
声を重ねることも出来ただろうに、セツナは何も言わなかった。
興を削がれたとばかりに、鼻を一つ鳴らしただけ。
ロエルビナフが近づいている。
友人らと、元友軍らと相対する時間もまた、近づいている。




