206◇闇を払う
「……停、戦」
最悪だ、とリリスは目の前の女を凍て付く視線で射抜く。
それを受けても、ガンオルゲリューズは威風堂々たる立ち姿を崩さない。
擬似英雄風情が、精神は英雄相当であるとでも証明するかのように不動。
敵の狙いは明らかだ。
停戦。攻撃的行為の一時停止に合意せよというのだ。
それはリリスの行動を見越してのものだ。
死を顧みずにリリスが攻撃を仕掛ければ、援軍もエルソドシャラルの戦力も甚大な損害を被る。
代わりにリリスは命を落とし、彼女の保有していた死兵と死徒の全てが失われる。
この状況で双方が矛を収めれば、和平交渉終了までお互いに手が出せなくなる。そうなればエルソドシャラルは体勢を立て直し、連合は更なる派兵を行う時間まで稼げるわけだ。
そして、アークスバオナはリリスという強大な戦力を保持することが叶う。
到着したばかりの援軍、元々は無能と蔑まれていただろう英雄の残滓を抱えた血胤が、一瞬でリリスの判断を読み、決断を下したということになる。
彼女は生き残りを救い、なおかつ自軍の兵を損なわずに済み、こちらも死は回避出来る。
交渉の余地は充分にあるわけだ。
今この場でガンオルゲリューズの首を刎ねれば戦略級魔法は封じられるか――いや。
確証が無い。燿の継承者が、『燿』属性を用いたとは限らない。彼女を殺すことで、本物の遣い手が魔法を発動することも充分考えられる。
彼女は自分の家名と、自身の無名両方を利用しこの場に立っているのだ。
「…………条件は」
傘の柄を握る手に力が込められる。
圧倒的勝勢から一転、向こうの停戦交渉を受け入れることになるとは。
「十五日の停戦です」
その時にはもう、ロエルビナフでの和平交渉が始まっている。リリス達が動けるのは、その結果報告を受けてからになる。
「それと、連合加盟国の兵士、その亡骸を解放していただきたい」
「――あなた」
数百の魔法使いと、五体の『導き手』を返還しろ。
目の前の女はそんな世迷い言を口にしている。
リリス本人が死ぬ結末より余程上等なのだから、その程度は受け入れろというわけか。
「応じて頂けるのであれば、こちらも捕縛した貴方の部下を解放します」
「――――っ」
違う。
交換条件なのだ。
ガンオルゲリューズ、または他にいる疑似英雄は『燿』によって死兵を全て灼き消した。
それによってリリスの干渉権限も消えた為に勘違いしていたが、操作権を預けた部下までもが消えてなくなったとは限らない。
灼き分けたのだ。
死兵だけを滅し、生きた人間は捕虜とした。
今、この時に切る手札とする為に。
『暁の英雄』であればどれだけ良かったか。
ただ焦土と変えるだけの相手であれば、こんな駆け引き仕掛けてはこなかっただろうに。
拒めば泥沼。部下も返ってこなければ、リリスも戦死するだろう。
だが受ければ、幾らかの人形と引き換えに被害を最小限に抑えられる。
そして燿の継承者は無血で同盟国戦死者の亡骸を敵より奪還し、退けたという功績を上げるわけだ。
ギリッ、と奥歯を噛み砕きかねない力が顎に入る。
「…………………………………………………………………………………………………………いいわ」
大局を見るのは、リリスの役目ではない。
自分が死なず、部下も返ってくるというのなら、一つの戦場に拘泥はしまい。
受け入れを表明する為、リリスは人形を開放する。
糸が切れたように、魔法使い死兵と死徒が地面に倒れた。
エルソドシャラルの者達が駆け寄り、抱き上げたり涙を流したりし始める。
ガンオルゲリューズが手を上げると、魔封石の手枷を嵌められた部下七名が連れてこられた。
口々に謝罪する部下達に「うるさい」と一声。
「貴方が話の通じる相手で助かりました」
ガンオルゲリューズは微笑みながらそんなことを言った。
皮肉の色はなく、そこには血を流さずに済んだことへの安堵が滲んでいる。
「……クロノは優秀なのね。夢見る無能を、英雄に仕立て上げたのだから」
リリスの皮肉を受け止め、プラスは更に笑みを深める。
「はい。彼がいたから、わたしは理想を曲げずに済んだ。今こうして、血を流すことなく戦いを止めることが出来たのです」
「止めただけ。終わってはない」
「いいのです、今はそれで」
これは停戦に過ぎない。
過ぎないが……リリスからすれば明らかな敗北だった。
勝つ寸前だったというのに。
援軍が間に合おうが、対応出来る筈だったのに。
ただ一度の『燿』で、撤退を選ぶ羽目になった。
目の前の女性を睨めつける。
敗北感と怒りが、リリスの心の平穏を乱す。静寂を壊す。
「決めたわ」
「はっ、決めた……?」
「……プラス・ラプラティクス=ガンオルゲリューズ。次に逢った時、あなたをわたしの人形にしてあげる。わたし、眩しいのも嫌いなの」
殺害の予告だ。
死を穢す宣言だ。
それなのに、彼女の耀きは些かも揺らがず、曇らない。
「では、わたしはそれに抗いましょう。戦いに勝利し、今度こそ戦いを終わらせてみせます」
それはとても力強く、静かで――美しかった。
「……………………………………最悪」
一瞬前に頭に浮かんだ言葉を掻き消し、部下に指示を出す。
撤退する最中、勝利を喜ぶ声を背後に聞く。
陽が昇り、空が仄かに明るくなる。
その光は、先程まで見ていた憎き燿の継承者と比べると、何処か劣るように感じる。
リリスは顔を顰めて、忌々しい記憶を断つように首を振り、傘で陽を遮って進んだ。




